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一通りの物語を聞き手紙を受け取り、涙も枯れた僕は帰り支度を始めた。上着を羽織り玄関を出るとクジラの大きさに改めて驚いた。部屋の中にいる間すっかりクジラの事は忘れてしまっていた。
サンタクロースは僕に「どこか行きたいところはあるか」と聞いてくれたが僕は特にないと言った。「父さんの元へは?」という質問にも首を横に振った。理由は分からない。でもきっと、こうして十年越しのプレゼントを受け取った事を父さんには内緒にしておきたいような気持ちがした。
サンタクロースが指笛を吹くとクジラが目を覚ました。今度は僕もあまり怖がらずに乗ることが出来た。もう一度吹いた指笛を合図に僕たちはサンタクロースの本部を後にした。また青い雲を突き抜ける。突き抜けた先はまだ真っ暗だった。
今度は街のイルミネーションや街灯の光が少しずつ近付いてくる。往路よりも心に余裕があった僕は、少し落ち着いて街を見下ろすことが出来た。父親が住んでいる僕の母国と今僕が住んでいるこの街は別だが、空は一緒だ。きっと父親の元へ簡単に行く事だってできたはずなのに、としてもいない後悔に頬を軽く緩ませた。
既視感のせいか帰路の方が短く感じた。クジラはとても正確に僕の部屋の窓の下につけた。
「さぁ着いた。落ちないように気を付けて」
開けっ放しにして出てきた窓から中に入ると現実が広がった。振り返って窓の外を見る。サンタクロースはクジラの上でこちらを見ている。
「素敵な夜を。メリークリスマス」
サンタクロースと僕は握手をして別れの挨拶をした。そしてまたピーっという指笛の音でクジラは遠くの方へ向かってゆっくりと泳ぎ始めた。しばらく僕は目で追いかけ続けた。頭の中の整理作業がとても追いつかないでいる。
クジラの姿が見えなくなった時、急に頭に夜風の冷たさを感じて急いで窓を閉めた。
「しまった、帽子を忘れてきてしまった」
気付いたところで時すでに遅し、サンタクロースを呼び寄せる術など無い僕は諦めざるを得なかった。そして興奮状態の脳内を抑えるべく、ワインをグラスに注いで飲んだ。現実か夢かは分からないが、心が温まったのは事実だ。顔が綻ぶ、そしてまた涙ぐむ。サンタクロースの元で起こった一連の流れを整理しながらワインを飲み進めた僕は、気付かないうちにベッドに倒れ眠り込んでしまった。
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祝日なのに携帯のアラーム設定を解除しておくのを忘れていた僕は、朝の六時に目覚ましに叩き起こされた。少しの間ベッドの上を転がってみたが、昨晩の事を思い出して飛び起きた。部屋を見回す。机の上、汚れた食器が置かれたままになっている。カーテンはきっちり閉められている。
「夢、だったのか?」
現実世界に引き戻されてまた脳内が混乱を起こした。夢にしては出来過ぎた話だが、現実にしては現実味の無い話だ。溜め息を一つついた僕は体を起こし水を一杯汲んで飲んだ。そして余りのバゲットを二切れ切り落とし、バターを塗って食べた。
昨夜の食器を片付けようと思ったのとほぼ同時に電話が鳴った。妹からの着信だった。
「メリークリスマス」
「あぁメリークリスマス」
「お兄ちゃんもなかなかやるね。事前に何も言わないでさ」
妹が突然、そんな事を言ってきた。聞き返すと「とぼけなくていいの」といい、僕から父親宛のプレゼントが届いたと言う。心当たりが無いと言っても妹は信じない。
「送ったんでしょ、深緑色のニット帽。父さん喜んでるよ」
深緑色のニット帽、僕が普段被っているのと同じじゃないか。まさか。
僕はコートスタンドに目をやった。いつも返って来てから帽子を掛けて置く所に深緑色のニット帽が、無い。
サンタクロースか。
僕は高鳴る心臓を抑えるが、何の確認のしようもない。確かに昨晩、僕はサンタクロースの所に帽子を忘れてきてしまったが、あれは夢の中の話で。
「私の知らないメーカーだけど、父さんは知ってるみたいで泣きながら喜んでるわ。大袈裟よね」
僕はなんというメーカーか尋ねてみた。心臓はバクバクしている。
「名前は書いてないけど、フラミンゴみたいな模様が刺繍されてるわ」
目を真ん丸にした僕は電話をそのままに物入の中にハーモニカを探した。そして見付けたハーモニカにも同じようにフラミンゴのマークがあった。
僕は腰を抜かした。絶望ではない。ただ、希望でもない。喜びや悲しみなどそういった感情ではない。言葉にも文字にも出来ない気持ちが、きっと父親と僕だけが知っている気持ちを感じた。奇跡が起こったのだ。興奮して涙が出てきた。鼻息が荒くなってきた。
僕は妹に、電話を父親と代わるように頼んだ。そして父親が出た。
「もしもし、お前、」
「父さん、何も言わなくていいよ。メリークリスマス、僕は今幸せに暮らしているよ」
受話器からすすり泣く声が聞こえたが、自分の物か父親の物かは定かではなかった。
「良かった。幸せなら、それで良かった」
そう言うと直ぐに父親は妹に電話を渡した。
「ね、父さん大袈裟でしょ。え、お兄ちゃんも泣いてるの、なんで」
妹のその反応を聞いて今度は可笑しくなって笑えてきた。それを聞いた妹は困り果てた様子で、しばらく話した後電話を切った。
落ち着かない体をほぐそうと散歩に出かける事にした僕は上着を羽織り静まり返った街に繰り出した。クリスマスという事もあって外出している人はほとんどいない。僕はそれを良い事に、指笛を鳴らして空を見上げてみた。待てども待てども何もやっては来ない。そりゃそうだ、とポケットに手を突っ込むと何か入っているのに気が付いた。取り出してみると、父親がサンタクロースの元で僕宛に書いた手紙だった。
遠くの空からピーっと指笛の音が聞こえた気がした。