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「エリザベートは変わっちゃったよ、昔は可愛かったのに……今じゃ俺の嫌いな『よくいる貴族令嬢』達とほとんど同じだ」


 ガゼボの外の私に気付かないままそんな言葉を零したアルバート殿下。その後、私の兄を含む側近達の声も漏れ聞こえてくる。贅沢だ、と窘めつつも真剣に取り合う様子は無い。そのやり取りから、アルバート殿下が普段から婚約者である私に対して似たような不満を口にしていることがうかがえた。


 途端に私の全身を、一瞬で血が巡るほどの激しい怒りが沸いた。

 当たり前でしょう……?! 私は王妃になるのよ?! 貴方が私を婚約者に望んだから王妃教育を受けているのよ……っ?!

 王妃に相応しく在れ、常に未来の王の伴侶として振る舞え、そう強いられているのは誰のせいだと思ってるの……?!!


 私だってマナーの勉強なんて嫌いだ。横乗りしか許されない乗馬の時間は退屈だし、子供の頃みたいに狩りに行きたい、釣りもしたい、また変装してお忍びで街に買い物に行きたいのに……! 常に王宮から派遣された侍女が目を光らせて、「淑女らしくない」振る舞いをするたびに教育係の夫人達に言い付けられて、そんな窮屈な生活をする羽目になって、したい事も出来なくなった私が「よくいる貴族令嬢」になったから可愛くなくなった、ですって……?!


 私何度も説明したわよね? アルバート殿下に「昔みたいにアルって呼んで」「久しぶりに遠乗りでもしよう」なんて言われるたびに、監視役の夫人の前で「次期王妃である私にはそのような振る舞いは許されておりません」「私の意思でお受けする事は出来ません」って!!

 断る言葉にも可愛げがなくてつまらないとか、どの口が言う?

 自分の母親見てたら私にそんな選択の自由なんて無いって分からない? 確かに禁止されてはいないわよ。ええ。でも周りが思う「王妃に相応しくない行動」を取るたびに細かくお小言をいただいて、教育時間を増やされて……実際の私に自由は無いのだけど? 手紙も検閲されてるし、私には常に監視がべったりついている。監視は王家がつけているので、アルバート殿下が命令して下がらせないと私は自分らしく振る舞えないのだが、それを監視に咎められない程度に遠回しに伝えても一切察しようともしない。

 いや、私の監視役を下がらせたらアルが叱られるから、私に負担を強いて当然と思っているこの様子ならならそんな気遣い望めないだろう。


 王妃様の指名した教育係が見ている以上、抱き寄せようとされても微笑を浮かべたままやんわりたしなめる事しか許されていない。こちらから抱きつき返したりなんかしたら私だけお説教が待っているだろう。

 そのお前が。

 お、ま、え、が!!

 お前が! 私を! 婚約者にしたから!! 私がこんな目にあってるんだろうが!!


「エリザお嬢様……」


 双子の従者が気遣わしげに、囁く程度に私に声をかける。そんなやり取りも、その双子の後ろから目を光らせるエヴァンス夫人に一挙手一投足を監視されているわけだが。

 あと一歩踏み出せば、ガゼボの中にいるアルバート殿下……及び私の兄を含んだ側近達に見つかり、私が全て聞いていたと知らしめることが出来るだろう。

 だが。

 ……私は彼らから見えない位置に立ったまま、静かに静かに呼吸を繰り返して、この煮えたぎるような怒りを鎮めた。


 本当は、今すぐガゼボの中に飛び込んで、「あんたが私と結婚したいって言ったからでしょうが!!」と叱りつけながら扇でアルバート殿下の顔を打ち据えてやりたい。

 周りで、「確かに昔のエリザの方が表情も豊かで可愛かったよなぁ、俺の後一生懸命走ってついてきて」「騎士ごっこにも混じってたよな」「今は貼り付けたような冷たい微笑しか浮かべない」「家ではもうちょっと感情豊かに見えるんだけどな、悪いなアルバート、エリザが素直じゃなくて」なんて……いかに今の私がつまらない女か下げて話して笑う、兄を含めたアルバート殿下の側近達の顔も同じように。


