九十一日目
用水路の水。アスファルトの陽炎。セミの鳴き声。
俺は、今日、決着をつける。
ピン、ポーン。
「ゆうかー。入るよー?」
開きっぱなしになった玄関に自分の声が少し響いて、すぐさま消えていった。
「……んで、読んでどうだった」
そう言って彼女はベッドのとなりに座った。
上から見下ろすように見ていたからか、シルエットがいつもより小さく見えた。
「いや、別に、なんも」
俺がゆうかの家に来たのは、タクミについて知るため。
でも、なんとなくわかってたけど、桜とか俺の親が言ってた内容と全く一緒だった。
ただ、一つだけ。
「……なんで800文字しか書いてないの?」
「え?」
「他のやつは全部1000超えてるじゃん。もしかして続きが――」
「大翔」
その時、ゆうかは今まで見せたことのない顔をした。
どんな顔だっただろうか。
よく思い出せない。
「その先は、知らねぇ方がいい」
彼女からは、人間が表現できる領域を超えた、ナニカがあふれ出ていた。
でも、それには気づかないふりをして、俺は正直に聞きたいことを聞いた。
ゆうかという人間を、受け入れるために。
「……ゆうかって、サイコパスなんでしょ?」
サイコパス。
感情の一部が欠落している人を指す。
「…………」
彼女は何も言わなかった。
その姿はまるで、猫が獲物をじっと見つめているようだった。
俺は緊張しながらも、話を続けた。
「お前は、ずっと、人の不幸ばかり望んでた」
内側から、なにか込み上がってくるものがあった。
憎悪? 怒り? いや――
「ずっとそうだった。物語風に日記を書けって言った時、言ったよな? 『普通の人に近づくには日記が一番』だって。そして、桜を使って、俺が普通の人間に近づこうとするように仕向けた」
わからなかった。
俺の中の、ナニカ。
頭では救おうとしているのに、そして、救うためにこんな言葉を吐いている場合じゃないのに、止まらない。
矛盾に満ちた、自分の知らない自分。
「でも俺は結局、普通の人間になんて成れなかった。人間の心得のときも、心理学のときも、俺にずっと助け舟を出してるように見せて、でも、心ではバカにして笑ってたんだろ?」
ほっぺに違和感を感じて、なにかと思って指でなぞったら、水だった。
なんということだろう。
俺は、泣いていたのだ。
「……なんか言えよ! 疫病神!」
今まで俺が、どれだけ目をそらしてきたか。
あの物語に出てくるゆうかがあまりにも完璧で、でも、俺自身がそれに何度苦しめられたか。
その溜め込んだすべてが、一気に流れ出るように言葉になった。
「うぅぅ……なんでなんだよ……」
俺の声が段々と勢いを失っていった。
彼女も目頭を押さえて、なにかを必死にガマンしているようだった。
「尊敬、してたのに…………」
そうして俺はとうとうこらえきれず、その場にうずくまってしまった。
「……ほらよ」
そう言って、ゆうかは床に転がっていたタオルを頭に置いた。
「うううぅぅぅぅ…………」
余計に涙が止まらなくなった。
「……大翔、人間っぽくなったよな」
泣き止んで一言目にそう言われた。
「前までの大翔だったら、俺に怒ったりとか尊敬したりとか、絶対しなかった。オレのことも別に『そういうやつも居るんだなー』っつって、放っておいただろうし」
たしかに。
思わず口からそう言ってしまいそうになるほど、俺は同感した。
さっきまで吐いていた言葉は、100%感情に任せた、論理的もクソもない、純粋な「悪口」だった。
それはまるで、俺の目指した、「人間らしさ」そのものだった。
「変われるんだな、人間って」
彼女は俺以外に向けてそう呟いて、俺のとなりで同じように体育座りをした。
手には、一枚の紙。
「……これ、続き」
俺はビシャビシャになったタオルの乾いたところで手を軽くふいて、その作文用紙を受け取った。
「オレはタクミのことを殺したんだ」
読み始める前に目に入ったその一文が、焼き付いて、いつまでも離れなかった。
(拓実について。その2)
『……いや、本当のことを話そう。
オレは拓実のことを殺したんだ。
あの時、拓実とした会話は、今でも鮮明に覚えてる。
「え? 目を?」
そう、オレのひみつを見せるから、それまで目をつむってて。
「ここで?」
そう。いいって言うまで開けないでね。
「もちろん!」
……信じてくれる?
「えっ、もしかして、開けろっていうフリ?」
ちがうちがう、ただ……
「なに?」
なんでもない。
「……いつもそうやって、ごまかすよね」
え?
「まあ、ゆうかの考えてることなんて、僕には理解できないよね」
…………
「ごめん」
――彼の最期の言葉と同時に、オレは思いっきり背中でタックルして、階段の上から拓実をつき落とした。
すぐに警察が来たけど、オレの証言によって事故になった。
「君、大丈夫だった?」
オレはその時どんな顔してたんだろう。
ひどい顔だったかな。
いや、きっと、笑っていたんだと思う。
母さんのときと同じように』




