桜と恋と、へっくんと
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私は小説を書いて、それをネットの投稿サイトにアップするのが好きなのだけれど、「これはウケたなぁ」という実感を得たことはまるでない。みなさまが私より上手だからなのだろう――と思うようにしている。そうとでも考えないとどう考えたって自分の努力が報われない。――いや、好きでやっていることなのだから、努力うんぬんが報われる報われないの話ではないのかもしれないけれど――って、きっとそうなのだ。
春先、高校――学校からの帰り道、私はそれなりにうきうきしていた。真新しく美しい桜並木を通るからだ。北海道の森町という。名物は森ライスだ。ハヤシ(林)ライスに対してモリ(森)ライスというわけである。なんという凡庸なセンス、ぎゃふん。それでも森ライスは美味しいんだ。子どもの頃からのソウルフード。圧倒的においしいんだぜ?
ああしかし、森ライスはこの際どうだっていい。ほんとうに桜が美しい土地なのだ。時期になれば道内、あるいは道外からも観光客の方々が訪れる。「並木」と言える通りがじつに美しい。それだけきれいな桜のありがたみが、地元に住んでいるとなかなかわからないのだけれど、私は桜の下をゆっくりと歩くことが大好きだ。そう。私には地元の桜の尊さがわかっているのである。このぶんだと森町からは決して離れられないなあと思う。そんな私の将来の第一希望は地元の市役所だ。市役所に就職したい。「進学したらどうだ?」とお父さんは言い、「そうよぅ」とお母さんまでが言う。でも、なにも遠慮してるわけじゃないんだ。私は一生を森町で生きて、森町で死んでしまってかまわないのである。むしろそうありたいのである。
今日も桜の花びらが散る。寂しいなぁ、はかないなぁと思うより先に、その様がほんとうに美しいと思うんだ。坂道を駆け上がり、息が切れたところで両膝にそれぞれ手をやりながら、「きゃっほー」と口にした。人知れず、静かに。森町はほんとうに素敵。そんなふうに思えないニンゲンとは、私は一生仲良くなれないだろう。森町、大好き! アイ・ラブ・ユー!!
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下の名前が名前なので「へっくん」などと呼ばれている。私は彼にまるで興味がない。本格的にラグビーをやるために内地(本州)の大学に行くらしい。愚か者め。他人のことながらラグビーなんて捨て置け馬鹿野郎。どこに行こうが「ああ、森町のほうが良かったなぁ」って感じるに違いないんだぞ、このすっとこどっこい。
へっくんはいい奴らしいから、休み時間等が訪れるたび、彼のもとには多くのニンゲンが集まるらしい。男女問わずといったあたりに彼の人気度が窺える。へっくん、ほんとうに親しげらしい。だからそれがどうだという話ではあるのだけれど。
桜が一枚一枚が舞い降り、散りゆく。私は満面の笑みを浮かべて、一人、桜並木をゆく。誰にも邪魔されたくないから、一人でゆく。某公園で毎年屋台が出るお祭りが執り行われるのだけれど、コロナの影響があって二年も三年もお休みしていた。今年から再開される。たこ焼き屋さんでアルバイトをしようと思う。私は森町に尽くすことも好きなのだ。
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私には幼馴染みの男子がいる。「まあくん」という。桜が溢れるこの街で、一緒にときを過ごしてきた男のコだ。まあくんはちょこちょこ私の後をつけてきて、私が桜の美しさに万歳をすると、その後ろで大きな声で笑いながら同じように万歳をする。都度、私は「おまえ、ストーカーなんてやめてなんか部活やれよ」と意見する。「えー、部活はやだよ、かったるいもん」とだるいことをまあくんは謳う。「それならそれでいいんだけどさ」と私は笑う。桜の美しさがとにかく尊い。誰のことも目に入らないくらいに。
「綺麗だよなぁ」
「桜はきれいに作られたんだ。神さまがそう作ったんだ」
