六十九日目
朝、チャリを漕いで向かったのは、映画オタクの家だった。
「うち誰もいねーから入っていいよ」
インターホンを鳴らすと、ガサガサとしたノイズと一緒に、彼の声が聞こえた。
「お邪魔します」
そう言って、俺はカギの掛かっていないドアを開けると、ひんやりとした空気が身体に当たってきた。
そういえば、電話のときに聞こえてくる声は、実は全て作られた本物そっくりの声だと、何かで読んだ気がする。
インターホンもそうなのだろうか?
じゃあ、さっき玄関で聞いた声は、一体何だったのだろうか?
「よっ」
そんなことを考えながら、俺は二階にある映画オタクの部屋まで歩いていき、中に入った。
「おっすおっす」
彼はテレビとにらめっこしながら、口だけで俺を出迎えた。
「いいとこだから、ちょっと待って。散らかってっけど」
彼の部屋にはいつも、レトロゲームのカセットが足の踏み場もないほど転がっていた。ただ、彼が言うには、「数個だけをやり込んでいるから、ほとんどのカセットはちょっと触っただけ」なのだそうだ。
片付けないのか、と聞いたこともあったが、どうやらわざと散らかしているようだった。
「なんか、画になるだろ」
カッコ良くそう答える彼を見て、映画好きならではだな、と納得したのを今でも覚えている。
彼はゲームを終えると、電源を落として、リモコンでテレビの入力を切り替えた。
真っ暗な画面に、突然、映画のタイトル画面が写し出された。
空白。
俺は、この瞬間が好きだった。
衝動買いした小説の一ページ目をめくるような、ワクワクする瞬間。
「上映開始」
彼はそう言って、部屋の電気を消した。
月曜日の、午前九時。
映画オタクによる特別ロードショーが始まった。
映画を観たあとは、ゲームをしたり、学校に行って宿題をもらってきたりした。
映画の感想も言い合った。
「空白……」
「いろんな意味で、空白が散りばめられてた」
「え?」
「って思わん?」
「んー、なんかよくわからんかった。結局どっちが悪いのか、はっきりしないまま終わったし」
「それがいいんだよ! そうやって、事実に空白を残すことで、観る人に考える余白を持たせるんよ」
「なるほど…………なるほどね。うん」
「……じゃあ、何が真実だったのか、予想しようや。ヒロトはどっちが悪かったと思う? 店長か、女の子か」
「え、女の子じゃないの?」
「じゃないかもしれないじゃん」
「え、俺は百パー盗ったもんだと思ってた」
「まあ、実際それが映画の中での設定だろうから、正しいっちゃあ正しいんじゃない? ただ、店長が結局大事なこと何一つ話さなかったから、実はめっちゃロリコンの可能性も無くはないよねってこと」
「そっか。なるほど」
「考察だから、何でも言い放題だけどね」
彼は映画の中でも、なぜか、あまり映画館で上映されなかった作品を好んだ。
それらのほどんどは、とても残酷だと思った。
アニメのような非現実的な設定は無く、ありのままの世界で、人間達がただひたすらに戦う。戦う相手は、具体的でないもの。社会とか、自分の心とか、プライドとか。
あまりにも、リアルすぎると思った。
「しかしまあ、登場人物がリアリティありすぎて、なんか嫌だったなー。生々しいっつーか、なんつーか」
いや、それは決して悪いことじゃない。
「知らず知らずのうちに、俺らもああいう大人になっちまうんかなーって」
ただ問題は、そのリアルを理解できない、俺にあった。
「不安」
「ん?」
「不安?」
「……不安っつーか、気をつけようって感じ。さっきの映画に出てきた大人みたいにはならんようにしようって」
彼は、分かってない。
上には上がいるように、下には下がいることを。
「じゃあ、また明日、学校でな」
俺は、そう言って無邪気に笑う彼を、不憫に思った。




