第一回 助けてください
はじまり!!
突然だが、俺は迷いに迷っている。中学三年になって受験戦争に突入し、何処の高校に進学していいやら訳が分からない。高みを目指して進学校に行くべきか、就職のために資格をいっぱい取れる高校に行くべきか、それとも通学距離にフォーカスして、近所のアホアホ偏差値低すぎ私立高校に行くべきか……答えは全くみつからない。まるで複雑すぎる迷路に迷い込んだようだ。
「そこの兄ちゃん。ちょっとこっち来てや」
人気の少ない商店街を歩いていたら急に声が聞こえた。ここは殺風景という言葉を具現化したような場所で、自分以外の人が居るなんて珍しい。そこかしこの店でシャッターが閉まっていて閑古鳥が鳴いているにも関わらずだ。俺は普段、他人と喋るなんてまっぴらごめんの人見知り野郎だが、今回ばかりは振り向かざるおえない。俺はなんだなんだと興味津々な様子を敢えて見せず、冷静で全く興味を抱いていない雰囲気を醸し出しつつ、男を観察した。年齢は20代後半か30代前半ぐらいか。中肉中背で頭に謎のフードを被り、水晶玉に手を当てながらブツブツと呟いている。……イカサマ占い師に違いない。俺はそう確信しつつ、暇潰し程度に奴の相手をする。受験生にも束の間の休息は必要なのだ。
「俺に用か?」
「せやねん。今日の兄ちゃんほんまついてるわ。もしここで俺っちと出会わなかったらもう酷い目に遭ってたで。俺っちの水晶占いってめっちゃ当たるって評判でもーこの間なんか超金持ちの芸能人から……」
人が人なら腰を抜かすであろう。なんだこいつのトーク力は。話しの内容が全く分からないし、とにかく長すぎる。こんなペテン師野郎に時間を潰すぐらいなら、中古ショップに行って一冊100円の手相占いの本でも読んでたらよろしいわ。俺は一気に関心を失ってその場を過ぎ去ろうとする。
しかし。
猛烈な勢いで右腕を掴まれ、動きを止められた。……なんという馬鹿力だ。奴の顔には執念の二文字が現れ、世紀末な形相で此方を睨んでいるではないか。圧倒的過ぎる奴の力に俺はなすすべもなかった。呆然と立ち尽くし、口をポカンと開けるしかない。恐怖……というか、もはや呆れて物が言えない。
「こっち来い言うてるのが分からんのかボケがあああああ! 俺っちには養わんといかん家族がおんねんぞ! それなのにお前……銭も払わんと逃げ去る気かおどれほんま人間性の欠片も無いんやな……もうおじさん激おこプンプン丸やわ。ほんまに心の底から怒り狂ってるで、こうなったら実力行使で兄ちゃんの財布を奪って……」
俺は無言で百円玉を放り投げた。すると奴は両目に『銭』という漢字を浮かべ、空高く舞い踊ると、空中でそれをキャッチする。……分かりやすい大人だ。将来、あんな風には絶対ならないと固く決意し、俺は雑な造りのパイプ椅子に腰かける。
「よっしゃ。じゃあ早速兄ちゃんの未来占ったるわ」
さっきまでの激おこ唾吐きおじさんは何処へやら。何事も無かったかのように水晶占いが展開されていくではないか。占いジジイは眉間にシワを寄せ、「ムムム!」とひたすら呟きながら、水晶めがけて念を送っていた。何度も何度も繰り返し言って申し訳ないが、マジでこんな大人にはなりたくない。俺は奴に対して冷やかな目線を送る。するとどうだ。突如にして奴はクワっと目を見開くと、まるでスーパーの総菜売り場で4割引きのから揚げを見つけたような勢いで迫り来るではないか!! さすがの俺も肝を冷やし、椅子ごと後ろにひっくり返る。奴はぎょろ目を上下左右に動かし、鼻息を荒くして今にも噴火寸前だった。
