お前だからだ
──同時刻。保健室。
室内と外界を隔てるように、ぴったりとカーテンが閉じられていた。
窓の外では、春に不釣り合いなほどの静けさが校舎を包み、校庭を飛び回る虫の羽音だけがやけに耳についた。
誰もいない部屋で、ベッドの縁に腰をかける青年──旬祢 京弥は、淡々と作業をこなしていた。
制服の袖をまくり、手慣れたように傷口に包帯を巻いていく。
包帯を巻き終えた腕を下ろすと、眼帯の下の左目がじくり、と疼いた。その疼きを確かめるように、片手で前髪をかき上げてそっと眼帯に触れる。
「……なにが、起きてる?」
“差し出したはず”の左目が、確かに騒いでいた。言い知れぬ違和感に、ざらり、と薄気味悪さが這い上がってくる。
(これは念か?かすかに、いや──)
その瞬間、まるで空気が裂けるような、強烈な異物感が空間を満たす。
全身が粟立つほどの、異常な気配の増大。
ビリビリと肌を刺すような緊張感が、濁った気配とともに、こちらにまで押し寄せてくるようだ。
その源を辿るように視線を向けると──ガラス越しに見えた教室棟の、ある一角。教室からは赤黒い瘴気が立ちのぼり、内部で《《ソレ》》が蠢いていた。
京弥は包帯の縛り口をギリ、と歯で噛むと、力を込めるように締め直す。
左目の裏には、突き刺すような鋭い痛み。揺れる右目の視界が捉えた先で、ぐにゃりと空間が歪んだ。
「……よりにもよって」
(教室ごと呑み込む気か?ふざけた真似を。それに──)
その視線の先には──2年3組と書かれたプレート。
「そこは《《あいつ》》がいる教室だろ」
この学校で唯一、純粋なクラスメイトとして言葉を交わしてくれた恩人が授業を受けているはずの教室だった。
覚悟を決めたように大きく息を吸い込むと、京弥は左目の眼帯にそっと手をかざす。
「──封視・禍祓ノ断」
その言葉とともに、彼の脚は地を蹴っていた。
開け放たれた窓からは、春の心地よい風が吹き込む。
(お前だからだ。助けるのは)
何か危険を察知した鳥たちが空へ飛び立つころには、もうそこに彼の姿はなかった。