聖女様
ぜえぜえと、みすぼらしく息を切らしながら、脅威が排除されたことに安堵する。
精霊王(笑)がいうところの、ちっぽけな脳みそでよーく状況を観察する。
目に入ってきたのは黒が基調の、それでいて過度な装飾を控えたお召し物の、美しい女性。
目深に帽子を被り、長く、綺麗に光を反射している髪で片目を隠している。
片手に持った長い杖は高価そうで、芸術品のようだ。それでいて気圧されるような凄みを感じる。さながら、魔法使いそのもの。誤解を恐れずに言えば、魔女――
全員で六人いたようで、そして彼らは嬉しいことに、人間だ。
魔女風の女、と、神官のような装いの初老の男性。それ以外の四人は騎士、だろうか。一様に甲冑をまとっていて表情は見えない。金属の反射する鈍い光沢は物騒で、畏怖すら感じる。
「あ、ありがとうござ」
礼を告げようとすると、自分の喉元に剣先が当たるのがわかる。痛みはなく肌は切れてはいないが、ヒヤリと当たった金属が少しの体温を奪っていく。
ごくり、生唾を飲む。
「貴様、何者だ」
抑揚なく、騎士風の男が質問を投げかける。
「あ、あ……」
自分は何かあると「あ」しか言えないのかと、情けない気分になってしまう。
もっとも、危険な荒野で、裸に汁まみれ(おしっこも多少漏れていただろう)で全力疾走してくる男なんてその時点でかなり情けなく、しかしそれを切り捨てずに、かつ言葉をかけてくれるこの方たちは、もしかしたらとんでもなく徳の高い人たちなのかもしれないとさえ感じた。
「よい」
魔女風の女性が止めに入る。
「しかし、聖女様ッ」
聖女様。
偏見かもしれないが、黒ずくめのこの女性に聖女といったイメージはとても湧かなかった。
「聖女などと呼ぶでない、反吐が出る」
騎士の剣を下ろさせ、ずかずかとこちらに近寄ってくる。
やはり聖女ではないのか。
「しかし、このような町から遠い荒野で、丸腰で生存しているなど……毎年何組もの冒険者が帰らぬものとなっているかご存じのはず。怪しすぎます」
「むぅ、怪しいのは確かに怪しいが――」
聖女様と呼ばれる黒ずくめの女性はカナメを怪しそうに眺める。
「確かに、すっぽんぽんで全力疾走で向かっていったのは謝ります! とても不快だったでしょう……ですが、僕は決して怪しい者ではないのです!」
必死に弁明するがこのナリで、この状況では説得力など仕事をしない。出社もしていないだろうと考えてしまった。
聖女様はより入念に好奇心の入り混じった侮蔑の眼差しで舐めるように観察した。
(あまり見ないでください……目覚めてしまいます……)
「邪悪なものではない。醜悪ではあるが。ふむ。こいつは面白いぞ」
「聖女様が興味を持たれるとは……この男に何が一体なんだと?」
「むぅ……さっぱりわからぬが、一切の魔力を持っておらん上、因果律を完全に外れておる。なにか事を成しそうな気もするが、すぐにそこらで無様に野垂れ死ぬのかもしれん。どちらにしても、多少の暇潰しになるじゃろう」
(荒野で、大の大人に囲まれて。汗と涙とよだれとお小水にまみれ。裸で正座をして詰められている……それは面白いでしょうね)
「ふむ、立て」
「あ、ハイィ!」
命令されたらはっきり返事を返さなければならない。これはカナメが前世で学んだ社会の掟。
しかし、立ち上がろうとした途端、全力疾走と正座、岩肌で切った足のケガのせいでよろけてしまうと、どういうわけか優しく聖女様が抱きかかえてくれ、まっすぐ立たせてくれる。
「いいものを見せてやろう」
真正面で聖女様がこちらを見据え、おもむろに帽子をとり、顔の半分を隠していた髪を手で耳にかける。
「何をなさる!」「聖女様!」
騎士や神官のような男たちは聖女様の行動に異議があるようだ。見せてはいけないのだろうか。それともただの嫉妬なのだろうか。
鼻と鼻がくっついてしまいそうなほど、顔を近づけられる。
聖女様は並んで立つとカナメより背が低い。約三十の短い人生だったが、これほど鮮烈に脳に焼き付いた綺麗な光景はかつてない。それほど美しい女性だった。
(とてもいい匂いがする、金木犀みたいだ)
肺を、それどころか細胞の一つ一つを聖女様のにおいで満たそうと大きく息を吸い込んでいると、気づいた。
聖女様はオッドアイだ。左右の瞳の色が違っている。
隠れていた片方の瞳には幾何学的な、それでいて美しく複雑な円状の模様が描いてある。
ずっとその瞳を見ていると吸い込まれてしまいそうなほど。
それと同時に恐怖心が芽生えた。この目は、瞳は、何かとてつもないものを隠している、そんな予感。
「聖女様!!」
見惚れてしまっていると、神官の声で現実に引き戻された。
「この男は、邪悪ではないかもしませんが、怪しく邪です。一旦牢に入れ、尋問をしたほうが良いのでは? それに、なぜ目を見せたのです。何かあっては……」
「よいじゃろう、ワシの勝手じゃ。それにまたまみえることじゃろう。その時、目障りな存在なら首を落とせばよい。この男、因果率に見放されておる割に、不思議な力を持っていそうに見えて、やっぱり持っておらん。よくわからんのだが敵にはならんじゃろ。それはわかる。それになぜか……お?」
聖女様達が物騒な話をしていると地鳴りが聞こえる。そう遠くはない距離で、確かに足の裏から振動を感じる。再び帽子を形の良い頭にかぶり直し、やや遠くへ視線を向けながらも、面倒臭そうに聖女様は呟いた。
「ふむ。この男がバタバタと阿呆みたいに走ってくるもんだから、余計な物を誘い込んでしまったようじゃのう」