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何気ないまいにちをあなたに伝う  作者: こころも りょうち
ぼくの生活
2/22

1ノ2 ヤル気ハ出ナイ

 雨が過ぎ去った朝に、「おはよう」

 今日もいつもと変わらない毎日の始まりに目覚めた。昨日は久々に、ぼくを登校拒否中学生に派遣している担当者に会った。


 雨の中の喫茶店は濡れた町の中にある。空間は涼しいを超えて、少し寒い。暑さに慣れた()()には少しつらい。

「どう?」と、彼はぼくに尋ねる。

 どう、と聞かれても、どうというのもないのだが、「いえ、まあ、問題なくやってます」と答える。

 彼は何も言わない。実は悪い話なのかもしれない。ぼくはあの子に切られるのだろうか?中学生であってもお客なわけであって、嫌だと言われればぼくは必要なくなる。時給制だから仕事がなくなれば稼ぎどころがない。これは面倒な話になるのだろうか?困った話かもしれない。

「そうか。それはよかった。いや、今日はね、来週なんですが、一週間ほど、研修を受けてほしいんですよ。特に難しいテストとかじゃなく、一通りセミナーで話を聞いてもらえればいいだけなんで」

 そんな話か、とぼくは少し安心する。

「時間は?」

 担当者は一枚のコピー用紙を取り出す。ピンク色のその紙には、学校の時間割りのようなものが書かれていて、黄色いマーカーで一部縁取りされた部分がある。午後の13時から17時まで、月曜から木曜まで、それが毎日続いている。

「この予定なんですけど、一通り聞いていただいた方がよいかと思いまして」

 3つ年下の担当者は、年上のぼくに気を遣って、少し丁寧に話をしてくる。きっとぼくが年下なら、「これは受けといてほしいんだよね!」と強く押してくるにちがいない。

「ええと、時給が減ってしまうのが、ちょっと」と、ぼくは柔らかく問題点を指摘する。

「その分は、一応手当ては出るようになってるんで、まあ一日、2,500円ほどで割りは悪いんだけど」

 彼は恐縮そうに、ぼくの顔色を窺う。

 どうせいつも15時まで、同じ程度しか稼げない。17時までという長さはあるが、ここは断らない方がいいだろう。

「ええ、いいですよ。わかりました。あの、午後が休みになってしまうのは、あちらの…」

「ああ、あちらにはぼくの方から伝えておきます」

「そう、ですか。わかりました。よろしくお願いします」と、いうわけで来週は登校拒否子とは午前だけでいいらしい。なんとなく肩の重荷がふと下りるような気分になった。


 なんて事が昨日はあった。その程度の話である。だからと言って、ぼくの毎日に大きな変化が起きたわけではない。

「だから何?」と君は不満に思うかもしれない。

 ぼくも思うんだ。もう少し、気の利いた、おもしろい話をするべきだと。

 何気ない毎日が続く。今日は大きな雲の傘の下、少しだけ暑さも和らいで、町の人も苛立ちが消えたかのように穏やかだ。こんな日々が続くといい。ただそんなふうに思う。


 ※


 ぼくは何気なく生まれ育ち、大人になったのだろう。長い時間が一人きりだった。長い時間を部屋の中で、ぼぉっとテレビを見て過ごしていた。日が沈んで、夜になって、蛍光灯も付けずに小さな電球だけで部屋の中を照らしていた。後はチカチカするテレビの光が部屋のイルミネーション。

 物悲しく、安っぽい。

 明るい世界に出られないのはきっと君のせいだ、なんて訳もわからず人のせいにして。

 やっぱり訂正。明るい世界に出られないのはきっとぼくのせいだ、と。

 一日を思い返せば、やはり今日もいつもの一日だった。汗をかくほどでもないけれど、まだまだ暑い一日だったな。中学生に数学を教えるのも楽じゃない。一歩進んで一歩下がる。覚えたようで覚えてくれない。そしてただ教科書にそって先へ進む。大人になっても何も残りやしない。ただ勉強しただけの記憶が残るだろう。

 今日の冷やし中華はうまかったな。あのしょっぱい醤油ダレが食欲を誘った。プチトマトを歯で潰した瞬間に広がったトマト汁の味が口に残っている。からしの付けすぎた部分をすすって、むせた刺激も残っている。

 冷やし中華、まだまだ夏だな。麦茶も進んだ。まだまだ暑い夏の日だ。


 いつだって、気づけば弱い光が届く、暗い部屋で眠っている。いつだって、明るい光が降り注ぐ昼の思い出は、夜に思い返される。

 わかるかい?この感触。なぜだか目尻から涙がこぼれ、こめかみの付近を伝ってゆく。

 ぼくは朝日を嫌うけど、心が闇夜を遠ざけたがっている。

 そして脳は夢へとトリップする。そこに君がいないかと、ぼくはなぜだか探してしまう。でも乾いた大地では男どうしが戦争をし合っていて、ぼくはどちらかに加担しなくちゃならなくなる。嫌だと感じる一方で、()()やってやるって気が奮い立ち、一歩進めばまた嫌だな、と慄く。ぼくは一人夢相撲を取っている。右に左に心は揺れ続く。

