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何気ないまいにちをあなたに伝う  作者: こころも りょうち
ぼくの生活
4/22

1ノ4 進ミタイ気持チ

 何もやらなかった土日はイライラする。

 欲求不満、と言われればそれまでだ。運動不足、と言われればそれも当てはまる。家でうじうじとしているから良くない、って()()がズバッというなら、()()は立ち上がって、まずは着替えて家の外に飛び出す準備もしただろう。

 だけど、きみの声はない。誰の声もしない。

 だから着替えもせず、チンして食べられる物を食べて、ただテレビを眺めて、飽きたら寝入る。カーテンが半分以上閉まった薄暗い状態で、部屋の中にうずくまっている。

 つまらない。

 はい、つまらない。ぼくはつまらない人間です。


 喉が渇く。10月だっていうのに結構暑い。脳みそは、すっからかん。(とろ)けてしまったかのようだ。

 人間関係を断ち切ってしまった生活の中では話す相手もいない。明日になったらぼくは声を失っているかもしれない。声は誰の耳にも届かないかもしれない。登校拒否の中学生にさえ冷ややかな目をされそうだ。


 夕寝して起きたぼくの携帯電話に一通のメールが届いていた。

 大学時代の友人からだ。あまり友人とは呼びたくない。自分勝手な奴だから自分の話しかしない。ぼくがこの町に越してくる前に結婚式を挙げた。ぼくにとっては最後の華やかな場所だった。彼は散々女遊びして、ついに捕まえられ結婚した。

 いわゆる一流企業に勤め、いわゆる勝ち組の生活を送っている。メールは見たくないが、そのまま放っておけばおくだけ面倒ななので、一応目を通す。


『よお、元気か?遊びに行ってやりたいけどな。

 なかなか時間が取れそうにない。

 最近ちょっと立ち寄る会社の受付の女の子と仲良くなっちゃって、

 俺も結婚したばかりだからさすがにやばいとはわかりつつ、

 あれってわけで。

 おまえも近くに住んでいたら、今度一緒にその子の友達と四人で飲み行こ、

 って言いたいけどそうもいかないか。

 まあ、なんだったら帰ってこいよ。

 ちゃんと準備しといてやるから』


 余計なお世話だ。おまえに会うつもりはない、って言ってやりたいがそれはそれで面倒くさい。

 だいたいぼくが帰らないとそいつもわかって言っている。ただ単に自慢したかっただけだ。結婚したのにもてちゃってしかたがない、って言いたいだけなんだ。

 それをぼくに伝えたいだけだ。

 でも確かにあいつはもてるし、出世もしている。嫌な奴だが、嫌な奴が世の中を動かしている。

 あいつは昔の上司に似ている。上司もいつも仕事は適当で面倒事をぼくに任せる。周りのバイトの女の子ばかりにちょっかいを出して、いつの間にか仕事を切り上げて飲みに行っている。そしてぼくは一人仕事の残務処理を続ける。

 たまに偉い役員が職場に来た時もそうだ。役員どもは偉そうな事ばかり言って、社員の状況も何もわからず、ただ、我々の会社は成長しているんだ、と偉そうに言って帰っていった。

 ぼくの読んだ本には、偉い人間はみんな謙虚で勉強熱心でコツコツ頑張ってきた人だ、と書いてあった。でもぼくはこの時代、そんな人物にあった記憶がない。真面目な人ほど損な仕事をしていて、何もせず偉そうに指図している奴ほどそのまま偉い立場に就いて、どこまでも地位を上げてゆく。


 いいなあ、って言えるか?あんな奴になりたいか?

 ぼくはあんな奴になりたくないさ。ぼくは一生懸命頑張る人でありたい。気持ちはね。

 わかっている。実際の自分はあんな奴を批判しているだけで、一生懸命もコツコツもやっていない。最も駄目な種類の人間は自分だ。

 きみの否定はわかっている。ぼくが一番駄目、そんなのは重々承知(じゅうじゅうしょうち)だ。

 目覚めの悪い日曜の夕寝起き、今日も闇の夜を一日中眠れずに過ごす。明日の朝はまた寝坊をしてしまうかもしれない。

 胃が痛くて遅刻します、って連絡を入れようか。

 つくづく駄目な人間だ。自分を止めたい。


 ※


 今日も一日が過ぎてゆく。ぼくはまたより一層やる気を失っている。この間までは仕事終りに街を探索していたけど、ここ最近はまっすぐ家に帰ってくる。

 16時には家にいる。登校拒否中学生を相手にするのは15時までだ。1時間歩いて家に帰る。

 夕暮れ17時、日が暮れて、闇が深まり、カーテンを閉めようと床から起き上がる。10月に入って日が沈むのがまた早くなった。この町に来て2ヶ月が過ぎた。あっという間だ。もうすっかりここの生活にも慣れきった。

