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第四章 龍の怒り -5

 家の近くまで来たとき、急に歩みが止まり、三人の様子に違和感を覚え、龍之介は鞄から顔を出した。

 白石家の門の前に、花束を持った佐藤遥が立っていた。郁子と司に睨まれながらも佐藤は近づいて来る。初対面の亜子だけが、真顔で佐藤を見ていた。龍之介は、亜子に記憶を失くす魔法をかけたのかどうかを佐藤に訊きたかった。そんなことを訊ける雰囲気ではないとは思ったが、何か方法はないか考えながら事の成りゆきを見守っていた。

 目の前まで来ると、佐藤は立ち止まり、郁子に花束を差し出した。

「お見舞いです。これを、お嬢さんに」

「いりません。お帰りください」

 郁子は睨んだまま低い声で告げた。佐藤はめげずに亜子に向かって差し出した。

「ご無事で何よりです。お体お大事にしてくださいね」

 亜子が手を伸ばして受け取ろうとすると、郁子が割って入り、花束を地面に叩きつけた。そしてすかさず、佐藤の頬を平手打ちした。

 郁子は何の抵抗もしない佐藤の頬を右、左と打ち続けた。心なしか、佐藤の表情が安らかになっていくように見えた。ひとしきり殴ると、郁子は花束を拾って佐藤の胸に押し付け、「二度と来ないで」と怒鳴りつけた。急いで亜子の腕を引くと、乱暴にドアを閉めて家の中に入って行った。龍之介は、これで佐藤に話を訊くチャンスがなくなってしまった、と頭を垂れた。

「お母さん。あの人は誰なんですか?」

 亜子がおろおろしながら訊ねる。

「……元カレよ。しつこくて困ってるの」

 郁子のなげやりな答えに、亜子も司も龍之介までもあ然として口をあんぐり開けた。きっと、いろいろと訊かれないように強烈なひと言で済ませようと思ってのことに違いなかったのだが、あまりにも見え透いた嘘だったので、それ以上、誰も何も訊かなかった。

 龍之介は佐藤の行動が少し心に引っかかっていた。こうなることはわかっていたに違いないのに、どうしてわざわざお見舞いに来たのだろうか。そして、郁子に殴られているときの安らかな表情だ。まるで、佐藤は郁子に殴られたかったかのようだ。

 ――そうだ。佐藤はおばさんに殴られに来たんだ。

 一度でも愛した女の娘に危害を加えてしまったことが、本当は心苦しかったのだ。でも、立場上、懺悔できないので、せめて、殴られに来たのだ。龍之介は、佐藤の心にわずかばかりでも善玉が残っているのではないか、それどころか、未だに郁子に想いがあるのではないだろうか、と思った。


 亜子は毎日のように小林の元へ通うようになった。一週間ほど龍之介は鞄の中に隠れて着いて行ったが、亜子が一人で行くと言い出したので、龍之介はそれに従うしかなかった。亜子は自分で勉強して、質問事項をノートに書きだしたものを準備して持って行っていたのだが、質問がない日まで小林の元を訪れるようになった。どうやら、「僕と君のこと」と小林に耳打ちされたことが気になっているらしく、記憶を取り戻す糸口になると思っているようだった。小林と亜子の間に何があったかは龍之介は知らない。ただ、知っているのは、小林が亜子に言い寄っていたことだけだった。もしかしたら、小林は亜子の記憶喪失をいいことに、小林の都合のいいように作り上げた記憶を植え付けようとしているのではないだろうか。例えば、自分と亜子は恋人同士だった、とか。そんなことを想像すると、龍之介は居ても立ってもいられなくなり、リビングをグルグルと飛び回った。

 夏休みも終わり、九月になると亜子は大学の授業に参加するようになった。四年生の後期なので、授業はそれほどなかったのだが、亜子は毎日大学へ通った。郁子からスマホを返してもらった亜子は、連絡先と実際会った友人を照らし合わせて確認する日々が続いた。光の正義の仲間の連絡先やラインでのトークは、前もって郁子が魔法を使って消去しておいたらしい。魔法はSNSを凌駕するのだということを思い知らされ、龍之介は感心するのと同時に恐ろしさも感じた。

 忙しい毎日を送る亜子は、新鮮で楽しいのか、表情が生き生きしている。記憶を取り戻している様子はないが、記憶を失う前と同じ箇所を小林に質問しているらしく、亜子はそのたびに、自分は小林の生徒だったのだと実感しているらしかった。そして、毎日のように小林の話を聞かされ、それも亜子は小林を気に入っている雰囲気を丸出しにして嬉しそうに話す様子を見せつけられ、龍之介の心臓はジンジンと痛んだ。

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