LLL.04(皮肉)
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ログを読み終えたエレノアは、どっと疲れが押し寄せるのを感じた。端的に云えば彼らは自律進化した。状況が許すならば素晴らしいことに違いない。特にサルを調査した後となっては。
低軌道を周回するホーリィと注意深く通信していたカナミが戻ってきた。心なし、悄然として見えた。
「あのね、」云いにくそうにカナミは続けた。「ホーリィ、落ちて、くる」
「そう」眉間を揉みながら、エレノアはイスに深く沈み込む。「いつ?」
「早くて五〇年後」
思わず笑った。この星の公転周期は故郷のそれより長い。「それまでにはどうにかなるでしょ」
残されたブロックにはまだ資材が積まれている。手段は追々考えるとして、いずれ地表に降ろすつもりだった。
次から次へと、トラブル続きだこと。
ふと思いついてエレノアはカナミに訊ねた。「ブロックをパージしたら質量変わるよね?」
「うん」
「それならどうなるの?」
するとカナミは考え込んだ。
「ざっくばらんでいいよ」とエレノア。
カナミは首を振った。「難しい、よ。わかんない」
エレノアはカナミの頭を撫でてやった。「いいよ。条件が曖昧だもんね。まだ分からないことだらけだし」そしてちょっと考え、「ホーリィは元気?」
「ちょっと、ぼんやり、してる」
プライム級のメインフレームもこうなってはその称号すらも物悲しい。エレノアの胸は痛んだ。しかしホーリィはそれと引き換えにバイオケースたちを機能不全にしたのである。
ファイナル・インストラクション。プロジェクトの続行不能が確定した場合にのみ実行される、独立したコンフィデンシャル・プログラム。
同じようなものは乗員たちも持っている。使用された云う話は訊いたことはないが、その小さなカプセルを舌下に含むのと同時に全てが終るらしい。
ホーリィを好きに玩ぶようになった彼らは、ジョウント・アンカーへお行儀のいい通信を送り続けたが、ついでに贈り物を忍ばせていた。通信の中継をつかさどるアンカーは順繰りに機能不全に陥り、遂には故郷との唯一のつながりを絶ったのである。
船は、彼らのものになった。
しかしそれは自壊の発動条件でもあった。
故郷への通信が途絶えることは即ち、計画続行の不能を意味する。通常手順なら自己診断ののち、修復がなされる。しかし、メインフレームはバイオケースの手中にあり、機械的損壊を修復すべきドローンたちもホーリィの管理下から外れていた。
カナミによって分離隠ぺいされた一部を除いて船は機能停止した。同時にメインフレームはその職務を終え、後を終結プログラムが引き継いだ。
バイオケースたちは恐慌状態に陥った。そんなこと、知らなかった。教えられていなかった。
終結を撤回させることが出来るのは乗員だけだった。誰一人として生き残っていないと信じこまされていた彼らは最終シーケンスに従うしかなかった。
エレノアはその様子を思い描き、僅かながらも憐憫を憶える。小さな球状のプロセッサが作り出す形態模写であろうとも、彼らは確かに愛らしい姿をしていた。話し、笑い、共に働いたのだ。
末期に彼らは神に祈っただろうか。祈ったのならそれはどんな神だったのだろうか。エレノアはそれを知りたかった。ヒトの祖先の化石には花粉が付着していた。仲間の死を悼む、それこそヒトをヒトたらしめることだと思う。だからこそ、彼らが最期の一瞬に何を思い、何を感じたのか知りたい。たとえそれが小さなプロセッサの中で作られた信号のアウトプットだとしても──。
「たい、へん!」
カナミの声に、エレノアは目を覚ました。
「船! ふね!」
「落ち着いて、」
言葉の意味を捉えあぐねる。後続船? そんなことあるはずがなかった。理解が追いつかない。
しかしカナミそんなエレノアに気にするでなく興奮していた。「お船が、来た!」
バカな。頭が鈍く痛んだ。
※
私はエレノア・バスク。これが最後の記録になると思う。今後も記録はしていくだろうが(ただの習い性)、誰かの目に触れると云う点では最後になるはずだ。まさかこんなことになるとは思わなかったから。愚痴とか泣き言とか混じっているけど、もとが個人的な記録だったのだから、その辺は了承いただきたい。昔風に云えば漂流記ってところかしらね。
アスラは私たちの頭上、静止軌道に留まっている。トリニティシステムのアスラは、常に相談し合って、結論を出す。三位一体のコンセプトモデルは知っていたが、運用されているとなると、なかなか興味深い。
救助についてアスラは私の意向を訊いてくれた(お義理だろうけど)。私はそもそも期待などしていなかったし、後続船ならば喜んで迎えたが、そうでないとなると、お引き取り願うのが妥当と思う。かてて加えて、アスラは回収を目的として設計されていない。彼女によると回収だけなら賛成二の棄権一、帰郷となると三対〇で推奨しないとのことだ。なぜなら故郷は私の知るそれとは違ったものになっているから。ヒトはバイオケースと融合し、ハイブリッド種に進化した。社会様式、個人の在り方。私の寝ている合間にありとあらゆるものが未知の領域へパラダイムシフトした。想像もつかない! どんな世界であれ、いまさら私が帰郷したところで適応できるはずもない。片道切符のプロジェクト、たまさか目的地でなく出発地が結果を出していたなんて、皮肉でなくてなんなのだ?