「水晶玉を通じて兄ちゃんの苗字が脳裏に浮かび上がったわ。ズバリ……兄ちゃんの苗字は鈴木やな」
一瞬にして俺は冷静さを取り戻す。そして奴の胸ぐらを掴むと、ぐわんぐわんと勢いよく上下に揺らした。さっきのお返しとばかりに。
「お前それ……制服の名札見ただけだろうが!」
「ちゃうねんちゃうねんって。まじや! まじで水晶玉を通じて兄ちゃんの苗字がやな……ってうわぁああああああああああ! 今度こそ正真正銘のヤバい未来が見えてしもたわ! これはめっちゃヤバいぞ絶対聞いた方がエエから落ち着いて座ってくれお願いします神様どうかお情けちょうだいアーメンソーメンヒゲソーメン……アブラカタブラ」
腐りかけたおっさんに命乞いされては仕方ない。俺はもう一度パイプ椅子に腰かけ、貧乏ゆすりをしながら奴の水晶占いの結果を待つ。……こんなくだらないペテン野郎に時間を割くなんて。受験生にとっては1分、いや1秒でさえ貴重なのだ。俺は眼光を光らせ、クソジジイにありったけの侮辱をこめて睨みつける。
「早くしてくれませんかねえ。こっちにも用事があるんですよ」
軽い舌打ちを交えて腕時計を見ると、既に19時を過ぎているではないか。部活終わりでただでさえ腹が減っているというのに、これ以上時間をかけられては親が心配してしまうではないか。辺りは薄暗く、俺達以外に人はいない。目の前に座っているのは明らかな不審者で挙動不審な動きを見せている。いっそ交番にでも逃げ込んでやろうか、そう思っていたら、急に奴の態度がおかしくなった。元からおかしいが、それ以上に変なのだ。青ざめた顔でプルプルと震え出すと、椅子から転げ落ちて後ずさりする。俺の背後を指さし、何かを伝えようとしていた。
「あああああれ、あれ、あれ、あれや! あれ見てみい!」
「はぁ?」
俺は首を傾げつつ後ろを振り向く。その瞬間、ポケットに人肌を感じてハッと気が付く。……やられた! そう思った時には遅くて、奴はもういなかった。足音がする方向に首を曲げると、水晶を抱えて走り去っていく財布泥棒の姿が見えた。俺は喉が枯れんばかりの勢いで罵声を吐きつつ、50メートル走6秒台の俊足で奴の後を追う。
「待てやおっさん俺の財布返せえええええええええええええええええええ!!」
錆びれた商店街に怒号が響き渡る。
◇ ◇ ◇
「悪かったほんまに悪かった。つい出来心で盗ってしまったんや」
目の前に転がってる占い師はとんでもない鈍足で、僅か2秒足らずで追いついてしまった。全速力で走ったせいか、怒りの感情はとうに消え失せ、奴に対しては哀れみを感じてしまう程だ。……確かこの男は、養うべき家族が居てお金に困っていると言っていた。さぞや生活が苦しいのだろう。俺は奪い返した財布から千円札を取り出し、奴の両手にポンと置いた。
「ほらよ。これで何か美味しい物でも買って帰れや」
するとどうだ。おっさんは両目に涙を浮かべると、俺の脚に抱きついてきたではないか。むさ苦しい三十路野郎に頬ずりされるなんて、もはや罰ゲームだ。……はなせはなせ! 誰かに見られたら勘違いされるだろうが!! 俺はもうそれこそ必死の抵抗でその場から逃げようとした。そしたら占い師が急に瞳孔を開いて口を大きく開け、
「ああああああああああああ!」
まさかまさかの発狂騒ぎ。どんだけ情緒不安定なんだと逆に心配すら覚える。さっきと同じパターンで全身を震わせ、がちがちと歯を鳴らして後ろを指差しているではないか。……冗談じゃない。また俺を騙そうとしてるのかこいつ。こっちが中学生だからって馬鹿にしてんじゃねえぞ。俺はがっちりと両手に財布を握り、腑抜けた顔で後ろを振り向く。
「!?」
