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短編集『トタン屋根を叩く雨粒のような』

Look Alive

とある男の1日。 邂逅。


※この作品は、 短編集 『トタン屋根を叩く雨粒のような』 の最初の7作品を読んでからお読み下さい。



「土?」


背中には硬い土だ。 それに草。 暗くてジメジメしている。 一体いつからここで寝ていたのだろうか。 重くて硬くなった身体を僕は起こした。


「池?」


目の前には透き通った水辺があった。


僕は目が覚めると森の中にいたのだ。


池の反対側には、 地べたに貼り付いて、 水面を(のぞ)き込む1人の美青年。 随分とクラシックな服装で髪型も古臭い。 ヨーロッパのお金持ちだろうか?


「彼には不思議な魅力がある」と、 僕は独り言を(つぶや)いた。 ここには僕と彼以外、 誰もいない。 残念ながら僕の声は彼には届かない。 存在すら気付いていない。


僕は彼から目が離せなくなった。 もう1時間ほど彼を観察しているかもしれない。 彼はずっと水面を見つめている。 綺麗な魚でもいるのだろうか。


ヂリヂリヂリヂリヂリヂリッ


「ゔっ」


背中にはバネの弾力を感じる。 目の前は真っ白の天井。


「夢か‥‥‥」 僕は目覚ましを止めた。


現実に戻って来たようだ。





用を足してケツを拭くと、 また鮮血が付いていた。 表面が切れたのか、 内側からの出血かは分からないが、 あまり深く考えずに水に流した。


「見るな」


洗面台の鏡に映る、 汚い髭の男に向かって、 警告する。 ‥‥‥僕はこの男が苦手だ。


さて、 朝食は今日もラーメンにしよう。


「やっぱり朝は塩ラーメン」と言って、 小ぶりの片手鍋で湯を沸かす。 淡い黄色の鍋は、 1人分の味噌汁やラーメンを作るのに丁度良い大きさだ。


本音を言えば、 たまには別の物が食べたかった。ポテトチップスを食べて、 気を紛らわせる‥‥。 朝から不健康を極めたような食事。 結婚を諦めた30代は、 皆んなこうなのだろうか。


タバコも酒も辞めた。 健康のためじゃない。 いつの間にか、 摂取すると、 気持ち悪くなる、ようになったのだ。 嗜好品が体に合わなくなって、 人生の楽しみが減った。 長生きしたってしょうがないのに。


サブスクに入る金すら惜しいので、 音楽も動画も広告に邪魔されながら消費する。 アプリを開くたびに有料プランを提案してくるので、 先方も厳しいのだろうが、 こちらの(ふところ)事情も深刻だ。 世界が詐欺まがいなビジネスで溢れるのも、 無理はないのかもしれない。


お気に入りのブルーグラスバンドの動画を流す。 陽気なスライドギターと心踊るバイオリンの旋律。 狭くてカビ臭い部屋が、 一瞬にして、 自然豊かなヨーロッパの田舎町に変わった。


ラーメンにカットわかめをひとつまみ。 炬燵(こたつ)テーブルに、 木の鍋敷を敷いて、 片手鍋を乗せる。


「いただきます」


このようにして、 僕は毎朝栄養を補給する。



***



「あぁ‥‥」カレンダーの赤い丸と目が合う。 今日は大事な供養(くよう)の日だった。


リュックに水筒とカップ麺を入れ、 暖房の電源を消した。 僕は肩からクーラーボックスを下げて、 築11 年、 鉄骨2階建てアパートの201号室から、 外へ出た。


ギラギラッ


陽の光が足元を照らす。 妙に嬉しい。 僕は、 狭いワンルームがいかに心を荒廃させるのか、 実験でもしていたのだろうか。 アルプスでも無いのに、 空気が美味しく感じた。


随分と冷えている。 12月。 鉄の外階段を下りる。 雪が降れば、 滑ったり積もったり、 一気に住みづらくなる。 目の前の小さな公園には、 年長さんくらいの子どもと父親がブランコで遊んでいた。 家族を持つ幸せをこの男は掴んだのか、 めでたいな。 国も喜ぶ。


「ハァー」と、 息が白いのを確認して、 僕は黒い軽自動車に乗り込んだ。 以前ネットで検索したら、 最近の車は暖機運転無しでも問題無く走行できるらしい。 ところで、 この中古車は最近の車なのだろうか?


