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何気ないまいにちをあなたに伝う  作者: こころも りょうち
ぼくの生活
1/22

1ノ1 町ニ越シテキタ

 うすっぺらい日本地図で見ればその町は小さな町だ。でも実際に暮らせば町は広い。町にはおおくの人が住んでいる。引っ越してきたばかりの()()はこの町のほとんどの人を知らない。そしてこの町でぼくを知る人はそれ以上にわずかしかいない。

 人間関係が希薄な世の中だからそんなの普通だろう。でも()()に知ってほしい。ぼくはこの町に来てこの町で暮らしている。この町へやってきた。今までの生活を全て捨てて。

 おおげさなことのように言ってみたけれどたいしたことじゃない。ひとり暮らしで結婚の予定もないぼくは仕事をやめて、わずかな友だちともわかれて、しり合いのひとりもいない町へと引っ越してきた。ただそれだけのことだ。

 理由は、ない。あるとしたら、何もなさ過ぎる、ということ。ぼくの人生には何もない。退屈な仕事と付き合う毎日しかなかった。

 きみは「何もないのは、何もしないからだ!」とぼくを責めるかもしれない。それについては何の否定もできない。毎日仕事が終わって、コンビニで弁当とビールを買って帰る。土日は家でテレビを見て過ごす。その生活からは何も生まれない。責められて当然。そんなダメな生活を何年も送っていた。


 31歳。この夏が終わり、32歳になる。

 この町へやってきた理由。学生時代に旅した思い出から拾い上げた町。あの夏、ふと立ち寄った町の風景を覚えている。どことなくその町並みに懐かしさを感じ、この町へ住むのも悪くないなあ、なんて思ったことを思い出す。そんな記憶だけ。

 むかしよりはずっと都会っぽくなっていた。中心の駅は建て替えられていて、ごみごみしていた構内はすっかり整理されていた。駅を出るとロータリーが広がって、駅前中央のビルにはどこにでも見るチェーン店のレストランやインターネットカフェの看板が見られた。どこかの町と同じようにこの町も現代に合わせた発展を遂げている。案内板を見れば郊外にはショッピングモールもできたらしいことを知る。

 月日は流れ、世間は変わってゆく。駅に着いた日、ぼくはまるでその変化に追いつけない老いぼれのようにあたりを見渡していた。


 町に来てから1ヶ月が経つ。この時代の中で、ぼくに出来ることなどあるだろうか?いや、何もない。何もありはしない。

 きみに伝う。

『ぼくは新しい町で新しい生活を始めた』

 空を見上げるとまるで春の日のような白の雲がふわふわ流れていった。何気ない緩やかな時の流れが美しい。


 ※


 今日もまたいつもの繰り返しだった。と言いたいが、じゃっかんサボった。クラーに冷えすぎて胃腸を痛めてダウン。電話で連絡して「午後から行きます」と伝える。

 だらけすぎだ。

 この町に来て家庭教師を始めた。自営で勝手に始めたわけではない。それなりの親会社があってそこに登録している。一応、教師の免許を持っている。そして紹介されたのは登校拒否をしている中学生だった。

 住み着いたアパートから一駅離れたところにその中学生は住んでいる。古い木造家屋の二階がぼくの仕事場だ。ほぼ一日中、ぼくはそこでその中学生の勉強を見ている。たいした事はしていない。教科書を開いてそれを読むだけ。知っていることがあったらその知識を話す。彼女は何も聞いてこないから、特に困ることはない。いつも母親がお昼を作ってくれるし、3時には3時のおやつが出てくる。飲み物も飲み放題。給与は安いが、今のところ不満という不満はない。

 まいにち楽チンな生活を繰り返している。


 今日も暑い一日だった。帰りには駅そばのカフェに寄る。アパートから職場まではいつも交通費をケチって歩いていっているが、暑くて歩くと喉が渇く。だから一駅歩くといつもカフェに寄ってしまう。おかげで電車賃はチャラになってしまうけど、運動だと思ってまあよしとしよう。午後5時、目の合う事のない客にまぎれてしばらく冷房に涼んでいた。

