第11話 12月27日、午前3時の衝撃
新井選手のカープ復帰の報は、悠斗と詩織の大学でも広く話題になった。広島出身の学生は、「7年前に出て行ってファンに物凄く恨まれたのに、まさか戻って来るなんてね」と言った。しかし県外出身の学生は7年前のことを知らず、「へえ、そうなんだ」とつぶやいた。
当然に悠斗と詩織の間でも話題になった。詩織は宮崎でカープに縁無く過ごしてきたので、7年前のことを知らない。悠斗に、「7年前に恨まれたって、どういうこと?」と尋ねた。
「「カープが好きだから、辛かったです」と、あの時の記者会見で言ったけどさ、「愛着があるなら出て行くなや」と、みーんな怒ったんだよ」
「へえ、そうなんだ」
「その翌年のシーズンのさ、市民球場(旧広島市民球場)での最初の阪神戦でさ、彼がバッターボックスに入る時に、もう球場全体から、大ブーイングが起きたよ。俺もその時球場にいたけどさ、一緒にブーイングしたよ」
「プロ野球ポテトの新井のカードを、友達みんなで踏ん付け合ったよ」
そう話す悠斗は段々語気が強くなっていった。詩織は驚き、怒りを感じた。そして悠斗の頬を思い切りビンタした。
「そんなことしちゃいけないでしょ!新井さんも人間でしょ!」
「あの時のファンの気持ち、お前は知らないだろうが!」
口論になった2人は気まずくなり、そのままそれぞれの講義へと向かっていった。
その後詩織は冷静になり、悠斗に「ビンタしてしまってごめんね」と謝った。しかし彼女の中では、時に選手を罵倒することも厭わないカープファンに、心の隅でつっかえたものを感じるようになった。明るく楽しいカープファンの負の部分を見た気がした。
12月26日。大晦日が迫り、師走らしい忙しさが街中で強くなっていった。広島市中心部の歓楽街の流川、薬研堀ではあちこちの店で忘年会が開かれていた。お開きになった後は市内電車、バス、タクシーで散り散りに帰っていく。日付が変わった27日の0時。横川のコンビニでは、忘年会帰りの人が酒臭い口臭を漂わせながら買い物をしていった。悠斗はトラックで納入された商品を陳列しつつ、レジに客が来る度に足早に駆け付けて会計していった。
彼はこの日、深夜勤務のシフトに入っていた。2時になるとさすがに客は少なくなったが、膨大な業務は終わらない。売れ残った新聞をまとめてレジ横のカウンターに置いた。3時に、新聞販売店の従業員が朝刊を持って来て、引き換えに売れ残りの前日付新聞を引き取った。悠斗は新しい新聞を陳列コーナーに並べていった。五大新聞やスポーツ紙など様々な新聞を、それぞれの定位置へと並べてゆく。広島の地元新聞を手に取った時、一面トップの見出しが目に入った。悠斗は「あっ!」と驚いた。
詩織は26日の夜から自宅で、大学の冬休み中の課題であるレポートを作成していた。翌27日に広島駅から新幹線に乗り、宮崎の実家へと帰省する。それに間に合わせるべく、レポートの作成を終わらせようと懸命になっていた。日付が変わっても終わらない。3時にようやく終わり、プリンターで印刷した。ほっとしたところで、玄関のドアが「ドドッ」と鳴った。いつものことである。新聞が配達されて、ドアのポストに差し込まれたのである。詩織は平和に関する報道を読むために、半年前から地元新聞を定期購読していた。
ポストから新聞を手に取った彼女は、その一面トップの見出しを見て、「あら?」とつぶやいた。
「黒田、カープ復帰へ」
カープの元エースで、新井選手と同じ年に大リーグに移籍した黒田博樹投手が、カープに復帰する。地元新聞が真っ先に報じたこのニュースは、広島そして全国の大きな話題となった。この地元新聞は記事の信憑性が確かなので、飛ばし記事であるわけはない。ファンは驚き、そして大きな喜びを感じた。大リーグ球団の巨額の年俸提示を断って、ずっと年俸額の少ないカープに移籍するという黒田投手の決断は、「漢気」と表現されて、一大ムーブメントとなった。
深夜勤務を終えた悠斗は、勤務帰りに自ら地元新聞を買い、帰宅してじっくり読み込んだ。
8時になると詩織に電話した。
「もしもし詩織、起きてる?」
「ムニャムニャ。寝てたわよ。もう!私、レポート書いてたから4時に寝たのよ」
「新聞読んだか?」
「読んだわよ。黒田投手がカープに戻るんだってね」
詩織は大リーグに移籍する前の黒田投手を知らない。カープファンになった後に、「大リーグで活躍している黒田投手は元カープ」ということは知ったが、それだけだった。だから悠斗と違い、「カープに復帰する」という事実の受け止め方が違っていた。
「大変なことだよ、これ!」
「どう大変なのよ」
「滅茶苦茶大きな戦力補強だよ!来年は優勝するよ!」
「そうなったら嬉しいわね。優勝って、確か23年前からしていないんだっけ?」
「そうだよ。俺らがまだ生まれてないよね」
「来年が楽しみだねえ。ちょっとごめん、私今日帰省するから、今から荷造りするよ。じゃあね」
詩織は新幹線、在来線の日豊本線の特急、延岡からのバスを乗り継いで、実家に帰った。実家の母親も、「黒田投手が広島カープに戻るんだってね」と言った。母親がカープの話をするのはこれまで記憶にない。それほどまでに、「黒田復帰」は大きなニュースなのだと実感した。




