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第5話 君野詩織との出会い

 2人がお互い2年生になった2013年の春。陽子は悠斗にこう相談した。

「私のサークルで今度、ズムスタでカープ観戦をすることになってるんよ。でも野球のルールもわからないメンバーもいるし、立山も一緒に観戦して、いろいろ解説してくれない?」

「いいよ。でもさ、ルールもわからない人、いるんだなあ」

「当たり前でしょ。広島の人全員がカープファンじゃないんだからね。それに私らの大学は県外出身の人が多いから、なおさら野球に疎い人の割合は高いわよ」


当日の昼0時頃、広島駅の南口の噴水広場で、観戦メンバーが待ち合わせた。陽子のサークルからは7人が参加した。そして悠斗を加えて、全メンバーは8人である。悠斗の先導で、噴水広場からズムスタへと向かった。徒歩約15分。その間の「カープロード」には、赤や白のレプリカユニフォームを着た観戦客が大勢歩いていた。やがて球場が迫ってきた。ゲートでチケットを係員に渡して半券を受け取り、球場内に入り込んだ。既に観客席には大勢のファンが詰めかけており、コンコースも混雑していた。

「わあ、大きいなあ!立山さん、どれぐらいの人が球場にいるんですか?」サークルメンバーのうちの1人が尋ねた。

「観客席は全部で3万3千席ぐらいだけど、今その半分の人がいるとして、1万6千人ぐらいだね。」悠斗は持ち前の知識ではっきりと答えた。

デーゲームの試合が始まってからも、サークルメンバーが質問をして悠斗が答えるというやりとりが何度もあった。カープの攻撃時に流れる、選手別の応援歌を、悠斗はトランペットの音色に合わせてきっちりと歌った。サークルメンバーは誰一人知らない。カープの1点目が入った際には、「宮島さん」の大合唱に続いて、周囲の知らない人同士がハイタッチをし合った。サークルメンバーは最初はそれに驚いたが、2点目からはなんとか自分たちもやってみせた。


試合は見事にカープの勝利で終わった。日が暮れようとしている夕刻、観戦メンバーの8人はカープロード沿いの居酒屋で懇親会を開いた。まだ20歳を迎えていないメンバーが多いので、ソフトドリンクでの乾杯となったが、賑やかに盛り上がった。

悠斗の隣の席に座ったのは、君野詩織という女性だった。悠斗や陽子と同じく2年生である。誕生日が4月15日なので既に20歳を迎えており、メンバーの中でただ1人ビールを飲んでいた。酒を飲めるとはいってもまだまだ不慣れで、ジョッキの4分の1を飲んで既に悪酔い状態になった。悠斗にいろいろと話しかける。


「ねえねえ、全国の球場に行ってるって?」

「そうだよ。南は福岡から北は旭川まで回ったよ。」

「ズムスタで見たらいいのに、何でわざわざ遠くまで行くの?」

「そりゃあ、いろんな球場を見て回るのは楽しいからね。現地の人と友達にもなれるしね」

「へええ…。」


詩織は宮崎県出身であった。野球のルールを知ってはいたが、特にひいきなチームは無かった。広島県については、「平和を祈る県」というイメージを抱いていた。その広島に進学したからには平和について深く学ぼうと思い、平和サークルに入っていた。住んでみて、広島県の人は自分のイメージ通りに平和追求の意識が強いと思った。それと同時に、カープに対する愛着が強いことに驚き、困惑していた。平和追求という重大な社会問題テーマと、「カープ観戦」という「遊戯」を同時に好む、広島県の人のことが不思議に思えた。「カープは原爆で破壊された広島の復興の象徴だから」とは聞いていたが、どうも彼女はストンと理解できなかった。この日の観戦会は、自ら好んで参加したわけではなく、サークル仲間に誘われたからに過ぎなかった。試合観戦中は拍手することは無く、じっと座って見ているだけだった。

そんな彼女であるが、彼女は隣に座った悠斗に、ほのかな好意を抱いた。顔などいろいろな要素が、自分のタイプに思えたのである。彼の強烈なカープ熱には、何がしかの新鮮さを感じると同時に、戸惑いも感じた。