 暑い夏は終わらない。夏は何一つ盛り上がりのないまま過ぎてゆく。二学期が始まっても学校にまるで行く気のない中学生を相手に似たような日々を繰り返す。

 20年近く前に戻ったかのように中学生と同じ勉強をしている。


 (かつて)教室の窓辺、前から二番目の席に座るぼくがいた。

 いじめっ子の安田がぼくの頭に意味もなく拳骨を落とし通り過ぎてゆく。周りを見渡せば、あちらこちらから昼休みを楽しむ話し声や笑い声が聞こえてくる。ぼくは一人で机に座っていた。安田も湯浅も田野も外に遊びに行ってしまったからいない。天敵がいない時間は平穏だ。

 ぼくだっていつ登校拒否児童になっていたか、わからない。友達もいない、いじめられてばかりのつまらない中学生活だった。ただあの頃のぼくには未来への希望があった。未来には何かが変わると信じていた。

 でも夢は夢にしか過ぎない。夢は夢のままに、現実が夢を塗りつぶしていった。

 そんな事に気づいたのは極最近になってからだ。そしてその現実がこの町にぼくを連れてきた。普通の生活をこの町で送ろう。教室の窓辺、前から二番目の席、ここには安田も湯浅も田野もやってこない。


 今日もそんな平和な生活の一日が過ぎ去ってゆく。今は漂う珈琲の香りだけがここちよく幸せな気持ちにさせてくれている。


 畳の部屋、ちゃぶ台に肘を付き、その中学生は退屈そうな態度を見せる。

「怒らないんだ?お母さんと同じだね」

「ん?」

「学校行かなくなっても、怒らなかったの。お母さん」

「ふむ」

「ここで勉強しなくても、怒らない?先生」

「そうだな。そうしたら俺、先生失格になっちゃうかもな」

「そうか。さよなら」

「冷たいなあ。それとも、俺じゃ、いや?」

「冗談だよ。でも、誰でもいいかもしんない」

「居ても、居なくても、同じ、か」

「そうは言わないけど」

「じゃあ、いいか」

 ぼくと、中学生はそんな会話をする。

 6畳の畳部屋。2階の一室。木でできた古い造りの窓が開いている。クラーのない部屋だから扇風機が回っている。決してお金持ちのお嬢さんではない。その子の母親の事を思えば、『ちゃんと学校行けよ』と言ってやりたい。でも、こんな楽な仕事を手放したくはないというのが、ぼくの本音だ。

 扇風機だけが回る地味な部屋で、ぼくはダレている。中学生は今日もジャージ姿で、うちわを仰いでいる。

 いつ見ても、残念ながら、かわいくない。その方が仕事としてはしやすい。今はそれでよかったと思っている。

 このダラダラ、暑い日々の、、、生活。麦茶の氷が溶けてゆく。腑抜けた顔の僕らはただ教科書とにらめっこをしている。

 ()()に伝う。ここでは決して間違った恋愛なんて生まれない。その事だけは確かだ。


 ※


 もうすぐ日曜日も終わってしまう。それなら何かすればよかったのに、と後悔しても、もう遅い。

「いつもそうなんだよな」なんて独り言が口から溜息と共に出てくる。

 クラーにテレビ、それだけで一日中うちで過ごせる。昼間から缶ビールを飲みながら、座椅子にうな垂れていれば一日は過ぎてゆく。休日昼の缶ビール、いつからかそんなのが当り前になった。もう何年も前からだ。

