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第3話 悠斗と陽子

 4日の旭川、5日の札幌いずれも、観客席の多くを占めたのは巨人ファンで、カープファンはあまり多くなかった。外野席では4分の1程度だった。


 旭川スタルヒン球場での、そのあまり広くないカープファンエリアに、1人の男子高校生が座っていた。名前は立山悠斗という。広島県三次市在住で、高校1年生である。広島市内の学校に通っている。6月に16歳になったばかりである。中学3年の時から鉄道での一人旅が好きで、全国を回っていた。カープの、広島以外での試合も観戦していた。そして高校に入って初めての夏休みということで、思い切って行動範囲を広げ、北海道まで旅行した。小学生の時から旅行雑誌や鉄道関係のライターの著作を読みふけっていたので、1人で北海道まで行くことは彼にとって大変ワクワクさせることだった。

通学の定期券で三次駅から広島駅まで行き、そこから「青春18きっぷ」を使って、山陽本線を東へと移動した。福山、倉敷と、街並みが途切れずに続く。岡山から少々山深くなり、相生からは再び街並みが続く。姫路からは高速の新快速で、一気に移動する。街並みも段々、大都会の様相を呈していく。大阪市内に入り、JR難波駅で降り立った。駅に併設のバスターミナルからバスに乗り、京都府舞鶴市へ向かった。降りた先は、舞鶴の海岸沿いにあるフェリーターミナルである。ここから長距離フェリーに乗った。大浴場にレストラン、海を眺める開放デッキと、贅沢な時間を過ごし、丸1日かけて北海道小樽市へと移動した。そこから更にJR路線やバスに乗って北上し、旭川に着いた。カープのレプリカユニフォームを着て、観戦に備えた。旭川駅からバスでスタルヒン球場へと移動する際に、隣り合わせに通るバスの窓の向こうから、カープ球団のスタッフが手を振ったのが、印象的だった。


 球場の外野席は芝生席である。悠斗は、ちょうど守と拓人の座った所の隣に座った。芝生席では、カープファン特有の応援「スクワット応援」(席を立ったり座ったりを繰り返す応援)がしづらい。ズムスタのように椅子状の座席がある所では、席で中腰に座った後で立つのはたやすいが、芝生席だと地面に深くしゃがみ込んでからいきなり体をまっすぐ起こすので、疲れやすいからである。悠斗はすぐにスクワット応援を諦め、終始直立して応援した。

彼は試合観戦をしつつも、隣の2人のことが気になった。「このおじさんとおじいさん、どういう関係なのだろう?親子ではなさそうだけど」「おじいさんは広島弁だけど、おじさんはなんか訛りが違うなあ?」と悠斗はぐるぐる頭を思い巡らした。


そのうちに、守の方が悠斗に話しかけた。「ボク、旭川の人?」

「いいや違います。広島です。」

「おお、広島か!遠くから凄いな!広島のどこ?」

「三次です」

「奇遇じゃのう!わしも三次だよ!三次のどこ?」

十日市町とおかいちまちです」

「わしも十日市町だよ。高校はどこ?」

「JR芸備線に乗って、広島市の戸坂へさか駅で降りたところです」

「おお、山根高校か」

「そうです」


北海道の地で、同じ三次市の市民同士が出会うのは大変な偶然である。しかし守と悠斗との会話は、それきりだった。守にとって悠斗は、「普通の童顔の男の子」にしか見えなかった。悠斗にとっても守は、「普通のお爺さん」にしか見えなかった。お互い顔をきっちり覚えずに、その場を別れた。亀井選手のサヨナラホームランを浴びての無残な敗戦。ファンは芝生に敷いたビニールシートをおもむろに片付け、寂しい背中を見せながら散り散りに帰っていった。

悠斗は旭川駅に戻り、往路と同じルートを辿って小樽港に向かい、フェリーに乗って北海道を離れた。試合は虚しい敗戦であったが、はるばる北海道に行ったこと、それ自体は大きな充実感を覚えた。広々とした畑が水平線を描くようにどこまでも広がる風景は、細やかな田んぼや小川が織りなす中国山地の風景とは大きく違っていて、悠斗は、「同じ日本でもここまで風景は違うのか」と感嘆した。


