四十四日目
ユイはすごく丁寧な人間だった。
消しカスをひとつ残らず集めたり、プリントを綺麗に折ったり、シャーペンの芯を一本ずつ使ったり、とにかく細かいところまで気を配っていた。
それだけでなく、所作ひとつひとつがゆっくりで礼儀正しかった。座る時に制服のスカートがぐちゃっとならないようにしたり、言葉遣いも、同じクラスメイトだろうと、同じ女子だろうと、必ず「さん」をつけて呼んでいた。
俺はなぜ、遠足に行った時に、そういった彼女の特徴に気づかなかったのだろう。
歩くのが遅くてイラつく、などと思っていた自分を殴りたくなった。
「あのさ」
彼女のことを、もっと知りたいと思って、俺は昼休みに聞いてみた。
「なんでそんなに、礼儀正しいの?」
「えっ。そっ、それは……」
「ヒロトぉ?」
すると突然、俺の前の席の女がこっちを振り向いた。
「お前、ユイとそんなに仲良かったっけー?」
ゆうかだった。
「いい度胸してんじゃねーか」
「?」
「?」
俺はユイと同じように、ぽかんと口を開けてゆうかを見た。
言われた俺が一番、意味を理解できていなかった。
「…………おい、ちょっと耳貸せや」
彼女に言われるがまま、俺は彼女に右耳を向けて近づいた。
視線の先にいたユイは、俺らに全く目配りすることなく、黙々と教科書たちを机の中から出していた。
「お前さ、ユイとおめーが仲良く喋ってっとこ桜が見たら、とか考えてねーのかよ」
「どういうこと?」
ゆうかは筒状にしていた手をほどいて、頭を搔いた。イライラしていて、今すぐにでも誰かを殴ってしまいそうなほどだった。
「とにかく、あんま仲良くしすぎんなよ」
ひとまずこう言っておこう、という感じで彼女は俺に耳打ちして、それから、席を立って教室を出ていった。
俺はそれを見ても、別になんとも思わなかった。
いつも通り、俺の分からない喜怒哀楽の基準が彼女らにあったのだ、ということだけ、俺は感じ取っていた。
「けほっ」
不意に俺は、気管に唾を少し詰まらせた。
「ヒロトさん、提案があるんですけど」
ユイがこちらの顔を横から覗き込んでいた。俺は咳き込むながらもゆっくりと彼女の方を向いて、なんとか聞く姿勢を作った。
「一日一個、お互い質問する、というのはどうですか? これなら、さくらさんから見ても、そんなに違和感無く話せるかもです」
俺にはやっぱり、なぜ桜が関係あるのか、理解できなかった。
「けほっ。けほけほっ」
理解できなかったが、それならそれで、そういうものだと受け入れることにした。
「じゃあ、ヒロトさんから、どうぞ」
俺は、さっきしようとしていた質問を、そのまま聞くことにした。
「えっと、けほっ、じゃあ、なんでそんなに、礼儀正しいの?」
「……これは完全に、母の影響ですね。母は小さい頃から、礼儀や道徳といった、人間性に関わることにだけは、特段キビしかったので、だから、多分そのまま身体に染み付いているんだと思います」
彼女の返答は、まるでテストの回答のように、堅苦しいものだった。おそらく、さっき俺がゆうかと話している間に、なんと答えようか考えていたのだろう。
「さあ、次は私の番ですね」
彼女は、軽やかにそう口にした。
「ゆうかさんって、いい人だと思いますか?」
「え? うん」
俺は反射的に頷いた。
彼女のことを、俺は悪い人間だと思ったことが無かったから。
だから俺は、頭のいい彼女のことを尊敬してるし、彼女と仲良くなりたいとも思っているのだ。
本当に。
「……そうだよね」
彼女は俺が頷くと驚いた顔をして、それから、下を向いて、か細い声でそう言った。
「私、勝手に疑ってた……」
「ん?」
「いやね、聞いてください! なんか、ゆうかさんとこの前話してた時に、急に、口元隠さないでって言われたんです。で、私ふざけて口元隠したりしてみたら、ゆうかさん結構怒り気味でやめてって言ってきて、実はヤバい人なのかなって思ったりしたんですけど。でも、ヒロトさんがそんな即答で良い人って言うなら、間違いないですね!」
彼女は、普段よりも言葉遣いを荒くして、今までの不安や不満を吐き出した。
「大丈夫。ゆうかは良い人だから」
俺は、彼女にそんな言葉しかかけられなかった。
なんて無責任な「大丈夫」だろうと、自分で言いながら思った。
それにしても、口元を隠すと怒るというのは、不思議だった。
明日の朝、聞いてみよう。




