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第三章 亜子の秘密 -4

 亜子は日を追う毎に龍之介に心を開くようになっていった。一緒に掃除をしたり、テレビを観ながら笑い合ったり、時には一緒に料理をすることもあった。龍之介が海苔巻きを上手に巻く方法を教えたりもした。そして夜は一緒に寝た。龍之介と亜子は、文字通り寝食を共にしていた。

 白石家の人々はいつの間にか普段の生活に戻っていった。父の朋生は通常通り出勤し、母の郁子はテレビ通販の受注のパートに出かけ、夏休み中の司は、午前中は家で過ごし、午後になるとスーパーのバイトに出かけた。司はチーフに龍之介の容態を根掘り葉掘り訊かれていたが、知らない、の一点張りを通した。そのうちチーフも諦めて、新しいバイトを募集し始めたそうだ。

 風が涼しくなり、八月も後半になったある日、郁子が亜子を買い物に誘った。上野のアメ横やデパートに行くのだという。

 亜子は久しぶりに化粧をしたが、服装はTシャツにジーンスという地味な装いだった。郁子からスカートを履くように勧められたが、亜子はこれでいい、と言って着替えようとはしなかった。以前の亜子ならば、迷わず若者らしく脚を出してサンダルを履いて出かけたに違いない。今の亜子は、サンダルよりもスニーカーを選んで安心そうな顔をした。それでも龍之介には、化粧をした亜子がいつもより色っぽく思えて、つい見とれてしまった。

 二人が出かけていくと、司が龍之介を呼びつけ、亜子の部屋に連れて行った。すると、司は亜子の机の引き出しを勝手に開けて、中身を探り始めた。

「司、何してるんだ」

 龍之介が批難がましく言うと、

「龍ちゃんも手伝って。姉ちゃんの私物から魔女だった証拠を匂わせるモノを全部見つけ出すんだ」

 鍵のかかった二段目の引き出しをガチャガチャ引きながら司が言う。亜子が魔女だということを伏せている間は、何としても隠さなければと思ってのことだったのだ。このために、郁子は亜子を連れ出したのだ。

「龍ちゃん、ここの鍵どこにあるか知らない?」

「知らないよ。たぶん、亜子もね」

 亜子がこの鍵の付いた引き出しを開けたところを見たことがなかった。亜子は当然、鍵の在りかを忘れてしまっていて、いつも思いついたように鍵を探していたが、結局見つからなくて、出てくるまで待つ、と言っていたのを龍之介は思い出した。

 龍之介の話を聞きながら他の引き出しを探って鍵を見つけようとしたが、なかなか見つからなくて、クソっ、と呟くと、司は悪知恵を思いついたような顔で龍之介を見た。龍之介はギョッとして少し体を引いた。

「龍ちゃん、ここの鍵、開けてよ。例の神通力でさ」

 そうきたか、と思った。龍之介がしぶしぶ顎の下の如意宝珠を撫でると、カチャリと音を立てて引き出しの鍵が開いた。サンキュ、と小さく呟くと、司はすかさず引き出しの中を見た。のど飴の丸い缶が一つと、大学ノートが一冊入っているだけだった。他には何も入っていなかったのが、この二つのアイテムの怪しさを際立たせた。

 司がゆっくりと飴の缶とノートを取り出して机の上に並べた。まずは飴の缶を手に取り開けてみる。中身は飴ではなく、紫色の軟膏が入っていた。

「マンドラゴラだ」

 司が呟く。

「惚れ薬の? これがそうなのか?」

 龍之介が目を見開いて覗き込む。するとすかさず、「そうだけど、違うよ」と、司は言って説明を始めた。

「これは、空を飛ぶときに使うんだ」

 この軟膏はマンドラゴラが練り込まれているが、惚れ薬に使うのではなく、空を飛ぶ際自分の体の一部と飛ぶための道具に塗り込むのだという。例えは、箒で飛ぶ場合は、自分の太ももの内側と箒の柄に塗るらしい。飛ぶ道具は箒でなくてもよい。座布団で飛びたければ、自分のお尻と座布団にマンドラゴラを塗る。座布団でも、正座して飛ぶ場合は脛に塗る。自転車で飛ぶ者もいれば、椅子に座って飛ぶ者もいる。とにかく何でもいいのだ。