 カーテンを閉める前に部屋の外を(うかが)う。3階から地上を覗くと一人の男が目に付く。ぼくはその男を見た瞬間に思い出す。男は今日も緑色のトレーナーを着ている。雨の日に橋の傍に立っていた男、緑色の服を着ているだけでそう決めきることもできないが、ぼくにはわかる。あの背高のっぽの男が今、ぼくの住むマンションの入口にいる。

 緑色の男は歩いているわけではない。それにこの裏路地に突っ立っている理由なんて待ち合わせのはずがない。ここは偶然ぼくと同じマンションにその男の別の知り合いが住んでいたと考えよう。そうだ。そう思おう。

 ぼくはカーテンを閉める。部屋の中は一瞬にして闇に包まれる。ぼくが電気を付けようとすると、光の男が現れた。光の男はぼくの想像する存在で、実在の人物ではない。

 でも彼はぼくと少しだけ違った視点で話しかけてくる。

「そんな言い訳して何になるのさ?」と、光の男はぼくに言う。

「君はあの男を知っているのか?」と、質問を返す。

 光の男は首を横に振る。

「知るわけないさ。今、君は別の話をしたかったんだろう?どうしてそんな無駄な質問をする」

 ぼくは何か大きな事件が起こる前ぶれのような不安を感じて仕方がない。

「冷静になれよ」

 光の男はぼくを落ち着かせようとする。その言葉に溜息のような大きな深呼吸を一つして推理するように話してみる。

「緑の男はぼくを知っている。でもぼくは緑の男を知らない。奴はぼくをよく知っている。だからぼくがここにいるのも知っている可能性が高い」

「君はあの男が何者か、気になっているんだろう?」と、光の男はぼくに尋ねる。

「そうだね。ぼくは緑の男が何者か知りたい。だけどあの男はぼくに自分が何者かを告げてはこないだろう。そして緑の男は雨の夜、ぼくに伝えてきた。『自分が何者なのか?その事に気づいているはずだろう』と」

「それはどういう意味だと思う?」

 光の男は優しい声でぼくに尋ねる。ぼくは考えてみるがその答えが浮かばない。ただ一つ気づいたことがある。光の男に、逆に質問をしてみる。

「緑の男は間違いなくぼくに会いに来た。どうして今日、あいつは会いに来たのかな?」

「君はその答えを知っているんじゃないのか?わざわざ聞かなくてもいいだろ?」

 光の男はまたぼくに質問を返してくる。質問ばかりで答えが何一つない。だから答えてやる。

「緑の男は、雨の日、わざわざぼくが通るのを待っていた。そして今日もわざわざぼくの住むマンションまでやってきた。でもあいつはあえてぼくの住むマンションのチャイムを押さずに下で待っている。つまりあの男はぼくに何かを伝えにやってきた。だけどそれにはぼくの求める気持ちが必要なんだ。求めなければ何も与えてはくれない。なぜわざわざそんな面倒なまねをするのかはわからないけど、奴がしようしていることは、ぼくに何か伝えようとしている、ただそれだけなんだ」

 光の男は口元に笑みを浮かべる。

「じゃあ答えは簡単だ。緑の男に会って、君がその何かを知りたいか、それとも知りたくないか、それだけさ。君の思うようにすればいい」

 そして光の男は消えた。光が消えて部屋の中は深い闇に包まれた。ぼくは暗闇の部屋を暗闇のままに、いつものカラーボックスの上に置いてある財布と携帯と鍵を持って部屋の外へ向かう。


 進みたい気持ちが消えたわけじゃない。もう少しだけ、勇気が欲しい。()()はそんなぼくを応援してくれるだろうか?


 緑の男はやはりぼくを待っていた。

 その日、ぼくは緑色のパーカーを着た背の高い男と、いつもぼくが立ち寄る喫茶店に行った。その辺りにある2つの喫茶店の古い方の店だ。

 革張りのソファーの席が何席かあって、座り心地はいいが、その分、ブレンドコーヒーの値段は450円とちょっと高い。ぼくらはその店の一番奥の席に腰を下ろす。いつもの何だかわからないジャズが流れている。ウエイトレスのオバちゃんがやってきて、飲み物を尋ねる。ぼくはブレンドを、緑の男は紅茶を注文した。

「少しはわかってきたか?」と、緑の男はぼくに告げて微笑んだ。

 いつも暗闇の中でわからなかったけれど、明かりに照らされているその男はぼくより年齢が上だ。顔の造り、肌の質感からして恐らく30代半ばから40代前半くらいだろう。

「また俺が何者かって聞きたそうな顔をしてるな」男の顔をジッと見ていたせいか緑の男はぼくにそう言ってきた。そしてさらに続けて言う。「そんな顔はしたって仕方ない。おまえはおまえの事を考えればいいのさ。そう言ったはずだろう?おまえはおまえ自身に悩み、おまえ自身の中から何かを始めないとならない」

