疲れと酒と、光と闇と
パーティーをもてなそうとする老人の厚意に対して少しばかり不躾な、少しばかりとげを持つ言葉を投げかける少年。
しかし老人は特段気にする様子もなく、蓄えた鳩尾ほどまで伸びる真っ白な顎髭を撫でながら答えを返す。
「集落、か。この山を八合ほど行ったところに十数棟ほどの家々が連なる集落を見たことがあるが、尤も数年前。今回はその道筋を通っていなくてね。申し訳ないが今もあるかは分からないよ」
ラスターが疑う気持ちも、分からなくはない。
パーティーは麓へたどり着くまでにも、モンスターに遭遇している。
年老いた男が、亜竜ワイバーンもいる山へ一人。
――正確には、賢く、可愛らしく。優しくて力持ち。そんな【ぞう】と同伴してはいるが。
あまりにも危険。
この老人は足腰がしっかりしているようには見えるが、モンスターを蹴散らすほどの戦闘力があるようにはとても見えない。
「こんな、ワイバーンが出る様な山に二人? ――でいいのか? うろつくのは危険すぎないか?」
パオという象を一人として数えていいのか葛藤して老人から手渡された小さな”おちょこ”の様なものに酌をされながら、老人と象一匹での旅は無謀だ、そう話す転生者。
「彼ら、ワイバーンが。なぜ亜竜と呼ばれるか、知っているかい?」
彼の返答は的を得ない質問で返される。しかし、小さな椀に注がれた、先ほどソーマと呼ばれた酒は大層美味く、目を見開きながら一息で飲み干すカナメはそんなことを気にはしなかった。
「”黒の聖女と白き魔女”。彼女らの駆る竜こそが、竜だからだ。黒の聖女の駆る竜は何と言ったかな? パオ」
「それはもう記しています。【テンバーリーク】です」
荷物から冊子の様なものを取り出してぺらぺらと捲り、パオが応える。
「おお、そうだ。テンバーリーク――。それらこそが竜。だからこそ、ワイバーンはとても強大な力や生命力を持ちながらも、”亜竜”などという不名誉な呼び名を授かることとなった」
「聖女様の乗っていた真っ白な竜だな。とてもワイバーンより強そうには見えなかったけど」
「愚か、だからだ。かの竜は怠け者であった。それゆえ力を持つようには見えないのだ」
「ドラゴンは、神さまの砕けた心から生まれた、って”絵本”には書いてあったね?」
煮立った鍋から具材をよそうパオからそれを受け取ってフォークの様な物で食べるユーミが横入りする。
彼女が好きな、以前に読んでもらった絵本に記されたのは、確かにそんな内容だった。
「そういやぁ、聖女様と魔女も神さまの砕けた心から生まれた、っておとぎ話だったな」
初めて門をくぐった冒険者ギルドでユーミが話してくれたのは、そんな御伽噺――。
「君たちは神さまがいると思うかい?」
唐突に問われる質問の意図は、漠然と旅を続ける彼らには分からない。
老人は優しそうな表情をして枝を一本、ぱきりと子気味良い音を鳴らしながら火にくべる。
それぞれが律義に回答する。
「全然」
「えー! 私はいると、おもうなぁ!」
「僕も、神はいるのではないと考えます。でなければ、あれほど都合よく奇跡がおきますでしょうか」
「わたしゃ~、半信半疑かな? いてもいなくてもどっちでもいい。神様を感じたことはないよ。それなりに長生きしてるけどさ」
「ソウデス」
各々、回答は様々。
老人も持ってきた酒を、パオの酌で飲みながら、彼らにその自論を展開する。
「皆、正解だと思うよ。神はいる。神はいない。どちらでもよい」
くいっと、小さな器に注いだ美味い酒。それを煽って、なおも老人は続ける。
「個の世界にそれぞれ神があればよい。ある世界ではおり、また別の世界ではおらん。自由で在ってそれでよいと思うのだ」
鍋を煮立たせるばかりの、揺れる火に照らされて光と闇を表情に写しながら皆は老人の話を聞く。
いつしか雨は上がっていた。
「個の世界が絡み合い。――それぞれは細く。繊維のようにな。糸となる。糸が絡み合いって、紐となるのだ。紐が寄りあい縄となる。それが【因果】というもの」
「随分知ったような口ぶりだなぁ。爺さんは一体、何者だってのよ?」
何杯もソーマ、という名の酒を煽りながらカナメが乱暴に問いかける。
偉そうに説教する、お前は何様だと。
「何者、か。私など、仕事もせずに酔狂で山登りをする、ただの”愚か者”だとも」
いつの間にか酒を口にして、とろんとした目をしたラスターには、既に自身が発言した言葉の意味など把握していない。
「何を知っているかと問うたのだったな、少年よ。召喚術士の集落を探しておるのだね? きっと見つかるさ。君たちに神の加護があらんことを」
――因果律に見放されておる――
いつぞや、黒の聖女アヴァリーザに言われた言葉が脳裏によぎる。見放された、ということはほつれた糸がカナメ自身。あるいは複雑に絡み合う因果とは全く無関係に一本、揺蕩う。
酒を飲んで少し饒舌になる老人に転生者たるカナメはこう言って、今宵の記憶に幕を下ろす。
「神さまなんてものは、見たことも会ったこともまして何かをしてもらったことなんてないけど――」
疲れと酒のせいでヒンヤリとした空洞の地面にそのまま寝転がるパーティー。
老人とパオ、二人でカナメの持っていた荷物の中から敷物を取り出し、丁寧に地面に敷いてその上に皆を転がして寝かせる。
仕上げにぐるぐるに巻かれていた布をそれぞれの腹の辺りに被せて、もう一度だけ酒を飲む。
「よっこらしょ、と」
洞窟の外に出ると夜風が心地よい。
ふと夜空を見上げれば明るい月を背景に、小さく染みのように浮かぶいくつかの亜竜のものであろう黒い影。
「すまないが、今日はそっとしておいておくれ」
遠くで羽ばたきながら、こちらに向かってきているのだろうか。
綺麗な月に手のひらをかざして、そっと手を握る。
老人が腕をどければ、今見えるのは満月だけ。
ゆっくりと身体を反転させて月と逆側に向け、そっと握った手を開けば、今まで見えていた方向と全く反対方向の空に亜竜の群れが浮かび上がる。
手に取った綿毛を飛ばすようにふうっ、と息を吹けば、”あ”という間に亜竜たちは遠くの空へと飛んで行った。
「神の加護があらんことを」