 私は……アルバート殿下が、アルが好きだから、苦手なマナーの習得も、嫌いな歴史や政治、経済の勉強も、外国語の習得も頑張ったのに。頑張っていたのに。

 私だって、アルとお兄様達と一緒に変装して冒険者登録したかった。みんなと一緒に野営して、焚き火を囲んで、その日の獲物を血抜きして焼いただけの肉に齧り付いてみたかった。平民に混じって祭りの屋台をやってみたかった。飛び入りで大通りの舞台に登って劇に参加してみたかった。

 私は口を開けて笑っただけでも怒られるのに、アルもお兄様達も「ちょっとのやんちゃ」で済まされる。

 王妃様は「王太子であるアルバートにほんの少しの瑕疵も付けたくない」と婚約者の私の教育はギチギチに締め上げるくせに、自分の息子には甘い。それを許す周りも腹が立つし、私にだけ負担を押し付けて自分は好きな事をやっているアルバート殿下や兄を含めたあそこの面々には怒りを通り越した激情を感じる。


 でも、それでも。我慢していたのに。やりたい事、やりたかった事、たくさん、たくさん、たくさん。

 怒りが凪いだ時。すうっと、溶けてなくなるように胸の内から何かが消えた。


 ……きっと、私に許された行動の中での最善手は、今すぐ皆の前に歩み出て悲しげに振る舞って見せる事だったのだろう。

 そしてこれから……アルバート殿下の前でだけ、少しずつ素を出して。私が何も変わっていない事、アルバート殿下のために王妃に相応しくなるべく頑張っていただけだ、と素直に伝えて……時々昔のように弱音を吐きつつ甘えればいい。その度に「淑女のすることではない」と教育係達から報告が上がってお叱りを受けるだろうが、アルバート殿下との関係を第一に考えるならそうするべきだ。

 そうすれば、アルバート殿下とは昔の仲睦まじさを思い出した、より良き関係になれるだろう。


 でも、もういい。


 私はそのまま踵を返すと、待たせていた馬車に乗り込んで邸宅へと帰った。授業が早く終わったから、折角だし顔を見たいなんて思うんじゃなかった。……いえ、そう思いついて良かった、でなければ私はああして陰で馬鹿にされたまま王妃にされていたのだから。

 エヴァンス夫人からは、殿方達の内緒話を聞かなかったことにした淑女らしい対応に見えただろう。

 あそこは王族以外が入ることの許されていない庭園で、出入り出来る使用人も限られている。しかし現に私が立ち聞き出来たように、完全な密談の場ではない。あんな場所で未来の王妃の陰口を……あんな迂闊な内容を話すなんて、愚かすぎてアルバート殿下にも兄にも他の側近にも失望だわ。


 「何故エリザベートは昔と変わってしまったのか?」それを私に不満そうな態度に出すだけで、何でそうせざるを得ないかとか、どのような環境を整えたら昔の私を取り戻せるのかを考えもしないのね。

 だいたい王妃教育だけ厳しすぎなのよね。次期王はあんなに自由にさせて。子供の頃「アルバートはちょっと抜けてるところがあるからエリザベートはしっかり支えてあげてね」って、王妃様に言われた時は心の底から「期待されてるから頑張ろう!」と思ってたけど。

 アルバート殿下への想いが冷めた今、子育ての失敗を私みたいな小娘に押し付けたようにしか見えない。いえ実際そうだったのだろう。自分の息子には最低限の義務さえ果たせば自由にさせたい事をさせて、その穴埋めを私にさせていた。


 そもそも、王妃様のご実家が伯爵家であるために、「文句の付け所の無い王妃」が望まれて私がこんなに窮屈な思いをする羽目になったのよね。

 事情があったにせよ自らが王家に嫁ぐ選択をした王妃様はいいじゃない。ご自分で納得されて、実家の力が足りない分自分の力を高めようと王妃として完璧な存在を心がけているのだから。「王妃様の考える理想の王妃」を。