「ちげーよ。俺は桜がきれいだって言ったんじゃなくって」
「だったら、なにがきれいなの?」
「そりゃおまえ、桜まみれのおまえだよ、マキ」
「えっ」
私は瞬時に目を見開いた。
瞬時に胸が高鳴った。
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しょうもない話を日常的に振られるなんてことはない。ただ私がいつになく悩ましげな表情を浮かべているからだろう、周りの友人が物珍しげに寄ってくる。一番気が利いてないなぁと感じた台詞は「なにマキ、生理? きゃはっ」というものだった。ほんと、気が利いていない。もう少し考えを巡らせることはできないものだろうか――ま、そんなこと、どうでもいいのだが。
自席を友だちと囲みながらお弁当をぱくぱく食べていた。卵焼きがとてもおいしい。今日もありがとう、お母さん。
そんな最中においてだ、女子に「まあくんが来てるよ」などと言われた。は? まあくん? どうしてまた。それでも私はぱたぱた駆けて出入り口へと向かい、まあくんに「どった? なんか用?」と訊ねた。「ひゃっ」と声が漏れた。まあくんがいきなり私の手を取り、力強く歩き始めたからだ。
「ちょ、ちょっとまあくん、どったの?」
「いいから、ついてきてくれよ」
「い、いや、手ぇ引っ張られてるんだからついてくしかないんだけど?」
「べつに乱暴しようってわけじゃないから」
「ら、乱暴されたらメチャクチャ困るんだけど?」
そのまま私は体育館の裏まで連れられていき――。
「マキ、好きだ!!」
「え、えぇぇーっ!」
「ダメか? 俺じゃあダメなのか?」
「いや、そういうわけでもないんだけど……」
「だったら付き合ってくれ。誰よりも大切にするから」
まあくんは幼なじみだ。一緒に裸でビニールプールに入った覚えもあれば、夫婦という設定でおままごとをしたこともある、何度も何度も。
でも、だからといって――。
「ち、違うんだ、まあくん。私、そんなつもりはこれっぽっちもなくて――」
「だったら俺がそのつもりにさせてやる! そのつもりにさせてやるんだ!」
うーっ。
このへんの豪快さと強引さがまあくんの「らしい」ところであったりはするのだけれど。
「でも、ダメ。ごめん、まあくん。私、ダメ。あんたとは付き合えない」
まあくんは目を見開いてから、泣き出しそうな顔をした。
「うまくいくもんだって、思ってた……」
「ごめん。でも、ごめん……」
まあくんの「いいよ、わかった」という笑顔を目の当たりにするとつらくてしょうがない。まあくんは去っていく。もう元の関係に戻れるとは思えない。私は告白を蔑ろにすることで大切な友人を一人失ってしまったんだ……。
両の瞳からは自然と涙が溢れてきた。喪失感がすごい、ハンパない。告白され、それを断った。仮に元に戻ることができたとしても、そうなるまでにどれだけ時間がかかるのか。つらい、つらい、つらい。まあくんを失いたくはなかった。だけど、そんな気がないのに「いいよ」と肯定するのは絶対に違う。そうである以上、失ってしまうことも止む無しではないか。
俯き、両目の涙を両手で拭い、えぐえぐと泣きながら、体育館裏を後にする。――するとだ。体育館の外壁にボールを――ラグビーボールをぶつけている人物と出くわした。へっくんだ。壁にぶつかるたび、ボールはあちこちに跳ね返る。ラグビーボールの面目躍如だ。おかしなかたちをしているボールだから、そんなことが起きる。ラグビーボールは身勝手だ。
私がその様を眺めていると、へっくんも気づいた。私がえぐえぐ泣いているからだろう「どしたぁ、マキ、なんかあったかぁ?」とのんびりした声で訊ねてきた。明るい口調で、なにを憂う感じもなく。マキと呼ぶ男子は珍しい。フツウそうだ。女のコをなんのためらいもなく下の名前で呼ぶ……フツウの男子はしないだろう。
「来いよ、マキ。なにかつらいことがあるなら話、聞いてやっからよ」
「なんで、そんなこと言うの……?」
「だっておまえ、泣いてんじゃんかよ」
なんだこいつ。
へっくん、なんできみは、そこまで偉そうなんだ?
