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彼女が祟りに堕ちた日から、俺は祓師になった  作者: なぽりまん
人生の終わりと祓師のはじまり
5/21

救世主


 そこは、もう”人間の教室”ではなくなっていた。


 ひとりは眼球が飛び出さんばかりに目を見開いき、ひとりは嗚咽をこらえながら笑い泣き、ひとりは腕から血を滴らせながら阿鼻叫喚している。

 ああ、地獄絵図とはこういうことを言うのだろう。


 誰かが床を這いずり、こちらに手を伸ばしてくる。


「た…す、けて……」


 その声に、皐月が反応した。

「逃がさない」とでもいうように、獲物を狩る獣のような鋭い眼光で振り返る。


 もう、愛しい彼女の姿はどこにもなかった。

 そして、“彼女だった何か”が、ゆっくりとこちらに視線を移す。


「ぅ……あぁぁ……」


 恐怖で足がすくむ。

「逃げなきゃ」と思うのにどこにも力が入らない。

 喉から絞り出そうとした声も、肺の奥で凍りついていた。


 ほんの数時間前までこの手に確かにあったぬくもりは、背筋からすっと消えていく。


「さつき、なん…で……?」


 絶望に打ちひしがれていた、そのとき。

 先ほど割れた窓から風が吹き込み、教室の空気がざわめいた。


 ──バンッ!


 爆発音のような衝撃とともに、再び教室の窓ガラスが砕け散る。その中に人影が風のように舞い込んだ。


 自分と同じ制服姿の少年。

 片目に黒い眼帯。

 細身ながらも引き締まった身体。


旬祢ときねくん……?」


 飛び散ったガラスの破片で傷ついた頬をぬぐいながら、彼はゆっくりと顔を上げた。

 その眼差しは、確実に“ヤツ”を捉えている。


「折笠には手を出してない、か。お前は運がいいな」


 その手に握られているのは、一振りの刀。

 刃が不自然に明滅する蛍光灯に照らされ、冷たい銀色の輝きを放っている。


「もし手を出してたら──今ごろ、お前を八つ裂きにしてる頃だ」


 教室を冷ややかに見渡すその視線とともに、風は止まり、時間さえも凍りついた。


「……誰の手下だ?」


 地を這うようなその声に、目の前の瘴気しょうきは動揺するように揺れ動き、形勢は完全に逆転する。

 この場の主導権は、彼が握っていた。


 刹那、旬祢くんが消えた——いや、速すぎて目に見えなかったと言ったほうが正しい。


「——ッ!」


 “ヤツ”の腕が振り下ろされる直前、旬祢くんはその腕の付け根に回り込み、根元から斬り落とす。

 空気さえも斬り裂くような無音の斬撃が、淀んだ影を払った。


「……下がれ、折笠」


 目の前の光景に腰を抜かすを俺守るように、旬祢くんは“ヤツ”と俺の間に割り入った。


 目の前の異形は再び形を変えて、影から骸骨のような獣の姿へと進化し、旬祢くんに向かって襲いかかる。


「まだ動いてるな。なら——」


 そう呟く彼の瞳に、迷いはない。


「お前の核を斬るまでだ」


 再び死角に入り込むと、流れるように連撃を叩き込む。

 一撃ごとに腕、爪、顎と急所を的確に断ち切っていく。


 ぼーっと刀の動きを目で追っていただけの俺にふっと意識が戻ると、目の前の“ヤツ”から、確かに皐月の面影が見えた。


 ——そうだ。

 どんなに姿が変わっても、皐月は俺の大事な彼女なんだから。


「お、おい!やめてくれ!その子は、俺の……!」


 カラカラに乾いた喉から絞り出した声。

 だがその悲痛な声に、旬祢くんの眉はぴくりとも動かなかった。


「まだっ、戻るかもしれない! あいつは、まだ!」

「……お前を守るためだ」


 その静かな声とともに、彼は刀を逆手に構え、そして皐月の胸元へ刀を突き込んだ。


「——安らかに眠れ」


 言葉とともに刃に貫かれた瞬間、皐月の唇がかすかに動いた気がした。


 俺の名前を呼ぼうとしたのか、謝ろうとしたのか──それとも、さよならを言いたかったのか。

 だが、それを確かめる暇もなく、皐月は崩れ落ちた。


 次第に重くなる瞼と朦朧とする意識の中で見えたのは、床に倒れ込んだ皐月の頬を伝う涙だった。

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