結局、 ギャンブルする気にはならず、 1分くらいエンジンをかけたまま停車させて、 それからゆっくりとアパートの敷地を出た。


なんてことない住宅街を抜けて左折すると、 車通りの多い片側2車線の道路に出た。 桜の並木道。 前方には青色の軽自動車。 初心者マークの横に 『Baby in Car』 のマグネット。 僕は右折レーンへ。 信号待ちで僕たちは隣り合った。 僕には分かる。 左の車を覗いてみる。 運転しているのは佐橋(さはし)太誠(たいせい)、後部座席に由奈(ゆな)ちゃんと赤ちゃんがいる。 太誠と目が合い、 お互いに会釈する。 幸せそうで良かった、 と僕は交差点を右折する。


正直、 寄り道が今日のメインと言っていいだろう。 今月に入って、 まだ本屋に寄っていなかったから、 左折して駐車場に入る。 このエリアは家電屋や紳士服店などが集合しており、 その一区画が書店だ。休日だからか、 混んでいて、 僕が停めたら、 ザッと見た感じ満車になったと思う。 書店に厳しい時代が続いているはずだが、 この店は元気なのだろう。


しかし店内に入ると、 思ったほど客はいなかった。

「おかしいな」と呟いて、 店内を物色する。 新刊コーナーを眺め、 色々想像を膨らませる。 少し前までは、 全く興味が無かったのに、 今では、 装丁(そうてい)の一つ一つに魂を感じるようになっていた。 検索機の前で立ち止まる。 ダメ元で今月も検索してみる。 「ウミヲカ‥‥」 ゆっくり確実に、 誤字無く打ち込む。


〈検索の結果、 その作品は在庫にありませんでした〉


「そうか‥‥」肩を落として、 漫画コーナーに向かう途中、 雑誌コーナーに見覚えのある男がいた。 吉沢(よしざわ)来十(らいと)だ。 見ない間に随分と歳をとった。 カメラの雑誌を手に取って立ち読みしている。 新しい趣味か転職か。 父の影響に間違いないだろうが、 彼なら一流になれる。 僕は彼の背後に回り、 雑誌を盗み見た。


「50万か‥‥」僕はスマホで充分派だから、 写真のために、 そんなに高額な出費をする意味がわからない。


「高いよねぇ」来十が振り返って、 話しかけてきた。 プロレスラーのような、口を囲う髭には、白髪が混じっていた。60歳前後といったところか。


「あぁ、 聞こえてましたか。 失礼しました」僕は頭を掻きながら、 あなたなら一流になれます、 と伝えた。 来十は「面白いこと言うね」と言って、 サングラスに触れ、 また雑誌に目を向けた。


結局、 僕は何も買わずに外に出た。 「今日も無かったな。 もう絶版したのだろう」 しばらく風に当たる。


書店の隣の家電屋から家族連れが出て来た。 台車には石油ストーブ。 彼らは書店の前に停めた車にストーブを載せた。 どうりで書店に人が少ないはずだ。 「ふぅー」 とため息をついて、 書店が無い世界で生きていける気がしない、 と思った。


すっかり冷えた体で車に乗り込み、 次の目的地へ向かう。 また片側2車線の道路に出ると、 すぐに信号に捕まった。 信号待ちをしていると、 横断歩道を村田(むらた)春男(はるお)が小さな女の子を肩車して歩いて来た。 あれが孫の(まな)ちゃんだろうか。 その後ろには美里(みさと)(はるか)陽彦(はるひこ)が歩いている。


「そうか、 マスクを外して外出出来るようになったんだな」


「一歩前進か‥‥」 僕の目から、 じんわりと涙が溢れた。 「良かった。 本当に」


プップーーー


クラクションを鳴らされてしまった。 気付けば青信号になっていた。 危なかった、 と涙を拭って車を走らせる。 次は晩御飯を買いに行く。 15分ほど車で行けば鮮魚センターがある。




紅白で 『大漁』 と書かれた、 のぼり旗が8本並ぶ行きつけの店に到着。 運良く出入口近くに駐車出来た。 今日は安い品物があるだろうか。 クーラーボックスを肩から下げて、 店内に入る。


『やーすぃよー安いよぉ。 やーすぃよー安いよぉ』 店内ではBGMのように景気の良さそうな声が再生されている。


魚を(さば)いたり、 会計を担当する人が店の中央に集まって、 周りを囲むように新鮮な魚介が並ぶ。 冷凍の食品や刺身、 干物などはスーパーの鮮魚売り場と同じように陳列されている。 ここに来ると僕は元気が出る。 用がなくても近くに来ればついつい立ち寄る。 高くて何も購入しないこともしばしばだ。


「すいません!この中で1番身が詰まってるの選んでください!」と若い女性が大きな声で店員を呼ぶ。 齋藤(さいとう)だ。 相変わらず見た目に反して声が大きい。 横には倉木(くらき)がいる。 2人でカニを食べるのだろうか?


