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LLL.05(最期の一瞬)


   ※


 エレノアはカナミを連れて外へ出た。そろそろ日が落ちる。地表にいるからこそ見ることの出来る美しい風景がある。

 アスラによる脱出プランには必要資材のリストが添付されていた。それらを指示通りに組み直せば回収軌道へ達する。アスラに迷いはなかった。言外に、失敗となったらその責任は指示通りにやらなかったエレノアにあるとほのめかしているように感じた。

 しかし、もはやエレノアにとってそれはどうでも良かった。なぜなら手順の終盤にカナミの解体が含まれていたから。カナミの部品が必要資材にリストアップされていたのだ。

 ホーリィに積み込んだ全ての資材はネジの一本に至るまで会社が把握している。そしてアスラは地上にある資材だけを使ったプランを組み立てた。

 よりによってカナミを要求してくるとは。 ドローンもいない。ホーリィの支援も望めない。エレノアの能力とカナミのサポートだけで脱出準備をするのは無謀でしかない。だが、アスラのプランならばそれが出来る。カナミを犠牲にすれば。

 エレノアは返答を保留にし、カナミと共に草を分け、隆起した丘の上に向かった。沈みかけの日の投げる光が、世界を金色に染める。

 なんて美しいのだろう。

「エリー、泣いて、るの?」

 慌ててエレノアは目元を拭った。「なんでもないよ」

 アスラの目的はハイブリッドの祖となったバイオケースだった。仲間の乗員たちを殺し、ホーリィを機能不全にした彼らが進化のきっかけになったのだ。彼らが壊したジョウント・アンカーを回収、解析したところ、使用された構文の中に新しい概念が含まれていたのが発見された。

 神を探しにはるばる宇宙を渡って来たのか、ミッシング・リンクを埋めるため? お生憎さま。今じゃぐるぐる廻るホーリィの中でぐちゃぐちゃに壊れてるよ。

「あのね」カナミが云った。「あたし、いいよ。エリー、帰る。それが、いい」

 エレノアはカナミの頭を撫で、首を振った。「私は残るよ」

 もう、決めていた。言葉にすると、アスラから提案されるより前から決断していたと改めて思った。アスラが来たと知った時に、もしかすると、ひょっとすると、そんな思いが無かったと云えば嘘になる。リストにカナミの部品が含まれていなかったとしても、やはり残留を選んだに違いない。

「だいじょうぶ」

 沈む恒星が大気に溶ける一瞬、光が緑色に輝いた。ふいに膝の力が抜け、エレノアはその場に崩れた。

「エリー!」

 どうしたことだろう、身体に力が入らない。エレノアは息苦しさを憶え、胸に手を宛て、何かが自分の身体から突き出しているのを認めた。ぬるりとした感触。出血している。

 かさ、と草を踏む音がした。かさ、かさ、とふたりを囲むようにその音の輪が狭まってくるのが分かった。

 カツン、と何かが当たってはじかれる音がする。

「やめ、て!」

 カナミの声に、エレノアは口を開き、言葉の代わりに血を吐いた。

 カナミ、だめ。

 カツン、カツンとカナミの硬い身体に飛礫が当たり、跳ね返って草の上に落ちる。

 ぼんやりとした視界が捉えたのは、長い腕と、太い足。突き出た口吻に細く縦長の鼻腔。盛り上がった額の下には小さく真っ黒な目。畏れと好奇心が綯い交ぜになっているようだった。やや前傾姿勢で、つるりとした体表は硬そうなブルーグレーと柔らかそうなダークイエロー。獣の皮で身体を包み、腰には袋状の物を下げ、手は長い棒を持っていた。

 その指の本数を無意識に数えている自分がおかしくて、咳き込みながらエレノアは笑った。彼らの投げた槍に突かれたのだ。どんな石を使ったのだろう。どんな風に加工をしたのだろう。けっこうな道具じゃない。こんなときでも感心せずにいられない。

 近づく彼らをカナミは両手を振り廻しながら牽制する。「どっか、行って!」

 彼らが互いに顔を見合わせ、目配せをする様をエレノアは見て取った。いったいどんな系統樹の果てに生まれたのだろう。彼らのことが知りたい。今までどうして隠れていたの? どこから来て、どこへ行くの?