 王妃の実家の力が弱い王太子の未来を案じて公爵家の令嬢を婚約者に選ぶのも、後ろ盾を望むのも王妃として当然だろう。ただその自分の「理想の王妃のふるまい」を私にも全て押し付けてくるせいで私にはほとんど自由に過ごす時間はなかった。

 私だって、私が心から望む日常の過ごし方は貴族令嬢として許されないというのはわかっている。ただ、王妃様の強要する立ち居振る舞いは私達の親よりも上の世代には「模範的な淑女」と褒められるような行いにはなるが、その下……私達の親の年代の貴族にすら「今時こんな古き良き振る舞いが出来る淑女がいたとは」と驚かれるようなものだ。つまり私と同年代の令息令嬢からすると古すぎて笑われるようなマナーも含まれる。

 そんな古臭いしきたりを守って、なんのために息苦しい生活をしてたんだろう……


 確かに、評判としては「アルバート殿下を淑女として完璧なエリザベート嬢が支えれば少し落ち着いて、素晴らしい夫婦になられるだろう」と言われていた。実際、私ならアルバート殿下をうまくおさえて、やればできるのにやらずにすぐ側近と抜け出す学生気分の彼らを制御できただろうけど。

 こっそり平民として冒険者登録して野営をした思い出を語られながら「エリザも来れば良かったのに」なんて言われた時はただ寂しかったけど、婚約者の状況も知らずにずいぶん呑気だなと今なら思う。統治者に向いてないんじゃないかしら。

 ……ああ、外国を知っているせいで、この国の男尊女卑社会の嫌なところが浮き彫りになって、愛想が尽きた私の目に付く。


 私は家に着くとすぐ、仲の良くない異母妹をサロンに誘うように侍女を遣いにやった。残ったもう一人がエヴァンス夫人に見えない角度から、心配そうに私に視線を向ける。しかし夫人の前で計画を話すわけにはいかない。2人に伝えるのは今日の夜、入浴中の世話をされながらになるだろう。心配をかけたことを謝らなければ。

 エヴァンス夫人は家庭教師ガヴァネスとして我が侯爵家に滞在しているが、家族……姉妹の語らいにまで同席するほどの強権は持っていない。エヴァンス夫人の息のかかった使用人を話が聞こえない部屋の壁際に置いて、その場に異性がいなかったと分からせる事が出来ればいい。


 私は席についた異母妹……アリスを歓迎すると、「笑顔のまま表情を変えないように」と笑みを浮かべたまま前置きをしてこう尋ねた。


「アリスはまだ初恋が諦めきれないの? 初恋の……私の婚約者のアルバート殿下にまだ叶わぬ恋をしてるのね。可哀想に」

「……何をおっしゃってますの?」

「私とアルバート殿下は子供の頃から築いた思い出と絆があるからアリスがそこに入るのは無理そうね。王都にいないで貴女も辺境に来て、一緒に幼少の時を遊び相手として過ごしていれば機会があったかもしれないのにね」


 義母と同じ、女狐の笑顔を貼り付けた異母妹は、その表情の下に憤怒を隠して私を睨みつけてきた。

 それに応えるように、淑女の微笑で固めた顔で私は話を続ける。一見、貴族らしい令嬢姉妹の語らいに見えるように。



 ガゼボで私がアルバート殿下達の内輪話を立ち聞きしてもうすぐ1年、私の評判は前にも増して「王妃にふさわしい令嬢」との声が高くなっている。「少し厳格すぎて冷たく感じる」なんて言う人もいるが、淑女とはかくあるべき、と褒め称える年配の貴族夫人達の声の方が大きい。

 一方異母妹のアリスは、男装して少年騎士のふりをしてアルバート殿下と街に降りたり、魔物狩りについていったり、「令嬢にあるまじき振る舞い」「平民の子じゃあるまいし」と、まるで私の子供の頃のよう・・・・・・・・・