 亜子はいつも、集会に行くときは、自転車で後ろに司を乗せていたらしい。郁子は魔女らしく箒で飛ぶのが好きなのだという。

 龍之介は、飛ぶことに関しては、龍の自分の方が手間がかからないと思い、少しだけ意味のない優越感に浸った。

 塗り薬の説明が終ったところで、司はノートを手に取りパラパラと中身を確認し始めた。龍之介も慌てて司の肩越しにノートを見た。どうやら日記のようだった。日記はノートの中ほどで終わっていた。最後の記述があるページに目を通す。



 七月十六日

 (とし)()さんが影の正義にやられて入院した。目撃した仲間の話しでは、俊美さんを撥ねた車には、誰も乗っていなかったようだ。きっと魔法を使ったのだろう。相変わらず卑怯だ。次はわたしかもしれない。気を付けよう。


 七月二十三日

 俊美さんのお見舞いに行ってきた。俊美さんはすごく元気で、すばらしい回復ぶりだと医者も言っているらしい。俊美さんから気を付けるように言われた。何といってもわたしたちは重大な秘密を突きとめてしまったのだから。



 日記は亜子がバイクに撥ねられる前日で終わっていた。

 龍之介と司は目を合わせると頷き合った。亜子が魔女である証拠どころか、命を狙われた理由が書いてあるかもしれないノートを見つけてしまった。龍之介は見てはいけないものを発見してしまったような気持ちになった。

「この缶とノートだけで充分だ。あとは見たところ魔女っぽいモノはなさそうだし、あんまり荒らすと探られたことがバレるから、このへんでやめておこう」

 司は冷静そうに言ったが、動揺を隠すようにノートを胸でギュッと握りしめていた。

「なあ、他に魔法関係のテキストとかあったら、それも隠した方がいいんじゃないのか?」

 余裕のなさそうな司のために、龍之介が気を利かせて問いかけた。

「テキストなんてないよ。魔女の世界は口承文化だからね。つまり、全部口伝えってこと。映画や小説とは違って、学校もなければテキストもない。身内に教えてもらったり、集会で聞いたりするだけ。メモは厳禁なんだ」

 魔法を使えないのに、司は得意満面に語った。亜子はほとんどの魔法を母の郁子から教わったらしい。集会で教えてもらったものもあるが、数は少ないそうだ。

「とりあえず、散らかしたモノをちゃんと元通りに戻そう」

 気を取り直して龍之介が言うと、

「できないよ、元通りなんて」

 そう言って司は龍之介を見ると、再び悪知恵を思いついたような顔でニヤリとした。

「龍ちゃんなら元通りにできるかもね。神通力でさ」

 龍之介は司の勝手さに頭に血が上った。

「ふざけるな。こんな泥棒まがいのことしておいて、俺を利用しようとするな。それに俺は魔法使いじゃない」

 声を荒げる龍之介とは対照的に司は乾いた態度で言った。

「いいから元に戻してよ。姉ちゃんのためなんだから」

 亜子のため。卑怯なことを言う、と思いながら龍之介は怒りを堪え、如意宝珠を擦って亜子の机を元通りにした。そして最後に引き出しの鍵をかけ、カチャリと音がしたのを確認すると、司の部屋に移動した。

 飴の缶を司の机の引き出しにしまうと、龍之介と司はベットに並んで座って、亜子のノートを前にじっと動けなかった。やはり、盗み見は罪悪感がある。中身が重要であればあるほど重い石を背負わされているような気分になる。司はノートを持って見つめたままで、いつまでたっても開こうとしない。

「見ないのか?」

 さすがにしびれを切らした龍之介がボソリと言う。

「見るよ。見るけど……」

 司が弱腰になっている。さっきまでのリーダーシップはどうした、と言いたい気分になった。

 司が大きく深呼吸すると、ゆっくりとノートを開いた。



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