第四章 龍の怒り -6
十月が終りに近づき、秋が深まる頃、龍之介は司に呼び出された。夜中、亜子の部屋を抜け出して司の部屋へ行くと、司は、提案がある、とヒソヒソ声で言った。
「今月の末に魔女の集会があるんだ。母さんは行かないと思うけど、僕たち二人で行ってみない? 龍ちゃん、吉中さんとか佐藤遥に訊きたいことあるでしょ?」
さすが司だ、と思った。
「訊きたいことは一つだけだ。佐藤遥が亜子に魔法をかけたかどうか」
「かけてたらどうするつもり?」
「土下座してでも魔法を解いてもらう」
司は龍之介を見つめると、頷きながら「その土下座、僕も付き合うよ」と、言った。
集会の日、夜の十二時に龍之介は亜子が眠っていることを確認すると、部屋を抜け出し、司の部屋へ入った。司は窓を開け、靴を履いて準備していた。龍之介は窓の外へ出ると、馬ほどの大きさになり、司を背中に乗せた。司に角を握られると、エンジンがかかったように龍之介はスッと上昇した。高く舞い上がり、住宅街を下に見て、何も遮るもののない夜空を月明かりに照らされながら、龍之介は悠々と泳いだ。
司の指示で南に向けてスピードを上げた。司が体勢を低くしているのが、背中に伝わる感触で分かる。龍之介は遠慮なく、さらにスピードを上げた。都内上空を一気に南下し、川崎を通り過ぎ、しばらく飛ぶと、横浜へ着いた。小さな森のような小高い丘に、明かりのついた教会がポツンと見えた。ゆっくり降下し、教会の庭に降り立つと、少し離れたところで、ちょうどスノーボードで降り立った人物がいた。教会の窓から漏れる明かりに照らされて、その姿が誰だかわかった。
佐藤遥だ。佐藤はこちらに気が付くと、スノーボードを教会の壁に立てかけてから近づいてきた。龍之介と司は身構えて息を呑んだ。
「やあ、今日は二人だけ?」
なれなれしく声をかけてきたが、佐藤には一度攻撃されている。気を許してはならない。
「佐藤さんに訊きたいことがあります」
佐藤の呼び掛けには答えず、司がぶっきらぼうに言った。佐藤は目を丸くして、「僕に?」とおどけて見せたが、すぐに真顔になり、庭の茂みのほうへと促した。庭から姿が見えないところまで来ると、お互いの顔が教会の明かりで暗やみに微かに浮かび上がった。
「何が訊きたい?」
佐藤が声をひそめて言う。司が冷静に話し始める。
「田山さんにしたように、姉にも記憶を失くす魔法をかけましたか?」
数秒の沈黙があった。庭の方では、集まってきた魔女たちが、各々の乗り物を庭にとめて、教会へと入って行く声が夜空に響き渡っていた。
「君たちは、何か誤解しているようだから話すけど、誰にも口外しないと誓えるか?」
相変わらず声をひそめている。龍之介と司は大きく頷いた。
「まず、田山さんに魔法をかけて記憶を失くしたのは大御所様だ。僕じゃない」
そう言えば、吉中がそう言っていた。佐藤は続けた。
「そして、僕は亜子さんに魔法をかけていないし、彼女の事故現場には行っていない。あくまで指示しただけで、実行したのは、僕の下の人間だ。ただし、バイクで撥ねただけで、魔法はかけていない。これは本当だ」
「じゃあ、亜子の記憶喪失は、正真正銘、事故の後遺症ということなんですね」
龍之介が乗り出して訊いた。佐藤がすかさず「静かに」と、言って人差し指を口の前に置くと、龍之介を見て頷いた。
龍之介と司は目を合わせた。何としても、亜子の記憶を取り戻さなくてはならない。魔法にかけられて記憶を失くしていたのなら、魔法を解いてもらえばいいだけのことだったのだが、正真正銘、事故の後遺症となると、いつ記憶が戻るかわからない。龍之介は覚悟を決めるしかなかった。龍之介と司は佐藤に頭を下げて帰ろうとすると、佐藤に呼び止められた。
「龍の君。亜子さんは、君をかばって真正面からバイクに当たったらしいぞ。実行犯が言ってたから間違いない。君が彼女の周りをチョロチョロ飛んでいなかったら、彼女はもう少し軽傷で済んだかもしれない。記憶も失くさずに済んだかもしれない」
龍之介は血の気が引いて、一瞬、動けなかった。