 そして目が覚め、朝日が、不快。体中が嬉しくない。

 いい夢でも見直したいな。けど恐い夢を見たくないから、ベッドから体を仕方なく起こす。テレビが付いて、いつものニュースがまたどこかで聞いたような話を繰り返していて、ぼくはまた無駄な知識を増やす。

 一日がスタート。ああ、繰り返した昨日、今日。わずかな違いが二日経ったと教えてくれる。


 ※


 ここにいるぼくは何を願う?日々の幸せでいいのか、もっと大切な何か、を求めるか。結局、ぼくは孤独だ。

 やけにやられている。だって、セミナーで求められると、ぼくの全てを否定されているみたいだから。


 久々に、町の中心を訪れた。家庭教師の派遣事務所は町の中心にある。10年前には古臭い駅の回りを今にも潰れそうな店が覆っていたけど、今ではロータリーができ、新しい店が立ち並ぶ、すっかり現代化した町の中心地だ。

 今となってはなぜこの町に来たのか、すっかりわからなくなってしまった。

「まずは自分がどうありたいか、未来を想像する。それに向って生活する。そういった姿勢を持っていれば、高校生や中学生の生徒さんに勉強を教えることがスムーズに行く」


 1.求められたのは、勉強をする理由。 

 2.自分が勉強する気持ちになること。

 3.何のために勉強するかという理由を持つこと。 

 4.未来を形成すること。


 なんとなく、今日まで生きてきた。それで十分だ。何の不満もない。君が望むような、アットホームな家庭を持とうなんていう望みもない。ぼくは何となく空を見上げ、町の風景を見つめ、喫茶店の珈琲を味わい、古い小説を読んで、ゆったりとした時間を過ごす。

 誰かに伝えられるような、立派な未来の姿はぼくにはない。不登校中学生のために、未来のために頑張っているんだよ、なんていう()()くさい自分の姿を作るまねはできない。だいたいそんなぼくを見て、彼女は真面目に覚えようと勉強をしだすのだろうか。たぶん幻滅して、より悪い関係になりそうだ。

 コンクリートで固められた川の脇に(たたず)んでいた。まっすぐ家に帰る気にならず、中心の駅から最寄の駅まで戻って、駅を出て歩いていて、そう、ぼくはこんな所に来ていた。

 雨の音が辺りを包み込む。流れのない川面を雨が叩きつけている。まだ6時を過ぎたばかりだけど、暗闇は増していた。降り出した雨は少しずつ大粒の雨に変わり出している。暗闇が包み、雨の音が広まり、やがて全てがぼくを孤立した空間に陥れてしまうだろう。冷たい雨が夏の香りを消し去ってゆく。少しずつ夜長(よなが)の季節が近づいている。

 ぼくはぽつんとひとりきり。

 ここで雨に濡らされていても、明日はない。だからぼくは家に駆け出した。全身を濡らして、心臓の鼓動を上げる。この感覚が生きている実感なんだ。

 当り前の今でいいだろう?素敵な未来を望まなくちゃいけないかい?

 ()()はこんなぼくに何て声を掛けてくれるのだろうか?


 ※


 空気は静かだ。熱は町から逃げていった。拭う汗も出てこない。静まり返った裏路地を歩く。

 朝の光景は変わらない。路地から通りに出るところで、いつものように黄色い旗を持ったおじさんがにこやかに微笑んでいる。子供が通り過ぎ、おじさんは一瞬真顔になる。昔重役だったろうという堅い顔が現れる。想像だけど、きっとそうだろう。昔は若い社員を怒鳴りつけていた。今は子供を守る黄色い旗のおじさんだ。一時代が過ぎ去った。今また、別の時代が流れている。

 さらに歩くと、高校生の集団が歩くぼくを後ろから、自転車で追い抜いてゆく。毎朝短いスカートの女の子たちが通り過ぎてゆく。つい目がいってしまう。毎朝、同じ、ぼくはいつも同じところに目がいってしまう。

 やれやれ。

 全ては時代だ。


 歩き疲れた頃に、いつもの木造二階建てが姿を現す。

 前から思う事がある。この家のどこにぼくを雇うお金の余裕があるのだろう?ぼくの安月給を考慮しても、大学の初任給くらいは事務所に払っている。お金の事に関しては触れないようにしているがどうしても気になる気持ちがなくならない。

 いつものチャイムを押すと、いつもの痩せたお母さんが顔を出す。もともと細身の女性なのだろうけれど、ぼくの月給のためにげっそりしてるんじゃないかといつも感じ、なんか申し訳ない気分にさせられる。