眼前に飛び込んできた光景に度肝が抜かれる。俺も奴と同様、後ろにひっくり返って全身をワナワナ震わせる。……真っ黒な球体が宙を舞っているではないか。びっしりと生えた体毛から大きな目と大きな口が浮かび上がり、今にも俺達を食おうとしていた。
【カエセ……カエセ】
脳内に直接声が聞こえる。おっさんに聞こえたかどうか知らないが、俺を残して一目散に駆けて行った。奴の手にはちゃっかり俺の財布が握られている! なんて野郎だ! 怒りを通り越して、もはや呆れ果てるしかない。だがそんな悠長な時間に浸っている場合でも無かった。俺は再び奴を追いかけるようにして、謎のモンスターから逃走を図る。そしてまた、ものの二秒でおっさんに追い付いた。俺はおっさんと並んで走り、その手から財布をひったくる。
「ったく油断も隙もありゃしねえ。こんな非常事態で財布盗む馬鹿が何処にいるんだよ! ってかあんたその水晶玉捨てろって! そんな重たい物持って走ってたらあいつに追い付かれっぞ!」
そう言い聞かせるも、占い師は断固として譲らず首を横に振っていた。
「これだけは捨てたらアカンねん絶対アカン。もしもこれが奴らの手に奪われたら……」
占い師が何か言いかけようとしたが、
「え?」
背中に衝撃が走る。迫り来るモジャモジャに激突され、地面に叩きつけられる。俺は二度三度と転がりながら呻き声を上げ、全身の痛みに悶え狂う。小学生の頃、逆上がりに失敗して骨を折った事がある。その当時と似たような激痛を覚え、とてもじゃないが起ち上がれない。
「アカンアカンアカン……一般人巻き込んでしもた! どうしよ俺!」
痛みに耐えながら薄く目を開けると、水晶玉を抱えた占い師がパニックを起こして右往左往していた。そのすぐ傍に、制服を着た女子中学生が立っていた。おっさんとは正反対に堂々としており、真っ直ぐな姿勢でモンスターと向き合っている。そして俺は、彼女の面影に見覚えがあった。あのポニーテールどこかで見たような……。一体誰なんだ。
「しゃきっとしなさいよ。大の大人が狼狽えてどうすんのよ」
女の回し蹴りが尻に炸裂し、占い師は前のめりになって倒れ込む。しばらくして「イテテ」と言いながら起き上がると、俺に向かって歩いて来た。そして女がモンスターと交戦状態に入り、不思議な色の光線を撃ち合っていた。
「思考回路が……追いつかねえ」
心配そうに覗き込む占い師に語りかけた。体の節々が痛み、喋るのも辛い状況だが、喋らずにはいられない。謎を残したままあの世に逝くなんてまっぴらごめんだ。
「ほんまにすまん。兄ちゃんをこんな酷い目に遭わせた原因は全部俺っちにある。せやから兄ちゃんの命、一度だけ助けたるわ……いや、でもこんなことやったら後で女将にドヤされそうやしなあ……やっぱ止めとこうかな」
右往左往する占い師めがけ青い閃光が放たれる。僅か数ミリで攻撃が外れ、占い師は大きく目を開けて吃驚していた。当たった場所は焦げて陥没してしまっている。
「ぬわああああああアアア! なななな、なにすんねんお前! 俺っちを黒焦げにする気か!」
女が軽く振り向き、占い師のおっさんを侮辱的な目で睨みつけていた。
「いいから早く終わらせてよ! 私ひとりじゃ勝てないわ!」
「分かった分かったからちょっと待ってくれ」
そして俺は、名前も素性も知らないおっさんに治療を受けた。ぶつぶつと呪文のような言葉を唱えながら俺の怪我をヒーリングしてくれている。有り難いのは分かっている。でもなんで俺は三十路野郎に介抱されているのだろうか。どうせならあそこで戦っている美女に回復してもらいたかったな……。