その日以降、良くも悪くも悠斗は、詩織にとって関心の的になった。2人は大学の講義でしばしば一緒になった。会話を交わすわけではないが、詩織は悠斗のことをじっと眺める。彼は一度も欠席はせず、居眠りもせず、教室の前の方に座る勉学熱心さであった。時々発する質問には、博識ぶりを伺わせた。「野球観戦ばかりしている遊び人」というイメージは、彼からは微塵も感じられなかった。なぜ勉学熱心な人が、「遊戯」に猛烈にのめり込むのか。詩織にとって悠斗は、ますます不思議な存在になった。彼のことを深く知りたいという思いを強くさせていった。


詩織は陽子に、「立山さんには彼女はいるの?」と尋ねた。陽子は「高校時代はいなかったけど、今はわからないわ。聞いてみようか?」と答えた。詩織は驚き、「いやいや、秘密で調べてくれない?本当、お願い!」と頼み込んだ。

陽子は悠斗に出会った時、「彼女はできた?」と聞いた。「今はいないけど、でもバイト先に気になる人はいるなあ。でもなんでそれを聞くの?」と返した。陽子は「いやいや私ら昔からのよしみだし、気になってね。私は彼氏がもういるけれど、立山の方はどうなのかなと思ってね」と、煙に巻いた。

その日の晩、陽子は詩織にメールした。「ちょっと大変よ。立山ってさ、彼女はいないけど、気になる人はいるって」

「その人、どこの人?」と詩織からすぐに返信があった。

「バイト先だって。横川のコンビニよ」

「ああ、あそこね」


それ以降、詩織は火が付いたかの如く、まだ面識の無い「コンビニの人」に対する嫉妬心を抱いた。駅前のコンビニに足繫く通うようになった。悠斗が働いているのを見つけると挨拶したが、当然に「気になる人」が誰なのかは聞き出せなかった。そういうもどかしい日々が過ぎていった。

ある日、いつものように詩織はコンビニに入店した。そこにいた店員は悠斗と、時々見かける女性だった。詩織は悠斗に会釈した後、パン売り場の前に立ってじっと商品を見定めた。

その時のことである。レジの方から、店員2人の会話が聞こえた。「もう、立山さんってば!」「ハハハ」 …いかにも仲の良い関係に見える会話に、思わず詩織はレジの方を振り向いた。だが、1秒遅かった。2人はそれぞれの仕事に戻っていて、黙っていた。詩織は商品をカゴに入れた後、女性店員の待つレジに向かった。詩織は会計中に、店員の付けた名札をじっと見つめた。「吉山」と書かれていた。詩織はその名前をきっちりと覚えた。


この年の秋、カープは3位となって16年ぶりのAクラス入り、史上初のCS進出を決めた。Aクラス入り・CS進出が決定した9月25日のナゴヤドーム(現・バンテリンドームナゴヤ)での対中日ドラゴンズ戦で歓喜に沸く現地カープファンのシーンを、詩織はTVでじっと眺めた。悠斗がいるのかと気になったが、見つけられなかった。

2日後に講義で一緒になった時、詩織は悠斗に、「一昨日ナゴヤドームに行ったの?」と尋ねた。しかし悠斗は「いやいや、講義があるから広島にいたよ。でもTVで見ていて泣いたよ」と熱く答えた。泣くほどに感極まった悠斗の熱意と、単にTVを見るだけだった自分とのギャップを感じた。しかし詩織は「立山さんについていけるように、もっとカープを好きになりたい」と思うようになった。平和追求への思いが非常に強い一方でカープ愛が強い広島県民のことを理解したいと思うようになっていった。また、「吉山さん」というライバルが存在することも、詩織の背中を押した。


 3位に決まったカープはその後甲子園球場でCSファーストステージ、対阪神戦に臨んだ。カープの勢いは衰えを知らず、2連勝してファイナルステージ進出を決めた。詩織はその翌日の学校帰り、横川のいつも通うコンビニで、ファイナルステージ進出を詳しく報じた地元新聞を買った。しかし、購入後にコピー機を利用した際に、機械の上に置き忘れてしまった。それに気付いたのは自宅に帰って入浴して、就寝用の部屋着を着た時だった。それまで着ていた服を洗濯機の中に入れる際にポケットの中を探ってコンビニのレシートを取り出し、読んでみて、初めて新聞を忘れたことに気付いた。自宅からコンビニへはそう遠くはないが、できれば風呂上がりのジャージ姿で外出したくない。そう思って、レシートに書かれた電話番号から店に電話してみた。