 おてんばで天真爛漫な様子のアリスが全身で感情を表現して、裏表なしに慕ってくるのをアルバート殿下も表面的には満更ではなさそうにしている。


 しかし依然として婚約者は私のままで、アリスはかなりヤキモキしているようだ。

 今日だって婚約者の義務として私をエスコートしてファーストダンスを踊った後は、子犬のように飛び付いてきたアリスを愛おしそうに抱きしめてフロアに出て楽しそうに踊っている。多くの貴族夫人は眉を(ひそ)めているが、彼らの「アリスは将来の義妹だから」「アル兄さまは将来の義兄だから」で一応の言い訳を立てられて、表立って文句は言えないでいた。

 実兄を含めたアルバート殿下の側近達も、略した名前の後に「兄さま」と呼ばれて、無邪気を装って体に触れられて鼻の下を伸ばしている姿が社交界で目撃されている。「レックスの義妹だから俺たちにとっても妹みたいなもの」を建前にして……これは予想外だった。彼らの婚約者には悪いことをしてしまった。


 家の中でたった2人、信頼のおける私の侍女達からの情報によると、先週義母あてに彼女の母国から「厳重に管理された」荷物が届いたから……最短で今日、事が起こるはず。

 自分に心を許しているように見えるのに、あからさまな機会を設けても決定的な事は言わないし、大きな噂にはなっているものの婚約者の変更をする様子がないアルバート殿下にかなりあせっているのだろう。

 そう警戒して会場を見渡すと、いつの間にかアリスも、アルバート殿下もいない。歓喜に沸きそうになるのを堪えていると、アルバート殿下の侍従がそっと寄ってきて……酒精に酔って体調が優れないので少し休憩する、と言伝があった。


 私は何も知らないフリをして、時間を過ごす。婚約者の王太子に放置された、可哀想な令嬢として。

 淑女として、次期王妃として、婚約者に了解を得ずに他の殿方の手を取って踊ることなど出来ずにそうして1人で佇んでいることしか出来ない。しばらくするとにわかに、この夜会の主催者側の貴族達が慌ただしく動き出した。どうしたのかしら、と顔見知りのご令嬢を見つけて話し込んでいると、唐突に夜会の終了を告げられる。通常は夜通し続けられる社交の場は急遽お開きになり、ざわめく他の貴族達の流れに押し流されるように屋敷を後にする。


 私は淑女らしく、あわてず騒がず兄さんにこの騒動の心当たりを尋ねた。気まずそうな顔の兄さんは「お前は知らなくていい」と言ったきり黙り込む。そうして来た時はアルバート殿下と2人で乗ってきた馬車に、エスコートしてきたはずのアリスを連れて居ない兄と2人で向かい合ったまま無言で屋敷までの道を戻る。

 途中すれ違った、この帰宅する流れに逆らった馬車。一目だが見間違えることはない、だってうちの馬車だもの。おそらくあれには父である侯爵が乗っているのだろう。


 知っているらしい兄さんは、夜会の会場だった屋敷に向かうその馬車に気付くと私の顔を窺った。私は何も気付いていないと言うように、わざと「アルバート殿下はどうされたのかしら」と口に出す。悪さを見つかった子供のようにびくりと身を震わせた兄が滑稽で、私は噴き出さないようにとっさに頬の内側を噛む羽目になった。




「王太子アルバートとエリザベート嬢の婚約を破棄する」


 数日後、私の予想通り……王宮に召喚されると陛下からそう告げられた。

 その場には、深くクマの刻まれた顔をした、憔悴しきったアルバート殿下とその隣に寄り添うアリスの姿。

 ああ、やっぱり。私が想定した最悪の事態を起こしてくれたのね。


「……承知いたしました」

「違う! エリザ、俺は、俺は、君だと思って!! アリスだと思わなくて!!」

「黙れアルバート!! 自分がしでかした事の責任ぐらいきちんと取れ!!」


 聞くに耐えない弁明を喚くアルバート殿下を陛下が一喝する。

 つまりは、そう言う事だ。アリスは親しくなれはしたものの一向に自分を選ぼうとしないアルバートに痺れを切らして「媚薬を盛る」という強硬手段に出た。先日の夜会の準備中……アリスは私のドレスの趣向を聞き、「お姉さまみたいな淑女になりたいから」と私の香水をねだってきた。