9月になった。夏休みが終わって学校の二学期が始まり、悠斗は芸備線での通学を再開させた。三次駅から戸坂駅へは、およそ1時間40分かかる長い行程である。山根高校は進学校であり、勉強が厳しかった。4月に入学して以来、悠斗は列車内では、参考書を読みながら過ごしていた。


三次駅から広島駅に向かう列車には、山根高校とは別の高校に通う高校生も多くいた。白いシャツを着た男子生徒と、リボン付きブラウスを着た女子生徒が混じり合い、車内を埋めていた。芸備線は架線の無い非電化路線なので、列車はディーゼルカーである。「ブウォォォ」とエンジンの音を響かせながら単線の線路を突っ走り、大勢の通学客を運んでいった。

その大勢の、毎日のおなじみの通学客の中には、須川陽子がいた。戸坂駅から更に2駅先の広島駅まで行き、広島市中区の幟町のぼりまち高校に通っていた。こちらも勉強が厳しい進学校である。

悠斗と陽子は三次市内の同じ小学校出身の同級生だった。2年生、4年生、6年生と3年間クラスが一緒で、よく話し、よく遊んでいた。2年生の時は学校の校庭で砂遊びをして、4年生の時は互いの家を行き来して漫画を貸し合っていた。卒業後、悠斗は地元の公立中学校に入学したが、陽子は中学受験を経て私立の幟町中学校に入学した。それゆえ2人はほぼ出会わなくなった。しかし3年後、悠斗も広島市内の私立山根高校に通うことになり、2人は毎日列車で一緒になるようになった。運行本数の多くない芸備線であるので、広島市への通学では必然的に同じ列車になる。


列車で一緒になるとはいっても、2人とも参考書をじっと読むだけで、会話はしなかった。時々会釈をする程度だった。1時間40分の行程の車中の中で、微妙な距離感が2人の間を流れていた。小学生の時に思いっ切り遊んだ2人の関係とは打って変わり、お互い高校の勉強に集中する。少々はお互いを意識しつつも、ただすれ違いに行き交う他人のようになってしまっていた。

ところが、2学期が始まった日のことである。悠斗は夏休みに思いっきり遊んだ疲れを感じていた。おまけにその日は始業式のみで、授業は無いので、参考書を読む必要もなかった。彼は寝不足もあって、腕組みをしながらコクッコクッと眠りこけた。そして降りるはずの戸坂駅を通り過ぎてしまった。


その様子を見ていた陽子は、彼の方に寄って行った。

「ちょっとちょっと、立山!」

「ムニャムニャ。あ、須川かよ。何?」

目を覚ました悠斗は怪訝そうにしたが、陽子に「あんたの降りる駅、過ぎてるわよ!」と言われて、状況を掴んだ。悠斗は意識をさっぱりさせ、「やべえ、次の駅で降りるよ!」と叫んだ。陽子がクスっと笑う。悠斗がそれまでいつも目にしていた、真剣な目つきで参考書を読む陽子とは対照的だった。陽子は内心、それまで話しかけ辛い雰囲気を漂わせていた悠斗に堂々と話しかけるきっかけを見つけて、嬉しく思っていた。


乗り過ごした戸坂駅の次の矢賀やが駅に着くまでの短い時間、2人は軽く会話した。陽子もこの日は始業式のみで、勉強する必要が無かった。陽子に「夏休みはどうだった?」と振られた悠斗は、「1人で北海道に行ってきたよ!」と返した。陽子は「ええ!?1人で北海道まで!すごい!飛行機で?」と聞いてきた。

「いや、JRの普通列車とフェリーだよ。2日かかったよ」

「そんなに長くかけて行くなんて、たくましいねえ。どこに観光したの?」

「旭川スタルヒン球場と札幌ドームで、カープの試合を見たよ」

「ええ!?そこまで行かなくても、別に、マツダスタジアム(以下、「ズムスタ」)で見たらいいじゃん」

「いやいや、いろんな球場を巡るのは面白いよ」


その会話の内容は、周囲にだだ洩れだった。会話の内容に驚いて聞き入っている人が何人もいた。

矢賀駅で悠斗は降り、陽子は1人になった。矢賀駅の次は、列車の終点にして陽子の降りる駅である、広島駅である。駅に入る直前に列車は、ズムスタへと向かう「カープロード」と並行して走る。それを見ながら陽子は思い巡らした。


