四十九日目
次の日、何食わぬ顔で学校に行くと、俺の机に桜が座っていた。
「おはよう、桜」
「…………おはよ」
彼女は不機嫌そうに小さな声で返事して、それから、廊下の方を向くように顔を逸らした。
またなにか、やってしまったのだろうか。
そうして、彼女が機嫌を悪そうにしていることに気づいて、俺の中に、焦りと、怒りと、諦めが同時に芽生えた。
この次の行動としては、三通り考えられていた。
焦りを無くすために、なんで不機嫌になっているのかを素直に聞くか。
怒りに身を任せて、勝手に不機嫌になるのをやめろと言うか。
彼女たちと関わるのを諦めて、帰宅するか。
「桜」
だが俺は、あえていつもとは違うことをしてみることにした。
「……髪切った?」
彼女は俺が気が付かぬ間に、長髪から短髪になっていた。おかしな話だが、そのことにたった今気づいたのだ。
少し経って、桜の肩が、次第に小刻みに震え始めた。
どうやら、笑っているようだった。
俺はこの目の前の生物に、恐怖すら覚え始めていた。
人間にはなぜ、感情なんてものが備わっているのだろうか。これのせいで、自分たち人間がどれだけ非効率的な行動を取っているか、想像もつかない。
何より――
俺も、人間である限り、その本能には抗えない。
その事実が、少しずつ首が締められるように、ゆっくりと俺を苦しませるのだ。
「ハハハハハハハハハハ」
俺は、おそらく自傷的に、大声で笑っていた。
教室中の視線は、もはやどうでもよかった。
「ハハハハハハハハハハ」
ただ、一つだけ。
俺の心はもう、人間をやりたくないと言っていた。
死のう、と思った。
授業も受けずに、学校から帰ってきた。
もちろん、死ぬために。
ようやく死ねると思うと、少し心が楽になったような気がした。
なんせ、死ねば、感情を無駄なものだと言いつつ、感情を出してしまうこともない。
死ねば、人間と言いつつ、自分も同じ人間であることを肯定したりしてしまうこともない。
死ねば……
「……でも」
そこで俺は、笑うのをやめた。
俺には、唯一気がかりなことがあった。
日記をパラパラとめくってみる。
「完全数。いいでしょ」
「えー、陰キャくんもそうなのー?」
「ヒロトくんは、人の生き死にを語れるほど、偉くないと思う」
桜のこと。
「お前、桜と付き合え」
「やるじゃん」
「桜はオレとお前が気まずくなってるからって、そんなブチ切れたりしない」
ゆうかのこと。
「あのさ、ヒロト、だっけ」
「なんか、人生つまんなそう」
映画オタクのこと。
「おはようございます」
「ヒロトさんとさくらさんって、付き合ってるんですよね?」
ユイのこと。
俺がもし死んだら、これらは悲しむだろうか。
桜はショックで、家から出てこなくなるかもしれない。
ゆうかは学校に桜が来なくて、独りになるかもしれない。
映画オタクは、いい映画があっても、それを共有する相手を失って寂しがるかもしれない。
ユイは、俺の自殺が自分のせいだと思うかもしれない。
そんなこと、どうでもいい。
俺の人生には、関係ない。
全部、勝手な予想だろう。
…………本当に?
庭の方から、セミのなく声が絶え間なく響いていた。
「お前らが、代わりに生きるか?」
聞いても当然、返事は帰ってこない。
「…………そうか」
だが、それがよかった。
俺は、机の上に置かれた、小さな折り鶴を手に取った。
俺は、折れてしまいそうなほど細い首を、優しく撫でて、ホコリを払った。
死ぬのはいつでも出来る。
だから、もう少しだけ、人間として生きるのを頑張ろうと思った。