 アルバート殿下を見れば、自分の意思によるものではない事はわかる。きっとアリスは私のフリをして既成事実を作ったのだろう。



 ふふ。


 ……あはは! やると思った。あの義母とやり口が全く一緒。きっと使った薬も一緒ね。いえ、アリスは、アルバート殿下が自分を好きになったのだと思い込んでいたようだから、計画を立てて実行させたのはお義母様ね。アルバート殿下が何が目的でアリスを構っていたのかあの人は正しく理解していたようだ。

 まぁまだ義母の方がマシかしら、私を産んだ時にお母様はそのまま儚くなってしまったから、不貞ではなかったし。

 義母も同じことをしたのよ。当初この国の王の婚約者候補として親善で訪れた際に。妻を失ったお父様を見初めた隣国の末姫様は、何度も何度もお父様に言い寄ったけど……亡くなったお母様以外の妻を娶る気はないとお断り申し上げたのよ。産まれたばかりの私もいたし。

 それを当時の義母は受け入れられずに、王である父親の力と薬を使ってお父様と無理矢理結婚したの。あちらが加害者とは言え、隣国との関係を悪く出来ないとこちらの国が判断して。

 義母はその一回でアリスを身篭って、お母様に顔向け出来ないと悔いたお父様は実の子の私達から逃げるように仕事だけに打ち込むようになった。お母様そっくりに成長する上にお母様の命を奪って生まれてきた私は愛されていないのは察していたから、今でも父に対しては家族という感じがしない。

 王都の屋敷には義母と異母妹が居座って、そんな環境は教育に悪い、と母方の祖父母が領地に引き取ってくれたのだ。

 当時は病弱で、療養に来ていたアルバート殿下と出会ったのもそこで。

 田舎でのびのび育ち、私などは「わんぱくすぎる」と言われつつ、皆と楽しい時間を過ごした。……あの日々が、あの頃だけは楽しかった。


 私の非を責められないように、この日のために必要以上に「完璧な王太子の婚約者」でいたのだ。何度も「婚約者がいる身なのですから、将来の近親とは言えアリスを必要以上に近付けるのはおやめください」「私の異母妹とは言えアリスは未婚の女性なのですよ」と言葉を変え場所を変えあえて冷たく聞こえるように注意してきた。

 そのたびに、アルバート殿下は「嫉妬か?」と尋ねてくる。それに毎回、「王太子の婚約者としての義務でお話ししております」と極力無表情で事務的に返していた。

 ……きっと、あの時点でも、私が嫉妬に駆られて怒りをあらわにすれば、満足して私の元に戻ってきたのだろうけど。それどころか、切なげに涙の一つでも流せば大慌てで私の前に跪いて、許しを乞うてきただろう。


 気付いてた。最初から知っていたもの。いえ、私がそう仕向けたから。

 アリスにわざと私とアルバート殿下達との思い出をひとつひとつ話して、見せ付けて、「貴女には無理ね」って笑ってやれば私への対抗心でアリスがどんな行動に出るか。それを見たアルバート殿下がアリスをどう扱うか。

 昔の私のような振る舞いをするアリスをわざと寵愛して見せて、私にヤキモチを妬いて欲しい、昔のような気安い関係に戻りたい、と思っていたのも理解していた。

 アルバート殿下の期待は外れて、私は一瞬たりとも淑女の仮面を取らず、その間私と言う婚約者を蔑ろにする姿だけが周囲に示された。身内は、私の関心を惹きたいがためのワガママだろうと察していたようだったが対外的にはそんなこと分からない。「男は火遊びするものだ」なんて言ってまともに諫めなかった周りの人間は顔を真っ青にしていた。