「やっぱ、 カニ剥くのめんどくさくない?」倉木はカニパーティーに後ろ向きなようだ。


「カニを食べる時、 皆んな無心になるでしょ?つまり 『メッセージが無い』 の!!はい、 倉木くんの大好物〜!」齋藤は倉木を指差しておちょくった。 倉木は噴き出して、 膝に手をついて笑っている。 どうやら無邪気な女性はモンスターの扱い方をマスターしたようだ。


なーんだ、 僕が思っているより2人は良い感じなのかもしれない。 そして僕はニヤニヤしながら寿司コーナーに足を運んだ。


「10貫で1680円。 ん〜」よく来店する割には、 値段の相場を毎度忘れてしまう。 マグロは食べたい。 久しぶりの寿司にマグロは欠かせない。 が、 外食じゃないのに一食で1000円以上は贅沢だ。 いや、 今日は供養の気持ちを込めて、 いつもより高くても仕方ないだろう。


「あぃ!毎度ありがとうございます!」 ねじり鉢巻の店員が江戸っ子みたいな声を出した。



***



僕は来た道を引き返して、 アパートの近くにあるコインランドリーにやって来た。 ここが今日の目的地。 寄り道をしなければ、 1時間もしないで、 やることが終わってしまうところだった。 しかも徒歩で。


「あの時代には墓は無く、 一般的に、 焼却された後の骨は砕かれ、 花壇の肥料となった。 花の世話は、 S極の中でもごく一部の人間が担当した」 僕は独り言を呟いた。


コインランドリーの前で手を合わせる。 「君が納得する形で終わらせたつもりだよ」


車に戻り、 後部座席を倒してテーブルにした。 カップうどんに水筒のお湯を注ぐ。 タッパーに入れたネギは、 クーラーボックスのお陰で、 冷えていた。 供養のため、カウンターを意識して、体は車外でうどんは車内の立ち食いスタイルで5分待つ‥‥。


「寒ぃ」


冷え性の僕は、 うどんにネギを大量に入れると、 割り箸を持って、 コインランドリーに入った。 店内には、丁度良い椅子が出入口側の壁に沿って並んでいる。 そしてどデカいテーブルが洗濯機の側にあるが、 汚しても悪いし、 流石に使うのは忍びない。 折衷案(せっちゅうあん)で、椅子だけお借りすることにした。


しかしここまで順調に来ていたが、 トラブルが発生した。 困ったことに、 店に入った瞬間からずっと視線を感じるのだ。 痛いくらいの視線。 僕はゆっくり右を向いた。 なんだ、 傘太(さんた)深夜美(みやび)じゃないか。 まさかこんな所にいるとは。


「ヤバっ、 アイツうどん食うつもりだ」深夜美の心の声は丸聞こえだ。 うどん星人だ、 と傘太の肩を揺さぶっている。 僕は、 相変わらず深夜美は最高だな、 と感心している。


