五十九日目
今日は授業参観があった。
うちの母親はなぜか、授業参観を楽しみにしているようだった。朝から「今日授業参観だよね! 服は派手な方がいい? あっ、髪、パーマかけようかな」と、永遠と口を動かしながら化粧をしていた。
母親は、長男の俺を二十歳の時に産んだので、まだ三十半ばだった。そして、ただでさえ若いのに化粧をゴリゴリに盛って、赤いワンピースを着て授業参観に来て、目立ちすぎるとは考えなかったのだろうか?
俺は、すごく恥ずかしかった。思い出したくもない。
一分に一回、いや、三十秒に一回ぐらいのペースでクラスの誰かが後ろをチラッと見て、そのたびにコソコソと何か話してる声が聞こえて、もう、授業どころではなかった。
家に帰って、俺は、日記を見返していた。
最初の方のことは、鮮明に覚えていた。
あの時は、自分以外の人たちが、自分の知らない不気味な生命体に見えていたのだ。怖くて、逃げ出したくて、でもそれを耐えるために、日記を書き始めたのかもしれない。
実は、桜やゆうかや映画オタクにも、最初の頃は少しおびえていた。学校に行くのをやめることも出来たけど、なんだかつまらないような気がして、結局、その身を委ねて見ることにしたのだ。
そう、好奇心に。
今思うと、小さい頃から俺はずっと、退屈していたのかもしれなかった。それを満たすために、色んなことに疑問を持って、どれだけ「面白い」ことで満ちてるかを知って、そして、この世界が退屈じゃない事を証明したかったのかもしれなかった。
その証明は、どうやったら終わるのだろうか。
世界の全てを知り尽くすまでだろうか? 仮に寿命によって死なない体だったとしても、他人の感情のような、自分が知ることができないものは、どうやったら知ることができるだろうか。
頭では分かっても、それは知ったことにはならないのだ。「火を直接触ったらやけどする」と分かっていても、そのやけどがどれほど痛いのか知ることはできないのと一緒だ。
じゃあ、どうする?
俺には自分が狂っていると、分かっているけど、どういう風に狂ってるかは知らない。少なくとも、日記を読み返しただけでは、俺は知ることができなかった。
狂ってるというのは、普通という基準と比べて、ということなのだろうか…………
そうか!
じゃあ、その基準を持っている人に、日記を見せれば、どう狂っているか説明して貰えるだろう。
他の人を頼れば、知らないことも少しは知ることができるのだ。
他人とは、友達とは、彼女とは、なんて便利なものなんだろう。
俺は、早速スマホを開いて、メッセージアプリを起動した。
「明日、話したいことがある」
メッセージを送って、彼女の返信を待った。




