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”銘”

「……チッ」


 囲炉裏の傍に横になっている陶器を振ってみたが、何の感触もない。舌打ちをして乱雑に放り投げるとぼりぼり頭を掻き、のっそりと立ち上がった。


 『男』は、町へと向かう。

荒家(あばらや)は決して、住み心地などよくはない。場所も不便で、獣や魔物も現れる。それでもこの家にいくつかの”しがらみ”があり、住み替える勇気が出ないだけだ。


 今は昼前。


 のそのそと歩いても暗くなる前には戻ってこれるだろうと目算した。酒がなければうまく寝付くことなどできず、耳を塞いで布団を頭からかぶり震えるだけだ。それでは一日が長すぎる。

 昔から馴染みの酒屋は酒を売りたがらないが、彼らも事情を知っているから、量を控えろ、そう言うだけだった。


 道中で手ごろな重量と長さの木の枝を拾って、弄びながら口笛を吹く。

 自然と、妻と娘が好きだった曲の節をなぞっていたことに気付いて苛立ちながら目を閉じる。


 ふと脇道にそれると森の中へと入り込み、眠そうな目をして”目的のもの”を探した。


「――あいつにするか」


 樹上を見上げてぼそりと呟くと、一際大きな樹木の傍まで歩いていき、蹴る。


 森中の鳥が一斉に羽ばたいたのではないかというほどバサバサという音が響いたのち、一拍おいて、ずしんと音を立てて落下してくる目的のもの。


「……女郎蜘蛛。こいつぁ金になる」


 手に持った木の枝を振り、男の身の丈よりも大きい蜘蛛を薙ぎ払う。

 しかし足を二本もぎり取っただけにとどまった。反撃の機会を与えられた蜘蛛は口から吐いた糸で木の棒を絡めとり、残りの腕を叩きつけようと襲い掛かる。


「全く、訛ったもんだ、この腕も」


 ぶるぶると震える掌を見つめながらも自分の衰えと不甲斐なさに嫌気がさす。


 振り下ろされた蜘蛛の腕をつかみ取り背負い投げて木に叩きつけると、地面に落ちる前に拳を腹にお見舞いし、草履を履いた足の裏で蜘蛛の顔を力いっぱい踏みつけた。


「恨みはねえが、酒代になってくれ」


 片手を手刀のようにして顔の前に構え、念仏を唱える。


 蜘蛛は紫煙をあげて魔石に代わり、男はよっこらせと言って拾い上げた。





「父上はお強い!」


 ――んなこたぁ、ねえ。お前を守れなかったじゃねえか。



「お前の振るう剣は見事だな。俺がもし、会心の力作を打てたなら是非お前に振るってもらいたい。さすれば国は安泰だろう」


 ――んなこたぁ、ねえ。お前は死んだじゃねえか。



「ねえ、あなた。女の子よ……この子に名前を付けてあげて?」


「そうだな。ああ……”桜”だ。きっと大きく育って、見事に咲き誇るだろうぜ!?」


 ――んなこたぁ……。





「があああああああああああああああああ!」



 男は大声をあげて木の幹に拳を叩きつける。

 右手からは血が流れ、めきめきと音を立てて木は倒れた。


「……サクラ」


 男が生まれて初めて”銘”を打った愛娘は記憶の中で、はにかんで見せた。





***




 九合目と頂上部分が厄災の獣へと変わり、今では少しだけ背丈を低くしたトゥリヘンドの山を下りると、久方ぶりの平地に景色が変わる。

 ここから北へ、切り立った崖――海沿いを進めば東端の町に辿り着くという。


「早めに町について補給をしたいところだけど……」


「お金、ですか」


 山登りをして、走り回ったり亜竜と戦ったりして、衣服は痛んでしまっている。調味料も心許ない。携帯性に優れた乾燥した食料も。

 しかし、山登りにお金は必要ないと思い、宿に置いてきてしまっていた。

大事な袋は持っているが、カルブに食わせれば大技を放つことができる赤い石が入っているのみ。

 これを売るなんて、とんでもない。


 右手からは海風が強く吹き、鳥がぴいぴいと鳴いている。

 セラがいれば鳥を射って捕まえることなどたやすいだろうが、ラスターの獲物は小動物を捕らえるには、威力が強すぎる。

 きっと木っ端微塵にしてしまうだろう。頭上から降り注ぐ血を眺めながら肉片を集め、それを調理する。食事としてはいささか悪趣味。


「そういえば、アンタ達はどうして旅をしているの? どうして聖王の元を目指しているわけ?」


 てくてくと歩きながら潮風にたなびく髪を抑えて少女は目的を訪ねた。


 はて、どうしてだっけ? 行く先々で騒動や魔族に出会いそれを解決していく日々を過ごすうちに目的を忘れかけていたカナメはもう一度頭の中を整理した。


「あ? ああ……魔族を打ち倒して世界を救えって言われて――あ、いや。世界を救うためだ」


「は? ええと……ひょっとして、馬鹿なの? こんな人数で魔族軍と?」


 ごもっとも。

 カナメもそう考えている。今は、単独の魔族を辛うじて撃破しているが、軍勢で来られたらひとたまりもない。


「そんなこんなで、魔族と戦っているっていう、聖王さんに会ってみようかな? って」


「呆れた……。でも」


 本当に平和なるものが訪れたとしたら、ルピナは誰にも、何にも縛られず。正真正銘、自由の身となれる。


「なんだよ?」


「何でもないわよ! さっさと行きましょ」


 精霊王たるウィシュナが間違うことなく東端の町に転移させていたとすれば、彼女らに出会わずに旅を続けたのだろうか。

 今となっては、ありがたい事だ、そんな事を考えながら、潮風に目を細めた。


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