「今年完成したズムスタはお店とか一杯あるから、何度行っても飽き足らないのになあ。他の球場に行くとか、立山は面白いな」

「旭川スタルヒン球場って、どんな球場かな?三次きんさいスタジアムみたいな所かな? …というか、「スタルヒン」って何?」


彼女は帰宅してから、家のパソコンでネットを開き、「スタルヒン」について調べた。ロシア出身で日本に命からがらに亡命したこと、太平洋戦争の最中に「敵性外国人」とみなされて迫害を受けたことを知った。彼女は「戦争で大変な苦労をした人なんだな」と関心を抱いた。

翌日の芸備線の車中で、陽子は悠斗に話を振った。お互い参考書を見ながら黙ってすれ違う関係から溶きほぐれ、フランクに話をするようになっていた。勉強は朝イチの授業開始前に駆け込んでやればいい、という気の緩みもあった。

「スタルヒンについて調べたけどさ、戦争の最中で苦労した人らしいね」

「俺はよく知らないよ。どこかの外国人だろうと思っただけだよ。そういえば球場の前に銅像があったね。というか、どこのチームだったの?」

「確か、巨人だったわ」

「なあんだ。敵じゃんかよ」

「ええ?それって…。」

陽子の頭の中に、何かつかえるものがあった。戦争の悲劇というものには、カープだろうと巨人だろうと関係ないというように、陽子は思った。

陽子は学校の部活で、平和活動部に所属していた。広島市内のいろいろな学校の生徒による、合同サークルで、平和や原爆問題についての勉強会や関係者へのインタビューなどをしていた。それゆえ、平和のこと、広島への原爆投下のことについては、強い関心があった。


悠斗は部活には入っておらず、カープ観戦に夢中になっていた。とはいっても学校帰りに球場に行くことは校則で禁止されていた。また、そもそも遠い三次まで帰ることを考えると、ナイターを最後まで観戦することは無理だった。彼は授業終了後に学校内の進路指導室のテーブル席で宿題を済ませていた。そして帰りの芸備線車中では翌日の授業の予習をしていた。そうやって学業を帰宅前までに済ませ、帰宅してからはカープTV中継を見続ける日々だった。彼の両親も熱心なカープファンであった。ズムスタでデーゲームが開催される週末には、家族揃って観戦に行っていた。両親は前田健太投手と栗原健太選手のレプリカユニフォームを着用し、悠斗は赤松真人選手のユニフォームを着ていた。


10月4日、日曜日。悠斗は広島市内のそごうやパルコを友人たちと巡ってショッピングを楽しんでいた。この日はカープは、横浜スタジアムで横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)とデーゲームを行った。敗戦してこの年のBクラス入りが確定し、ブラウン監督は退任することが決定した。


友人と別れた後の、帰りの芸備線の車中。悠斗が1人で座った席の近くの、4人掛けボックス席で、大庭守など老人たちが会話していた。

「ブラウン監督が辞めて、次は野村監督になるんだってな」

「あの監督は4年間よく頑張ったよ。黒田と新井が抜けて戦力的に苦しい中で、Aクラス争いを繰り広げてくれたよ。ほんと盛り上がったよなあ」

守は切り出した。「わしはなあ、8月に旭川に行った時に、あの監督に直接会ったよ。いい人だったよ」


その会話を聞いて、悠斗は振り向いて守の方を向いた。自分と同じく旭川に行った人が、この広島の芸備線の、三次行き列車の車中にいるという偶然に驚いた。そして、あの球場で自分と会話した守のことを思い出した。自分の振り向く先にいる老人は、まさにあの時会話した守だった。悠斗は守の顔を思い出した。

「何という名前のお爺さんだろう?」と気になったが、会話仲間から「大庭さん」と呼ばれているのを聞き取った。

「大庭さん…。そういえば、小中の同級生にいるな。彼のお祖父さんかな?」と悠斗はひらめいた。


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