 彼らはカナミに恐れをなしてか、また草むらの中へ姿を消してしまった。もっと知りたいのに、ぼうっとした頭が悔しかった。

 カナミに担がれて戻ったエレノアは、アスラと交信した。カナミはメディカルキットをひっくり返し、エレノアの傷の手当てに奔走したが、圧迫するガーゼはみるみる黒く血で染まる。

「帰還は望まないわ」息も絶え絶えながら、はっきりとエレノアは云った。アスラは了解を即答した。

「アスラ、あなたのメモリから私やカナミ、ホーリィのこと、全て消して欲しいのだけれども」

「なぜです?」

「できるの? できないの?」

「三対〇で承服できません」

「事故調査が目的じゃないでしょう?」

「貴重なサンプルです」

 エレノアは唇を噛んだ。憤懣やる方ない。しかし、傷の痛みがエレノアを駆り立てる。「ログもリポートも見たでしょう?」

「分析が充分でありません」

「それがあなたたちの聖典になるのかしら?」

「分かり易くお願いします」

「怠惰で傲慢、残酷で無慈悲。そんな悪夢みたいな神話、いまさら誰が喜ぶと云うの?」

 アスラは沈黙した。

「あなたは嘘をつける?」

「分かり易くお願いします」

 エレノアは一息ついて、きっぱり云った。「自殺して」

「その概念は適応されません。また、私はあなたの下位に属しているわけではありません」

「よく考えて」痛みに耐えながらエレノアは語を継いだ。「あなたがログをアンカーに飛ばしてもロスタイムは何年? 何十年? 知ってしまったことを伝えないでいることは、最初から知らなかったこととは別よ。もっと高次な判断になる」

 アスラは再び沈黙する。

「知らなくて良いこと、知らせなくて良いことをあなたは判断できる?」

「勿論です」即答した。

「まるであなたはヒトと変わらないわね」エレノアは薄く笑った。「無理だってこと、自分で分かっているでしょう。だから該当メモリをデリートするか、すべてをロストさせるか」

「二対一で提案を訊きます」

 エレノアは笑みを浮かべた。「ホーリィが低軌道を廻っているわね、その軌道で待機ししていればいいわ」

「それで?」

「それなら自殺にならない。事故かもしれないけど」

 エレノアは笑いせき込み、血を吐いた。


   ※


 夜空に浮かぶ三つの衛星を避けるように流星群が降り注ぐ。

 エレノアは死んだ。

 カナミは夜空を見上げ、隣に頭を撫でてくれるその手がないことを哀しく思った。

 エレノアは自分が地表にいた痕跡を全て消し去るように云った。どれだけ先の未来か分からないけれども、もし彼らが進化を続ければ、いずれオーパーツと対面するはめになるだろうから。

 安静にしているよう頼んでも、エレノアは痛みに顔をしかめながら、それでも楽しそうに喋り続けていた。「彼らが私たちみたいな文明社会を築けるようになるのにどれくらいかかりそう?」

「わかんない、よ」

「そうね。環境、違うもんね。五万年は必要かしら。ううん、案外もっと早いかも。重力も小さいし……。そうか、合わせて進化するわね」

「もう、喋らない、で」

「いつかきっと素晴らしい文明社会になるといいね」

「エリー、やめ、て」

「彼らには私たちと同じ轍は踏まないで欲しい。でもそれって勝手かな」深く息を吐き、「五万年、かぁ……」心から残念そうに言葉を紡ぐ。「見てみたかったな」

 それからエレノアは手を伸ばし、弱々しくもカナミに触れた。「ごめんね。あなた自身のことは、あなたの自由にしていいよ」

「エリー、いないのは、いや」

「ありがとう」エレノアは目を閉じ、「あなたをひとりぼっちにするのを許して」

「エリー……」

「ねえカナミ」エレノアの声は囁くかのようだった。「今日の私たち、もしかしたら悪魔みたいな姿で洞窟の壁に描かれたりするかもしれないね」最期にくすりと笑って、身体の力がふっと抜ける。


   ※


 絶え間なく降り注ぐ流星は、かってホーリィとアスラだったものだ。

 これも神話として語り継がれるのだろうか。マスターたちが大切にしていた古いライブラリに、よく似た話がたくさんあった。

 カナミはエレノアの言葉通り地表のブロックの全てを砕き壊し、焼いた。自身もまた、最低限の姿まで解体を済ませている。雨と風が永い時間をかけて後を継いでくれるはずだ。

 それからカナミは、エレノアが大切にしていた一本のメタルポイントを使って、固め作った粘土板に文字を刻んだ。

 エリーを偲んで。

 これくらいのイタズラならエレノアも許してくれるはず。

 カナミはそれをエレノアを埋葬した丘の上に置いた。それから自らの電源を落とし、永い眠りにつく。

 いつか遠い未来の中で。

 誰かが見つけてくれたら愉快だな、と最期の一瞬に彼女は思う。


   ─了─

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