第18話 3人の新たな出発、そして赤く染まった金沢
この年のカープは、Aクラス入りが懸かったレギュラーシーズン最終戦で敗れ、4位に終わった。悠斗と詩織はやや遅れがちになっていた卒業研究を一層スピードアップさせた。卒業後の進路は既に決まっていた。悠斗は広島市役所の採用試験に合格し、詩織も広島ローカルTV局からの内定を得ていた。
年が明けて2016年になった。1月に2人は猛烈な勢いで卒業研究に追い込みをかけ、末日の締め切り日に提出した。2人はその日の晩に慰労を兼ねて、悠斗の自宅で飲み交わした。
「ああ、一年お疲れ様。長い一年だったわね。なんか色々あったね。」
「明日は何も無いからたくさん飲めるんじゃない?詩織」
「そうね、たくさん飲んじゃおうや」
「悪酔いだけはするなよ」
悠斗と詩織は乾杯して語り合い続けた。話すことが続き、酒があまり進まない。そのうちに須川陽子を呼ぼうということになり、彼女を電話で呼び出した。30分ほどして彼女がやって来て、改めて乾杯し直した。陽子も卒研の提出を終えていた。卒業後の進路は、同じ大学の大学院進学であった。
悠斗が切り出す。「須川とは小学2年生以来の仲だよな。もう14年の縁だよ」
「お互い高校生だった時、あんたが戸坂駅を乗り過ごして私が起こしたの、懐かしいわね」
「そんなこともあったなあ。ハハハ」
「あの頃から立山って、カープ遠征の旅行を続けてるよね。凄いわよね。私なんて今なおズムスタしか行ってないよ」
「これから行ってみたらいいんじゃない?そうそう、今年のカープは7月に金沢で試合をやるよ。行ってみたら?」
「いいんだけど、1人で観戦するのは寂しいなあ」
「俺らの共通の知人の、大学の先生がいるよ。紹介してやるから、一緒に見ない?」
「それはいいわねえ!」
4月になり、悠斗と詩織は社会人デビューした。陽子も大学院に入学した。専攻は平和学である。
3人とも忙しい日々を送った。悠斗と詩織は新人研修が忙しく、しばらくズムスタへ行けなかった。しかし職場はカープファンが非常に多いので、話題には事欠かなかった。
4月26日に新井選手が通算2000本安打を達成した。悠斗と詩織は仕事帰りの夜遅くに流川で落ち合って、居酒屋で祝杯を挙げた。隣の席の中年男性グループとも喜び合った。男性陣は「一昨年の秋に新井が戻った時、正直戦力になるとは期待してなかったよな」「でもなあ、見事に這い上がって4番になったよな。もう歳も歳、アラフォーなのに、凄いよな」「今や黒田と彼は、チームの精神的支柱だよな」と饒舌だった。
7月に陽子は金沢へと旅行した。彼女にとって初めての北陸訪問である。喧騒の中にも歴史的品格を漂わせる金沢の街を巡った後、臨時バスで球場に向かった。球場の前はカープの赤のユニフォームをまとった人、中日ドラゴンズの青のユニフォームをまとった人で混雑していた。外野席の入口の前で拓人と待ち合わせた。拓人は5人の若い男女と一緒である。
「そちらの皆さんは?」と陽子が尋ねた。
拓人は、「私のゼミ生ですよ。私が誘ったらみんな来てくれました。ハハハ」と快活に笑った。
拓人とゼミ生、陽子の計7名が座った前の席には、楽しそうな2組の家族連れがいる。聞くと、保育園のママ友同士で誘い合ったという。カープファンの輪は大きく広がっていた。レフトスタンドから三塁側スタンドを、カープファンがぎっしり埋めていた。8年前に守が1人、雨の中で観戦した時と比べ、この球場のカープファンは大幅に増えていた。
この日は黒田投手が先発であった。彼はこの時点で日米通算199勝で、この金沢での試合で200勝を達成するかと、全国が注目していた。球場の半分を赤く染めたカープファンが熱く応援した。
残念ながら敗戦し、黒田投手の記録達成は持ち越された。しかし陽子は、強烈で清々しい思い出を持ち帰って広島に帰った。高校1年生の時に理解できなかった、幼馴染みの悠斗の趣味を、ようやく理解した。むしろ「私も早く始めたらよかった」と後悔した。