電話に出たのは女性の声だった。詩織は店で新聞を取り置いてもらうように頼んだが、店員は厚意として、「ご自宅に届けに伺います」と提案した。詩織は軽く驚いたが、その厚意に甘えたいし、相手も女性だからということで安心して、自分の住所を教えた。


 30分ほどして玄関のベルが鳴った。ドアを開けるとそこにいたのは、しばしば見かけて苗字を覚えていた吉山千佳子だった。千佳子は平身低頭に「申し訳ありませんでした」と言った。更に、常連として詩織の顔を覚えていたので、「いつもご利用ありがとうございます」と言った。

 そう相手が低姿勢に接した上に、待ち時間に飲酒していた詩織は図に乗って、ぶしつけな質問をした。「ねえねえ、貴方と立山さんは、友達なの?」

「あ、立山ですか…。」自分と同じ組織の従業員は呼び捨てで呼ぶというマナーを、若いながらも千佳子はわきまえていた。そして、何を言っていいのかわからないので、黙り込んだ。

しかし、「親しい関係だから呼び捨てで呼んでいるんだ」と勘違いした詩織は半ば逆上し、「ねえねえ、どうなの?」と更に問い詰めた。

千佳子は仕方なく答えた。「立山と私はお互いカープが好きなもので、よく話をしていまして…。」そこで詩織は何か言いかけたが、千佳子はそれを遮るように、「それでは失礼します」と言い、そそくさと帰っていった。

 詩織が受け取った地元新聞にはカープのこと、平和問題のことが深く書かれていたが、彼女は「明日読もう」と机に置き、そのままふて寝した。


 翌朝目が覚めた詩織は、酒もすっかり抜けていた。彼女は昨晩のことを思い出してハッとなった。「吉山さんに申し訳ないことをした。謝りたい」と一心に思った。

 だが、登校途中にコンビニに寄ってみても、千佳子はいなかった。学校内で悠斗を見かけると、一心に駆け寄った。「ねえねえ、立山さんのバイト先に、吉山さんっているでしょ?」

悠斗はニヤリとして、「うん、いるけど、どうした?」と聞いた。「昨日さ、私の家に折角新聞を届けてもらったのに、私酔っぱらっていて、失礼なことをしてしまったんよ。謝りたいけど、あの人ここの大学なの?」

「いや、隣の大学だよ。アハハ、昨日のことは吉山さんからも聞いたよ。彼女驚いていて、「なんか酔ってたよ」と言ってたよ。でも気にしてないと思うよ。」

「ならいいけど…。」

「まあ、悪酔いには気を付けることだね。吉山さんには伝えておくよ。」

悠斗から軽く説教された詩織は、キュンとした気持ちになった。


悪酔いした上での言動を反省したものの、詩織は、「立山さんと吉山さんは、カープの話で仲良くなっている仲なんだ」ということを覚えてしまった。そのことは更に、吉山千佳子への嫉妬心を深めていった。「私も猛烈にカープを勉強する」と決意した。


それ以降、詩織はカープの選手の名前、球団の歴史を必死に覚えていった。悠斗にいろいろと質問した。

「野村監督って、どこの出身なの?」「大分県だよ」「わあ、宮崎の隣じゃん!」

「カープと、車の会社のマツダは、どういう関係なの?」「マツダは筆頭株主だけど、全株式の5割以上持っているわけじゃないから、それほど影響力は無いよ。」


11月12日に大竹寛投手が国内FA権の行使を表明した。そして巨人への入団が決まった。人的補償として巨人の一岡竜司投手がカープに移籍した。詩織は悠斗に、「FAって何なの?」「人的補償って?プロテクトリストって?」と質問攻めにした。そうやって会話を深めていくことで、2人の仲は深まっていった。

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