「静かにしろ。 ヤバい人とは関わるな」傘太はかなり警戒している。 2人は毛布か何かを洗濯しに来たようだ。 既に乾燥の段階にきている。


ビリビリッ


5分経ったので昼飯にする。 「いただきます」


ズルズルッ


「マジで食ってるよ。 撮って良いよね?アップして良いよね?」深夜美がスマホを取り出す。 傘太は「怖すぎる、 やめとけ」と制止する。


「お2人はどういうご関係ですか?」僕はネギを口の中でジャキジャキさせながら、 質問した。


「え、 あ、 すいませんでした」深夜美がスマホをジャージのポケットにしまう。


「ど、 どうぞ、 食べて下さい。 邪魔しませんから」傘太がキャラでも無いことを言うので、 僕は悲しくなった。


「君はもっと大胆不敵な男のはずだよ。 僕が聞いてるのは、 2人の関係だ」僕は割り箸で傘太を指差しながら、 もう一度(たず)ねた。


「あ、 幼馴染です」傘太は直立不動で答えた。 この馬鹿な回答は、 僕の怒りの沸点を優に超えてしまう。


「はぁ!?まだそんな感じなの!?いい加減にしろよ!!」 僕はカップ麺を隣の席に置いて臨戦態勢に入った。


「その子よりお前を大事に想ってる人間なんて、いねーからな!!!」 僕は鈍感過ぎる傘太にストレートな見解を述べた。 いや、 怒りをぶつけた。


「は?」傘太はポカンとして深夜美の方を見る。 深夜美は両手で顔を隠してしゃがみ込んだが、 耳が茹でダコのように真っ赤になっていた。


「いつまでも時間があると思うな」捨てゼリフをバシッと決めると、 僕はまたうどんを啜り始める。 油揚げが最高に美味い。


ピー、 ピー、 ピー


洗濯が終わったらしい。 2人は斜め下を見ながら、 そろそろと歩き、 黙ったまま毛布を回収した。 そのまま、 そろそろと出入口まで来ると、 まず傘太が毛布を抱えて外に出た。 深夜美は僕の前で立ち止まると、 控えめに拳を突き出してきた。 僕が拳をコツンと当てると、 深夜美はそろそろと外に出た。


僕はジャキジャキとネギを頬張りながら、 彼らの車を目で追った。 こころなしか、 運転席の傘太の顔が赤く見えた。


ズズーーーー


プハッ


「ご馳走様でした。 南無阿弥陀仏」



***



時が過ぎるのは早いもので、


あっという間に晩飯時。 外は雨。


カーテンを閉め切っても聞こえる、 空がぐずる音。 このまま、 ずっと雪は降らなくていい。


寿司が最高に美味い。 もう寿司屋に行く必要無いな、 と僕は思った。 きっと今頃、 倉木と齋藤はカニを無言で食べているのだろう。 思わぬ形で幸せを分けて貰った。


「書いて良かった」


テレビを観ながら、 コンビニで買った日本酒とスモークチーズで晩酌を楽しむ。 バラエティ番組では、 芸人が過剰なリアクションで、ご当地のご飯を食べている。 僕は、 この番組で紹介された店に行ったことがある。 が、 大したことがなくて、 ガッカリした経験がある。 まぁ嘘をつくのもプロの仕事なのだろう。 ともあれ僕はこの芸人が好きだった。 人を傷付ける笑いの取り方は決してしない男で、 尊敬できると思ったのだ。


カチャカチャ


玄関から変な音がする。 「誰だ!」 とデカい声で威嚇(いかく)すると、 隣の部屋から 「ドンッ」 と壁を叩かれた。


ガチャッ


ドアが開くと、全身黒ずくめで、顔を隠した男が押し入って来た。 右手にはナイフを握りしめている。


「まずは住人を殺せ!金目のものは後で探せ!」という声が(かす)かに聞こえた。 黒ずくめの男は誰かに指示されて動いている。 これって闇バイトってやつじゃないのか。


「こ、 こんな事しても、 すぐ捕まるぞ」銅鑼(ドラ)を乱打するような鼓動が指先まで伝わって震える。 息が苦しい。 座ったまま動けない。


「うるせー!!お前のことなんか知るか!!」ニットの目出し帽から目がギョロッと覗く。 血走った目というものを僕は人生で初めて見た。 覚悟と狂気に満ちた瞳は、 彼の絶望的な人生の結末を()()させた。


「おいっ佐藤!怒鳴るな!周りに気付かれるだろ!」 黒い男のイヤホンから漏れ出た名前に僕は戦慄(せんりつ)した。


「さ、 佐藤なのか!?」 正直、 言い方は悪いが、 日本に佐藤なんて腐るほどいる。 だが、 僕は確信した。 彼は僕の知ってる 『佐藤』 なのだ。


「はっ?お前誰だよ?」佐藤から伝わる、 動揺と躊躇(ちゅうちょ)。僕は知っている。 皆んな僕のことを知らないということを。


「顔を見せてくれないか?」確信はあるが確認がしたい。 今どんな状況なんだ?なぜこうなった?僕が悪いのか‥‥?


「見せるわけねーだろ!」佐藤は絞り出すように怒鳴った。 土足のままフローリングに上がる。 強制された狂気を僕は初めて目撃した。


「佐藤、 君の誕生日は、 なぜあの日なんだと思う?」僕は彼を傷付けないよう、 優しく訊ねた。


「意味わかんねーよ!殺すぞ!」 振り上げたナイフを持つ手が震える。


「なぜ誕生日が母の日なのか。 それは母と子を同じ日に祝福できたら良いな、 と思ったからなんだ」僕の言葉に佐藤は後退りした。 純粋な反応を見て、 胸がジーンとくる。 佐藤の物語が脳を駆け巡った。 ()()()()。目頭が熱くなる。


