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グッドラック



――真っ黒な、空間。


 壁も地面も天井も、天と地も、ない。

 音も光も、ない。

 自身の存在は?


 暗闇。


 黒。



 初めまして



 音は知覚できない。頭の中にイメージが浮かぶだけ。

 そう囁かれた気がしただけ。



 初めまして ナルシマ カナメさん



 この空間を、声を、イメージを不快に思うことはなかった。それが、不快だった。





「……ぁっ」


 悶えながらも、がば、と上半身を起こしてあたりを見ると、岩壁できた風雨をしのぐには都合の良い洞窟内はまだ暗かった。

 少し頭痛がするが、酒のせいだろうと考えて目元を手で押さえてから、死体の様に眠る皆を起こさないように立ち上がる。

 転ばないように光の精霊ホーリィを呼び出し、弱めの光で足元を照らそうとすると”綿毛のような姿”でぽわぽわ浮かび上がる。


(どうしたんだ? ホーリィ……?)


 びっしょりと汗をかいていたようで風にあたると少しだけ頭の痛みを和らぐことができた。


「うなされていたようだね?」


 声の方を見ると昨夜の老人が、これから世界を照らすであろう太陽を、その登場を待つかのように腰に手を当てて薄っすらと明るくなり始める景色を見ていた。

 洞窟の入り口に背を向けるように立っている老人。傍らには二本の足で立つ、ぞうの姿。


「見張りを、してくれてたのか?」


「――いいや。私は何もしておらんよ、歳をとるとうまく眠れなくてね。君は、悪い夢でも見たのかい?」


「ああ、夢は見てたと思うんだけど、よく覚えてない……悪い夢だったのかなあ」


「少し酒が強かったかな。これから山を登って、昨夜言っていた集落を目指すのかね?」


「そうだよ、金策と。ちょっとした頼まれごとがあってさ。じいさんは帰るのか」


「私は帰る場所はないよ。ずっと旅をしながら生活している根無し草だ。そうだ、ここで会ったのも何かの縁。これを持っていくといい」


 老人はパタパタと服のポケットに手を当てながら眉間にしわを寄せて何かを探し出した。


「はて、パオ。あれはどこだったかな」


「荷物の中かと」


 そう言ってパオは荷物の方へすたすたと歩いていく。


「ははは。最近は物忘れがひどい! どうしたものかな」


 ややあって、戻って来たパオが長い鼻で掴んだ何かを老人に渡してくる。

老人は無言で頷いて受け取り、服の袖で鼻水をふき取りながらじっくりとそれを眺めてから、柔らかく優し気な表情を浮かべカナメに差し出す。


「これを、持って行くといい。お守りだ――」


 そっと差し出された”それ”を受け取って、老人が拭き残した鼻水を腰のあたりでガシガシと拭う。


「朝は冷え込んでいましたから、鼻水もでるというもの。それに、汚くありませんから」


 不機嫌そうな表情で可愛らしく転生者に注意をするパオ。

カナメもじっと受け取ったお守りを眺める。


「ディフェンシブ、か?」


 円盤状のカタチをしていて意匠が施されている。

くすんだ銀色をして鎖が取り付けられ、金属だろうにそれほど重くはない。

 ドワーフの町を守っていたものより小さくて軽く、そして古そうなものだった。


「似たようなものだが、ただのお守りさ。きっと君は今回の様に人々を助けるのだろうね。だけど、君自身はそれほど強くはないのだろう? そのための、君のための、お守り」


 口髭に隠れて見えないが、にっこりと笑っているのだろう。皺だらけの目元が曲線を描く。


「僕だって、危険な事にはあんまし首を突っ込みたくはないんだってば。でも、サンキュー。ありがたくもらっておくよ」


「サンキュー、か。不思議な言葉だね」


「ん、ああ。母国語? だよ。感謝の言葉」


「いい響きに聞こえるよ。こちらこそサンキュー、カナメ君。私たちはそろそろ出立しようと思うが」


 老人がそう言うと、いつの間にかパオが四足歩行モードに切り替わっていて、背中には荷物を積載してこちらに歩いてきていた。


「もう行っちまうのか。皆も昨日の晩飯の礼を言いたいと思うんだけど」


「礼なんて、いいんだよ。私は何もしていない。さぁ、パオ。――そうだ、是非、山からの景色を見るといい。それじゃあね、幸運を」


 大袈裟に首を横に振ってから、別れの挨拶を口にして踵を返す。


「ああ、じいさんも気を付けてな」


 老人が亜竜の激戦があった場所とは、反対方向。傾斜が下る山道を相棒のぞうと並んで歩いていく。

 見えなくなるまで背中を見送ってから、カナメも洞窟に戻っていく。

 明るくはなり始めているものの、辺りはまだ薄暗い。



 地面に敷いてある敷物にごろりと仰向けになり両手を組んで枕にして、膝を立てた左足に右足を乗せる。

 起き抜けに感じた頭痛はすっかり癒えて、疲れも残っていない。


「はれ? おはようカナメ。今日は早いんだねえ」


「ああ。おはようユーミ」


 目をぐしぐしと擦りながら起きているカナメに気付いて声を掛ける、髪の毛がぴょんぴょんと様々な方向にハネた魔術師。

 挨拶を返して少しだけ違和感を覚えた彼は眉間にしわを寄せ考え込む。


「どぉしたの?」


「僕、名前を言ったけなぁ?」


「んー?」


「いやぁ、なんでもないよ」


 洞窟の中にも光が差す。太陽が顔を覗かせたのだろう。



 ――幸運を。



 耳に残ったその響きは、なぜだか本当に幸運を与えてくれるような、そんな気分にさせた。

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