でもへっくんのこと、私は信用できると思ったんだ。
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体育館の中でしゃべることにした。へっくん、なぜか体育館の鍵を持っていたのだ。「ほら、俺、真面目だからさ」などと言われてもよくわからない。ただ、へっくんがいい奴だというのはもっぱらの評判だ。先生方から気に入られていたとしても不思議はない。
ワックスでピカピカのフロア。
無駄に広いように感じられる空間。
硬い壁に背を預け、私たちは二人並んで座っている。
私は正直に話した。
まあくんに告白されたこと。
ついでにずっとこの森町に住み続けたいことも。
へっくんが唐突に、「俺、ほんとうにラグビーが好きなんだよ」と言った。私は隣――彼のほうを向いて、「心の底から好きだって思えるものがあるって、いいことだと思う」と話した。
「ほんとうは札幌の高校に行きたかったんだけどなぁ」
「そうなの?」
「うん」
「えっと……なにか問題があったの?」
「いや、単純に、俺はこの街を離れたくなかったんだ」
へっくんは苦笑のような表情を浮かべた。「森ライス、大好きだしな」と笑ってみせた。
「でも、大学は内地なんでしょ?」
「ああ、そうだ。俺は名門校でレギュラーになってやるんだ」
なんとも力強い言葉だ。
目も輝いている。
ほんとうに好きなことに挑むヒトって、こういう顔をするのだと思う。
「へっくん、身体、そんなに大きくないのにね」
「だけど、走るのは誰より速いんだぜ?」
「うん、それは知ってる」
私は微笑んだ。
「誰よりも速い選手として、俺はグラウンドを駆け回ってやるんだ」
そう言えるのは、ほんとうに素敵なことだと思う。
誰にでも言えることではないと思う。
「ただな、聞いてくれよ、マキ」
「ん? なあに?」
「俺、おまえのことが好きだから、大好きだから、困ってるんだ」
「えっ……?」
「だからさ、この街で生涯を過ごすってのも、アリなのかな、って」
「ちょ、ちょちょちょ、待ってよ、へっくん、いきなり……冗談だよね?」
へっくんは大らかに笑った。
「こんな冗談言うなら、そいつは最低だって思う」
「そ、そうだけど……」
頬に熱を感じる。
私の顔は著しく真っ赤になっているのではないか。
「ただ、やっぱりラグビーがしたい。……ごめんな」
ごめんなと言われ、それはえっらい間違いだろうと思った。
「なに勝手にごめんとか言ってるの? 私、べつにあんたのことなんか――」
「嫌いか? マキは俺のこと、嫌いなのか?」
へっくんが額が触れる位置にまで顔を寄せてきた。
ぐいぐい来られると、正直、弱い。
「嫌いじゃないけど……大好きっていうわけでもないよ」
へっくんは笑った。
「だったら決まったな。俺たちが学校を卒業するまでまだ一年もある。そのあいだにマキを振り向かせてやることが、俺の目標だ」
「えっ、えーっ」
「マキ、おまえのこと、この街から、森町から引き剥がしてやるよ」
なんて力強い言葉を発する男子だろう。
そして、なんて無鉄砲な物言いをする男のコなのだろう。
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翌年、卒業式、3月9日。「レミオロメン」の名曲を歌って、私たちは涙一杯の卒業式を迎えた。桜には全然、まだ早い。どうせなら咲いてくれたらいいのにと思うのだけれど、残念ながら、それは無理な話だ。北海道はまだ寒い。
すべての挨拶を終えると、私はへっくんに駆け寄った。抱きついてやった。私たちはもうそれくらい親しくなった。誰から言い寄られても揺らぐことなんてなかった。心苦しい思いをしたこともある。どうしようもなくて悲しく感じたこともある。泣きそうになることだってあった。だけどどうあれ、へっくんの逞しい身体つきはもはや私のお気に入りだ。
「どした、へっくん。なにか悩み事?」
「やっぱりここに残ろうかなって……」
私は右手でへっくんの頭をべしっと叩いてやった。
「まだ言うの? しつこいなぁ。つい前までニッポンのエースになるんだって言ってたじゃない。そんな弱気じゃラグビーなんてやってらんないよ?」
「まあそうなんだけど、でも、マキと別れるのは寂しいなって」
「別れるんじゃないよ。私も準備ができたら、絶対にそっちに行くから」
「マキは森町が大好きだろ?」
「それ以上に、へっくんが大好きだよ」
改めて強く抱き合い、目を閉じると、まぶたの裏に桜の花びらが浮かんだ。
ひらひらとひらひらと、その桜は舞ってみせた。