「『母の日に花束くれたでしょ?』 じゃなくて 『誕生日に花束くれたでしょ?』‥‥‥にすれば良かったのかなぁ?」僕は涙を流していた。 後悔の涙だった。


「君はちゃんと愛されてる」佐藤の目をじっと見つめて、 こう続けた。 「あの日のことを‥‥」


呼吸を整える。


「思い出してくれないか?おじさんがくれた 1000 円分の花た‥‥」


「ゔぁぁぁーーーーーーー!!!!」苦痛の叫び声を上げると、佐藤は激しく(うずくま)った。床に大穴が空いて、 奈落に落ちた感覚だった。 彼の感情を表す様に、 雨が一層強くなった。


「逃げろ!優帰!!」 彼の名前は佐藤(さとう)優帰(ゆうき) 、〈優しさに帰る〉 で優帰だ。


「傘だけ持って行きなさい。 こんな事二度とするな。 僕は通報しない。 逃げるんだ」 顔を上げた優帰のマスクは涙で濡れていた。 そして彼は何も盗らずにドタバタと逃げ出した。


玄関は優帰が蹴つまずいた革靴がストッパーになって、 (わず)かに開いている。 何も考えられず、 1分ほど経っただろうか。 僕は操られているかのように、急に立ち上がり、 走り出す。 サンダルを乱暴に履いて、 そのままの勢いで、 外階段を駆け降りた。 雨に濡れながら駐輪場へ。 僕のママチャリ‥‥。


ポケットに手を突っ込む。 「鍵‥‥」 支離滅裂な思考回路は、 外気の冷たさで落ち着きを取り戻して来た。 あぁそうだった。 僕は自転車を持っていない。


すると無に感じていた周囲の音が帰ってくる。


バラバラバラバラバラバラバラバラッ


駐輪場の屋根を雨が激しく叩きつけている。


「痛くないのか?」 屋根に話し掛ける僕はかなりイタイやつだった。 これからやらなきゃいけないことがある。


「ごめんね。 君には僕のストーリーを詰め過ぎた。 気が付いたら暗くて窮屈な人生になっていたね」


吉沢来十は罪を背負って一生を過ごす。 しかしその精神的な閉塞感をこじ開けるような、 里志(さとし)松形(まつかた)さんの存在がいるから、 彼は救われる。


村田陽彦には、 家族と(みさき)がいる。 彼は元来の明るさを取り戻しつつある。 一歩ずつ変わっていけば良い。


倉田は齋藤と出会って素直な生き方を学び始めた。 今日見た限りでは、 案外、 お似合いなペアにも見えた。


美濃(みの)澪而(れいじ)には、 坂田(さかた)梨無子(りなこ)がいた。 歪んで真っ暗な世界にいても彼らには愛の力があった。


僕は闇に堕ちていった、 佐藤に、 希望を見せてあげたいと思うようになった。 一度は失敗したが、チャレンジしてあげたい。


スマートフォンのメモアプリを開く。 先頭にタイトルを記入する。 『優帰』 と打ち込んだ。 いつもならタイトルは最後か途中で決める。 今回は特別だ。


今日1日、 摩訶不思議(まかふしぎ)邂逅(かいこう)だった。


それにしても、自分の世界に取り込まれるなんて、僕はきっとナルシシズムに取り憑かれているのだろう。 鏡は相変わらず好きにはなれないが‥‥。


ーー永遠に感じる待ち時間。 話すことも特にない。 きっと見透かされている。 将来を棒に振る気でいること ーー


僕が病院の待合室で考えることだ。


これまでの作品をまとめて短編集にしようと思ったのは、確か『いつか迎えに来るよ』を執筆中の時でした。理由は、色々と書いている時に、ふと思ったのです。『予感』がダントツで暗すぎると。


私は自分の作品が完成したら、時々読み返すのですが、『予感』に関しては、自身のトラウマが含まれるため、読むのに勇気がいります。


このままだと、愛着はあるけど、愛せない作品になるかもしれない。そう思い、佐藤の舞台を新しく用意してみました。そして、折角だから、他作品のその後も描いてみたのです。傘太は相変わらずでしたね。


私がよく聴いているshakey gravesさんの曲に『Look Alive』という曲があるのですが、このタイトルを翻訳して、ストーリーが思い付きました。「生きているように見える」がヒントになった訳です。ちなみに私の英語力は中学生レベルです。歌詞の内容は一切分かりません。


ではでは、短編集の完結もぜひご覧になって下さい。またね。


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