 ぼくには緑の男が言っている意味がさっぱりわからない。ほっそりした顔つきも、大きな口も、その男のすべてから放たれる存在がまったく理解できない。

 ぼくの前にブレンドが届き、男の前にティーポットに入れられた紅茶が届く。ブレンドに砂糖のみを入れてスプーンで混ぜ、緑の男は紅茶をティーカップに注ぎ、そのまま口に含んだ。

 一口珈琲を啜って、ぼくはそれが喉を通った後に話を始める。

「いろいろと聞きたいけど、きっとそれが無駄だとわかっている。ただぼくはあなたに伝えたいことがある。あなたはこれから言う事を理解してくれるか、ぼくはそれが知りたい」

 緑の男は紅茶をまた一口啜って頷いた。

「どうぞ」と、口でも言った。

「ぼくが最初にこの町に来たのは、今からおよそ10年前になります。まだ大学生でした。この先どう生きていくか迷っていたぼくは一人旅をしていました。旅の中でどう生きていくか、その答えが出せると信じていました。1週間程度の旅だったけど、それで十分。不思議とぼくはやる気が溢れてきました。その力が生まれ、ぼくは自分の住む場所に帰ろうとしていた。帰る前の日にぼくはこの町へとやってきました。そしてぼくは一人の男と会いました。男は『旅をするぼくの気持ちがわかる』と言い『酒をおごってやる』と言いました。ぼくらは居酒屋に行きました。人の良さそうな人だった。でも男の言葉は嘘でした。適当に盛り上がったところで消えてしまい、結局ぼくが全ての代金を払った。だからどうってわけじゃない。問題はその事じゃない」

 喉の渇いたぼくは珈琲を一口啜って喉を潤した。

「ぼくはその夜、記憶を失いました。左右を塀に囲まれた狭い道でぼくの記憶は途切れてしまった。気がついたら旅館に泊っていた。でもそれもおかしな話だ。ぼくは前の日、ホテルに荷物を預けていた。旅館の人はぼくが一人で歩いて旅館まで来て泊ったと言ったけど、そうじゃない。ぼくは知らない旅館に泊らされたんだ。ぼくはホテルに泊っていたはずだったのに、旅館に泊らされた」

「おまえはその事をずっと分かっていた。だけどその不可思議な経験を自分の記憶の誤りだと思い、記憶を消し去ってしまった。君は騙されたのさ。あの旅館と、あの男に」

「あの男が何者なのか知っているのか?」

 ぼくはとっさにそう尋ねた。

 緑の男は苦笑している。

「そう聞いたら、俺が知っているとでも答えると思ったか?」

 無駄だとはすぐにわかる。この男は自分からは何も教えてくれない。ただ自分の中にある真実を教えてくれるだえけだ。それでも知りたい気持ちだけが胸を苦しめる。何かをしないといけない。

「ずっとこの町に違和感があった。時々この町を思い出す。そうすると心が痛んだ。締め付けるような痛みだ。この町を思う度にぼくは胸が痛んだ。だから、ぼくはこの町にまた来たいんだと思っていた。きっとこの町がたまらなく好きで、行けないことに心が痛いんだろうと」

「つまり」と、緑の男はぼくに尋ねる。

「そうだね。ぼくはこの町が好きだったわけじゃない。ただ気がかりで仕方がないことがあった。だからぼくはこの町に来たかった。この町が好きで来たと思っていたけどそうじゃない。ぼくはぼくに起こった不可思議な出来事の真実を知りたい。それだからこの町へ来た。それが本当のところだ」

 緑の男はにやりと笑った。

「そうか、それでいい。なら、おまえにはこの先を知る権利がある」

 そして腹脇のポケットに手を突っ込み、そこから一枚の紙切れを取り出した。そして手を伸ばしぼくに渡してくる。

 ぼくはそれを受け取った。

 緑の男はすっと立ち上がった。座った位置から見る緑の男はすっと背が伸び上がったかのようだった。背の高い観葉植物を眺めているような感じだ。さらに千円を出してテーブルの上に置いた。

「これで払っておいてくれ。じゃあな」

 そうとだけ言うと、ぼくの横を通り過ぎ、緑の背高のっぽは立ち去っていった。


 その日、ぼくは触れてはいけない真相に迫り出していた。

 本当は家で眠っていたい。いつまで登校拒否中学生の相手をしてダラダラ過ごしていたい。でもぼくの落ち着かない気持ちはそうさせてくれない。ぼくは真相に迫らないといけないようだ。

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