六十六日目
人間の心得
・人の話を聞く(桜)
・TPOに合わせた行動をする(ゆうか)
・笑顔でいる
・人を疑わない
・人を見下した笑いをしない
・友達を気遣う
・自分が悪くない時に「ごめん」と言わない
・悪口を言われたら嫌がる
・
最近できたばかりの、チェーンのコーヒーショップに初めて行ったが、そこは高校生や大学生でほぼ満席だった。
五分ほど並ばされたあと、ようやく注文までたどり着いたかと思ったら、よくわからないカタカナばかりのメニューを見せられて、
「ご注文は?」
……もう、何が何だかわからなかった。
幸い、ゆうかが手伝ってくれたから、注文自体は完了できたが、自分が何を注文したかもわからないというのは、何だか不思議だった。
彼女は、抹茶フラペチーノ、というのを頼んだそうだ。運ばれてきて、俺はその七百円以上する緑色の飲み物を、価値を噛みしめるように、この上なく丁寧に飲んでいった。
本題の「人間の心得」だが、ゆうかは見て十秒も経たないうちに「だめだ。止め止め」と言って、それを机の上に放り投げた。
「目の付け所が、非常識すぎる」
「……どうも」
内心、そんなひどい言葉をよく思いつけるな、皮肉か? などと思っていた。数秒経って、彼女が真剣な顔でこちらを見ているのに気づいて、俺はようやくこれが冗談ではないことを悟った。
「はぁ」
彼女の口からため息がこぼれた。
「いいか。まず、悪口を言われたら嫌がるってなんだ? 悪口は言われたら嫌だろ」
「え」
「え?」
このとき、俺もゆうかも、同じことを思っていたのかもしれない。
あれ、これオレがおかしいの? と。
多分、ゆうかや桜は、悪口を言われて、嫌な気持ちになることができるのだろう。
俺は小学校で毎日のように悪口を言われていたが、そんな気持ちには一度もなれなかった。ただただ、「暇なんだなー」と、そいつらを可哀想に思っていたのだ。
「いや、え、そっからか……」
薄々感づいてはいたのだ。このリストに、悪口を言われたら嫌がる、と書いていた時から、自分がどれだけ非常識で、異常で、そして――
「人間をするのが下手だ、って思ったでしょ?」
彼女は、こちらを静かに見たが、何も言わなかった。
窓の外はいつの間にか真っ暗で、店内の制服姿も数えるほどしか見当たらなかった。
彼女の方を見ると、まだ、こちらをじっと見ていた。
観ていた。
そして、突然、彼女の目が閉じられるとともに、口が開かれた。
「オレは、普通だよな?」
俺に質問しているような、でも、自分自身で確認しているような、そんな口調だった。
「でも、この普通は、オレ自身で確立したもんで、取り戻したわけで……でもそれは、もともと普通だったからできたわけで……いや、そうと決まってるわけじゃねーし…………」
彼女の額から、汗が一滴。
俺は、ゴクリとつばを飲み込んだ。
彼女は、明らかに何かを恐れているようだった。
俺には彼女の言動が何もわからなかったが、何かを怖がっていること、それだけは、伝わってきた。
彼女には一体、何が視えていたのだろうか。目を閉じて、思考の世界に飛び込んで、一体何が彼女の心を動かしていたのだろうか。
「よし」
そして、目が開かれた。
「ヒロトは、普通で、いい人になりたい、ってことで合ってる?」
彼女は、見れば見るほど、研究者のようだった。鋭い眼光が、俺という対象を、観察して、分析して、研究しているようだった。
「日記を見られて、それで、人が離れることがないようにしたい」
俺は、なるべく簡単に、そして、正直に答えた。
「…………うーん。まあ、あんなのはアクシデントだから、しょうがねーよ。まあ、とにかく、普通になるには心理学を学ぶのが一番だと、オレは思う」
「心理学?」
「そう! 心理学。ちゃんとしたやつ習うのは大変だから、まずはテキトーにネットで、『心理学 感情』みたいに調べてみたら?」
彼女はなぜか、少し嬉しげな様子で言った。
「正直、オレもそんな詳しくねーから、あんまりえらそーにオススメできねーけど、まあ多分、少なくとも、このリストよりは役立つっしょ!」
そう言って、彼女は机に放置されていた紙を叩いた。
「ゼロに何掛けてもゼロだから、無限倍役立つと思う」
俺がそう言うと、彼女は吹き出して笑った。
「たしかにな! ってか、そんなに役立たなかったのかよ!」
「はははは。そうだよ」
そうして、本格的に笑い始めた彼女を見て、俺はなぜか、自殺しようとした日を思い出していた。
そういえば、彼女のような他人のおかげで、もう一度、人間らしく生きようと思えたのだ。
彼女を、ユイの時のように、失うわけにはいかない。




