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”鯉口”

「――父上ぇっ!」



 いつの間にか眠りこけてしまったようだ。


 冷や汗を流し、いつも見る悪夢から覚める。



 夜風が体の熱を奪ってゆく。

 しかし開け放しの扉は閉めるつもりはない。


 信じていないのだ、娘がいなくなってしまったことなど。

 この世界のどこにも、友はいないという事など。


 迷子になった娘が、ふらりと帰ってくるのではないか、そう思う自分。

 どういう風の吹き回しか、酒を土産に、友が尋ねてくるのではないか、そう考える自分。


「……どうかしてる」


 子を産んですぐに他界してしまった妻は、体は弱かったが、絶世の美女だった。

 覚悟をする時間があったのだ。医者に言われた。子か、妻か選べと。


 妻の支えと、助けがあったから思い出にできたのだ。かといって、決して割り切れたわけではない。




 ――鬼が、いたという。


 揶揄ではない。種族としてそう呼ばれる者がいたのだと。


 ――人を、喰うという。


 斬り伏せてやる。周囲にそう豪語した。


 ――抗えるものでは、ないという。


 確固たる自信があった。この自分の”剣”は、伝説など凌駕するという自信。


 ――それは、実在するという。


 じじばばが、耄碌(もうろく)してらぁ。そう言って笑った過去の若い自分を目の前にすれば、きっと一刀の内に――。




 そして現れ。すべてを奪っていった。


 その日から、『男』は吸い込まれた。


 過去へと。全く光など見えない、”鯉口(こいくち)”のような闇へと。





***





「見てください! カナメさん」


 ラスターが喜色満面で笑みを浮かべ、指を指した方向には。


「あれは、僕のミニ鞄! なんでこんなところに……」


「きっとこれは、神の思し召し、ですよ! 厄災の獣の地団太で、跳ねて転がって来たのでしょう! ああ! 神よ……」


 唐突に地面に膝をついて神に祈るラスターを、気持ち悪いな、と思いながら小走りに駆け荷物を回収する。


「ちょっと心許ないけど、これがあれば、ま、旅はできるな」


「お腹すいたよぅ……」


 華奢な身体のどこに入っていくのか。

 そのくらいに大食のユーミは、既に限界を迎えているようだった。空腹の。


「ワイバーンも、ヒル人間もいないみたいだ。この辺で休憩にしようか。――鍋もあるしな」


 荷物から金属製の鍋を取り出して、カンカンと拳で叩いて見せる。


 早速、セラが仕留め、置いて行ってくれた兎のような小動物を捌く。彼女が捌いているのを見て、その動作や手際を頭に叩き込んだ。


「へぇぇ、上手いもんですね? こんなに料理が得意だったでしょうか?」


「いや――セラさんが捌くのを真似してるだけだ。 後は頼んだぞ、っと」


 そう言って具材を鍋にいれると、クソデカのリュックよりは幾分小さな鞄から調味料の入った子袋を取り出してラスターに手渡す。


「後は、シズク。水を頼むな?」


『あぁ~ん、水ならこの通り――どうですかぁ、この透明感、ま――』


 鍋に必要な分の水がたまった瞬間、帰らせる。このスピード感が、この水の精霊への”ご褒美”だ。


「……! 光だけじゃなくって、水の精霊まで使役するの、この変態……」


「なぁルピナ。聞こえてるぞ? 変態、っていうのは性癖が捻じ曲がった者を指す。僕はいたって――」


「――変態でしょうッ! か弱い乙女の私を抱いて、(さら)って……」


 少女が自分の肩を両手で抱きしめながら、潤んだ瞳で、赤い顔で。言う。


「ヘンなこと言うなよ! あれはいい話の部類だろうが!」


 剛腕の魔術師が、暗い目をして鉄の杖を手に取り、その先端でくべた薪をいじりだす。

 その無表情は正に、――(くろがね)


「ラララ、ラスター? 海路、って言ったよな? 次はどんな段取りで行こうか?」


 絵に描いたように目を泳がせて頭のいいであろう少年に話題を振ると。


「聖王様に、まずは会おうとしているのでしょう? 東端の町で、船に乗ります。その後、文化も常識も異なった『島国』を経て。山脈を迂回する形で、聖王国へと向かうことになります」


 幸運にも小さな鞄に入れていた地図を見ながら少年は言う。


「文化も常識も異なった、”島国”……」


「ソウデス」


「そうです。 カナメさん。そういえば、あなたの真っ黒な頭髪は、変人が多いと言われる極東の島国。その住民が持つ色によく似ていますね?」


「……変態とか、変人とか……。さっきからなんだ? 僕を傷つけたいのか?」


 ラスターとルピナの方を見るが、しかし。ルピナはぐつぐつと沸き始める鍋に夢中になっていた。あの陰湿な森でとる、一人きりの食事はきっと味などしなかったことだろう。


「――おいしそう」


 ぽつり、と。

 先ほどまでは生意気な口ばかりだったが、湯気を立てる様子を見て素直に心のうちを漏らしてしまったようだ。


「ルピナは、どんなものを食べていたのです? どんな味付けが好きですか?」


「キノコに、木の実。葉っぱとか……」


「……昨日はたくさん動いたでしょう? 少し塩分を多めに調味しましょうか」


 微笑みながら、いくつかの調味料を入れて、小皿で味をみる。もう一度何らかの香辛料をいれた後に、うんと言って三つの椀によそっていく。


「食器が足りないからカナメさんは……そうですね、手で食べてください」


「おまえ、だんだん僕に対して雑になってきてない?」


 カナメが情けない顔をしてそう言うと、声をあげて笑いながらルピナに椀と匙を手渡した。


「あ、あり…がと…」


「どうぞ!」


 小さくぼそぼそと礼を言うと、少女は一口、口に入れ、みるみる涙を浮かべる。


「ちょっと……塩辛かったですかね」


 分かっている。ラスターも家族を失っているのだから、誰かが作ってくれる食事がどれほどに染みるか、そんな事は。


 残りの二つの椀をユーミとカナメに手渡すと、自分は落ちている木を拾い、ポケットから取り出したナイフで削り始める。椀を作ろうというのだろう。


「器用なもんだな」


 がつがつと食べ物を口に詰め込みながらカナメが声を掛けると、彼はまた笑って答える。


「こんな事しか取り柄がありませんから。さ、お代わりもありますよ――」


「――おかわり!」


「は、早いですね……」



(極東の島国……か)



 異世界の転生者は、故郷に思いを馳せる――。

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