 つまらない一日になる、と頭ではわかりつつ、どこへも行かずに缶ビールの栓を開ける。習慣とは恐い。

 仕事に疲れたからさ、といういい訳も今の楽な仕事では通用しない。これはもはや僕という人間の性格にあるんだな、と認めるしかないか。

 そんな生活が終わると、どこかで期待していたはずの新しい生活は、変わらないぼくを家の中にうずめている。

「僕が僕であるために」そのフレーズの次には前向きな強い意志が現れるはずなんだけど、ぼくにおいては、「僕が僕であるために、立ち上がる気力さえ出てこない」

 また駄目人間の言い訳で土日が過ぎてゆく。土曜も家庭教師の仕事を入れてもらおうかと考える。この生活を抜け出す方法がぼくには見つからない。

 きっときみならたくさんの趣味を持って、休日を忙しく過ごしているはずだろうね。

 ぼくは誰にも何も言われない場所にいると、ただ無駄に生きているだけ。一歩家の外に出る事さえメンドクサイ。存在の無駄を感じて、今日も一日が過ぎ去ってゆく。

『いつまでもこんな事をしていていいのかな?そして、ぼくは何しにここへ引っ越してきたんだろう?』

 自分への不満が少し心の内に育つ。変えるきっかけはこんな不満な思いから生まれてくれやしないか、と我に期待する。

「はあ、まあいいか」

 でも、過ぎ去った今日の不満は溜息と共に噴出され、なくなってしまう。また零に帰って明日の一日を望もう。「おやすみ」とは、明日の一日を行動するための一言だ。もう一度、きみに、「おやすみ」


 ※


「オフンってなんだっけ?」

 僕は中学生の見ている教科書の単語を覗く。

「often」とそれっぽく発音して、「しばしば」と答える。

「しばしばって何?」

「だいたい、よく、みたいな、そのくらいの感じ」

「よくわからない」

「わたしの父は家をしばしば留守にします」

 ぼくは教科書の例題を翻訳して、なんとなく理解を求める。が、彼女は理解していない。

「しばしばって誰が言うの?」

 面倒くさい。

「でもさ。俺が中学校の時は、oftenはしばしばだって習って、理解したぜ」と、ちょっとむきになった口調で言ってみる。

「変なの」と、否定しつつも、もうどうでもいいのか、その登校拒否女子は教科書の黙読はまた続ける。ぼくはだからむきになりつつあった気持ちに整理をつけて、彼女が解いた問題の答え合わせを続ける。

 間違えだらけだ。自分も英語は得意ではなかったが、この女の子はそれを上回り英語ができない。

「はあ、メンドー。英語、めんどくさい」と、口に出して言っている。

「でもさ、まあ、覚えておいたほうがいいよ。英語は実用的だろ?」

「そうかなあ。わたしが将来英語を喋るの?」

「喋るかもしれないし」

「ああ、やめた。ぜったい喋らない」

 ぼくは口篭(くちごも)る。

 勉強を教えるのを仕事として『どうして勉強をしなくてはならないか』を教えるのも仕事だろうか?“おまえ”がメンドーな前に、よっぽどそうする僕の方が面倒だ。『勉強しろ!』と怒鳴りつけてやりたいが、なかなかそんな勇気もない。

 子供の頃は「いいから勉強しろ!」と父親に怒鳴られて育ったぼくで、父親のようにはなりたくないと思ったのを思い出す。ぼくは素直な少年だったので、楽しい遊びもせずに勉強して、それなりの大学まで行き、教員免許まで取った。でも学校の先生になりたいわけでもなく、塾の教師をしたり、ホームセンターの販売員をしたり、学校の勉強がとても役に立った覚えもないし、英語を使った覚えもない。

 当時は『なぜ勉強をしなくてはならないか』などという哲学じみた考えもなかった。考えていたかもしれないけれど気にしなかった。登校拒否女子はそんな事をしっかりと考えるだけ、ぼくより賢いのかもしれない。

「いいよ。別に、ちゃんと読むから」

 困ったぼくの姿に見かねたのか、彼女は素直に勉強の続きを始めた。

 世の中の矛盾に戸惑っているのは、その中学生じゃない。むしろ()()なんだ。ぼくは何のために勉強して大人になり、これといった青春もなく、ただ過ぎてゆく毎日をここに繰り返しているのだろう。

 でも、勉強するのが正しいと世間は言う。

『矛盾してないか。そんなの何の役にも立たないさ。そう思わないか』と君に問いたい。でもその全ては無意味だろうけど。

 登校拒否女子は、今は真面目に教科書を見つめている。ぼくには何も言えない。


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