「おはようございます。どうぞ、お入りください」

 いつもの笑顔で母親は言う。お元気そうで、ここでいつも安心する。そして玄関を上がり、細い階段を二階へ上げってゆく。部屋を開けると、少し肥えた中学生の女の子が床に転がっている。

「あっ、もう来たの?少し早いんじゃない?」なんて言うから、余計に殴り倒しなってくる。この娘に、あの母親、未来はどこにある?なんて、意味もなく日本の未来を心配してしまう。

 ぼくもこれだ。中学生がそれで、母親があれ、黄色い旗のおじいちゃんはああだったから、どうにもならない。

 時代の流れを感じる。

「はい、始めるよ」

 ぼくはそう言って、ちゃぶ台を挟んだ中学生の反対側に座り、鞄から参考書を取り出す。彼女は何となく、起き上がり、立ち上がり、小さな本棚に詰められた本の中から国語の教科書を取り出す。

 毎日の始まりだ。

 今日も諦めに似た気持ちで一日を過ごす。午後からはまた自己否定続きのセミナーが始まる。溜息は尽きない。


 ※


 水のある場所ではたくさんの空に囲まれる。空は空だけど、水面に映る空も空のようだ。だからぼくは水辺が好きだ。大きな開放感を感じられる。

 かといって、特に何に縛られているわけでもない。今日だって臨時の家庭訪問が一件入っていただけで、とても忙しいとは言えない。

 しばらくは何もせず、ただ川を眺めている。いつものコンクリートの川ではない。今日はわざわざ電車に乗って、バスで乗り継いで、少し町から離れた場所までやってきた。

 週末の小さな自由旅行。


 草原の土手に寝転がって、空を眺めている。ねこじゃらしが揺れ、鈴虫の鳴き声が聞こえる。今日は比較的暑さを感じるが、日差しはさほど強くない。夏は過ぎ去ったと言っている。

 目を閉じると寝てしまいそうだ。大通りからも離れているから、車の音も聞こえない。様々な人工の音に囲まれた現代社会は疲れる。たまにはこんなの田舎での時間が必要だ。

 土手でしばらくそうやって寝転がっていた。

 やがて光の男がぼくの視界に入ってきた。太陽の輝きに重なって、光の男は微笑んでいた。それからそっと、ぼくの隣に腰を下ろし、ゆっくりと流れる川の水を眺めていた。

「どうしてだろうな?」とぼくに質問を投げかけてきた。

「そんなに悩んでいない」とぼくは答えた。

「でも君はこんな天気のいい日に特にどこへ行く予定もなく、迷って、こんな川べりまでやってきて、ただ草の上に寝転がっている。そんな休日を過ごしている人間はこの辺りじゃ君一人しかいない」

「ぼくはいろいろよかったと思っている。ここへ来たことに後悔はしてないよ」

 水の流れは清らかだ。風に吹かれる雲は夏の終わりに長々と伸びきっていた。反対岸の草は芝刈り作業が行われ、すっかり短くなっている。

 誰もいない場所に、光の男は現れる。そして彼はぼくの心に尋ねてくる。ぼくの何気ない迷いに触れてくれる。そんな人間はこの世にその男しかいない。普通の人間なら、自分を意識する。でも光の男はぼくの想像だから、自意識を持たない。

 こう言っちゃまずいな、とか、こう言う話を聞いてほしいのかな?なんて気を遣って質問をしてこない。だからと言って、ぼくに好感も嫌悪感も持たず、ただ話しかけてくるからぼくも気を遣わない。女の子でもないから、ぼくの感情は高ぶるような妄想でもない。ただ、ぼくの潜在意識にこっそり話しかけてくる。

 そんな相手はこの世に現存しない。想像だからとぼくの心をわかってくれる。

「そうは思えないな」と光の男はぼくに言った。

 ぼくは目を瞑り、光を浴びていた。

『そう、そうじゃない。ぼくは何か満たされない。何かやりたい。求めている。やりきりたい』

「でも、何をしたらいい?」とぼくが光の男に質問する。

「求めればいいさ」と光の男はぼくに言った。

 太陽の熱がぼくの体を熱くする。草のチクチクする感触がぼくの背中を不快な気持ちにさせる。虫の音が増し、さっきまで心地いいと感じていたその輪唱(りんしょう)も今は不快だ。太陽や草や虫でさえ、自分を主張しているかのようだ。

 ぼくはぼくの内に治まって眠っている。

「目を開くんだ」

 ぼくはぼくにそう告げた。


 目を開く。空と雲と太陽とだけがそこにある。光の男はいない。

 わかるかな?ぼくは不可能を現実にしたい。

 きみにその気持ちをわかってほしい。ぼくにはできるだろうか?

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