今の今まで、龍之介は自分も亜子と一緒にバイクに撥ねられたのだと思って疑わなかった。自分だけが運よく軽く飛ばされたのだと思っていた。しかし、それは大きな間違いだった。自分が軽く飛んで生垣に突っ込んだのは、亜子がとっさに龍之介を魔法で飛ばしたからだったのだ。亜子は、龍之介をかばったために記憶喪失になった。
そんな事実、聞きたくなかった。
「それは本当ですか? その実行犯に会わせてください。本人の口から聞きたいですし、その人には自首してほしいです」
茫然とする龍之介の代わりに、司が佐藤に詰め寄った。佐藤は、仲間を売ることはできない、と言ってその場を去ろうとした。すると、龍之介は自分に対するやり場のない怒りと、佐藤や事故の実行犯に対する怒りで佐藤を怒鳴りつけた。
「俺をかばおうがかばうまいが、アンタたちが亜子を撥ねなければ、亜子は記憶喪失なんかにならなくて済んだんだ。俺のせいみたいに言うな」
「龍ちゃん落ち着いて」
司が叫んだ時には、もう遅かった。龍之介は怒りで我を忘れ、体がグングンと大きくなると、頭は木々を突き破り、あっという間に教会を下に見た。そして、天高く猛り声を上げた。
いきなり鳴り響いた轟音に、教会から魔女たちがわらわらと出てきて、驚いた顔で龍之介を見上げていた。
――亜子の事故に関わったヤツら、二度と魔法を使えないようにしてやる!
龍之介が大きく口を開けて再び猛り声を上げながら、如意宝珠を光らせると、佐藤をはじめ、数人の魔女の口から光が放たれ、龍之介の口に吸い込まれていった。しばらくすると、光は全て吸い込まれ、佐藤と数人はぐったりとその場にへたり込んだ。龍の威力を目の当たりにした魔女たちは、誰も言葉を発せず、辺りに沈黙が流れた。
「自首してください。そして、龍ちゃんの容疑をはらしてください」
司の言葉で龍之介は我に返り、元の馬ほどの大きさに戻った。龍之介は頭を垂れて座り込む佐藤を目の前に、再び茫然とした。こんなことをするつもりはなかった。魔女の能力を吸い取ってしまった。目の前の人と数人の人生を変えてしまったに違いない。亜子を傷つけたヤツらだとはいえ、なんて傲慢なことをしてしまったのだろう。龍之介は自分のしたことを深く反省した。そして、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
龍之介は司を背中に乗せると、司が角を掴んだのを確認し、夜空へ向かって上昇した。教会の上を旋回すると、三、四十人の魔女たちと、彼女たちが乗って来た箒をはじめとする自転車や椅子や洗面器などの様々な乗り物が庭に置かれているのが見えた。見上げる魔女たちの中に吉中の顔が見えたので、龍之介と司は会釈した。すると、教会の入り口から、両脇を抱えられて出てきた老婆が見えた。老婆は龍之介と司を見ると、目を見開いていきなり叫んだ。
「皆の者。あの龍を捕まえるのじゃ。如意宝珠を手に入れるのじゃ~!」
老婆の叫びで庭にいた魔女たちが一斉に飛び立ち、各々の乗り物で龍之介と司を追いかけてきた。
吉中とその仲間たちが、龍之介と司を守ろうとして、追いかける魔女たちの行く手を阻んでくれた。龍之介は、後ろで魔女たちがすごいスピードで迫りながら、お互い攻撃しあっているのを感じると、冷や汗をかきながら司に言った。
「司、体を低くしろ。スピードを上げるぞ」
司は龍之介の角を強く握り、胸を鬣に添わせるように体を密着させた。すると龍之介は如意宝珠に思いを込め、その瞬間一気に加速したかと思うと、まるで瞬間移動したかのように一瞬で白石家の前にたどり着いた。司の部屋の窓の前で、荒い息を整えながら、あの老婆は誰なのか司に訊ねた。
「大御所様だ」
ボソリと呟くと、「もう二度と集会には行かない」と言って、司は窓から部屋に入った。龍之介も体を小さくすると、続いて司の部屋に入った。
亜子の部屋に戻ると、龍之介はスヤスヤ眠る亜子の寝顔をしばらく眺めた。
「ごめん、亜子。俺のせいで……」
龍之介は呟くと、亜子の額に鼻先をくっつけた。亜子がうっすら目を開けて眠そうに龍之介を見ると、布団をめくって招き入れた。龍之介は亜子の腕の中で涙を流しながら目を閉じた。外は静かに時雨れていた。