 アルバート殿下は私への当て付けにアリスを利用していたけど、アリスは「寵愛されている」と本気で思っていた。「何かきっかけさえあれば」と信じ込むほどに。

 私に嫉妬されたいからって都合よく使われたアリスも哀れね。アルバート殿下は私との恋愛のスパイスに利用しようと思っただけで、それでアリスに付いた「野猿令嬢」なんて不名誉な呼び名の責任を取るつもりなんてなかったんだから。

 今だってアリスへ向ける男女の恋慕は一切感じられない。私と結婚できない、ってそれを嘆いてるだけ。


 結果的に、1年近く婚約者を蔑ろにした上にその妹とベタベタした挙句、妹と関係を持った王子が出来上がった。


 策略に嵌められて、薬を盛られたとは言え……隣国で溺愛されていた末姫、その娘を傷物にした責任をアルバート殿下は取らなければならない。

 あの夜会は隣国の息のかかった家で行われて、何とか我を取り戻したアルバート殿下とアリスの同衾をわざと周囲に知らしめるように使用人が騒ぎ立てたと聞いている。きっと個室の手配などのお膳立ても、背後に隣国がいるのだろう。

 王は側室を持つことが許されているが、同じ家から2人は許されない。必然、私との婚約が無くなった。

 ただし白紙に戻す解消ではなく、私に瑕疵かしはない……アルバート殿下側の問題として私からの破棄扱いにしてくれるそうだ。

 陛下のお心遣いがありがたくて涙が出そう。


 もちろん嫌味よ。こうなる前に自分の息子をもうちょっと王太子らしく教育しておけばよかったのに。


 最後に、言いたいことがあればとアルバート殿下と2人の席を設けられた。もちろん護衛や侍女は部屋の隅にいるので2人きりではないが、監視役のエヴァンス夫人はもういない。


「エリザ……違うんだ、俺が好きなのはエリザだけで……あいつ、あの日、エリザのフリをしてて……!!」

「アルバート殿下」

「……エリザ……」

「私、何度も言いましたよね。アリスの母は隣国の王の末姫で、先代の王だった御父上から、当時の王太子様である兄君が王位を継いだ今も何かとご家族で干渉されるほど溺愛されていると。そのアリスを溺愛しているジャック陛下が、アルバート殿下への想いを隠さないアリスに婚約者を定めず、好きにさせている意味を考えてくれと」


 そう、アルは狙われていたのだ。隣国の王が溺愛する姪っ子の初恋の相手。デビュタントで姉の婚約者に一目惚れしたアリスのために、あちらは様々な手出し口出しをしてきた。

 確かに無下にする事は出来ないと、陛下も細かい介入はしかねていたが……もっとアリスとは距離を置いて、付け入らせる隙は見せるべきではなかった。

 我が国よりも力の勝る隣国に無理な圧力をかけられつつも、「すでに決まった婚約者がいるから」と陛下が毅然と断ってくれていたと言うのに。

 なんて迂闊な男。たった1人しかいない王子がこれとはこの国の未来が心配になってくる。国母になる予定だった身としては不安しか無い。


「ごめん、ごめんエリザ……許してくれ……っ」

「許して、どうなるの?」

「……え?」

「もう私との婚約は破棄されて、アルバート殿下とアリスが結婚するのは決まっているのに」


 私は私の心の奥底に残っていた、初恋のかけらを拾い上げる。それを無理矢理まばたきでふるい落とすと、テーブルクロスにぽつりと水滴が落ちた。


「好きだったわ、アル。貴方のためならつらい王妃教育も苦手な勉強も耐えようって頑張れるくらいには」

「あ……」

「さよなら……アルバート殿下。ご婚約、おめでとうございます」

「あ、ああっ! エリザ……エリザ……!!」


 大好きだったアルの、絶望した顔を目に焼き付けた私は……これ以上初恋の残滓が溢れないように席を立つと、かつて何度も2人きりの茶会を行ったサロンを後にした。

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[気になる点] >>「アルバート殿下とエリザベートの婚約を破棄する」 数日後、私の予想通り……王宮に召喚されると陛下からそう告げられた。 王が自分の子供に「殿下」という、臣下が使う敬称をつけるのに違…
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