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間奏曲・君の背に祈りを

※この章には若干大人な内容がございます。苦手なかたはこちらの間奏曲をすっ飛ばし推奨です。


―間奏曲―



宵闇に包まれた邸宅の最奥へ続く長い廊下を、少年はゆっくりと歩いていた。

極力足音を立てないのは、夢というただひとつの安息に包まれた彼らを、起こさないためだ。


そろりそろりと足を運び、最奥の一番奥、薄明かりが漏れる部屋を目指す。

家長の祖父の呼びつけとはいえ、ここ一帯に足を踏み入れるのは気が進まなかった。


…知っていたからだ。

ここで何が起きているのか、自分が何のために呼ばれたのかを。


「――失礼します…」


ささやき程度の声量で呟き、間接照明が幾つか灯るその部屋に入る。

いつものように『壊れた生き物』と対面する覚悟を決めた、瞬間――


「あ、どうもこんばんはー!こちらまでいらしていただき有り難うございますっ! 日頃ルシェード様から貴方様のお話を伺っていまして、今日お会いするのを楽しみにしていました。ええと…」


「おお、フィンリック。今手が空いたところだ。彼が今日から世話を頼む宝珠で、アウィス君だ。お前より十ほど年上だが、学術書の興味がお前と似ていてな。私が留守の間は、話し相手になってやってくれ」


場や状況にそぐわずやけに朗らかな二人に出迎えられ、思わず何度かまばたきをした。


一人が…祖父だけが笑みを浮かべているならまだ解る。

だが、もう一人…先ほどまで、祖父の相手をしていたらしき『宝珠』までもが笑顔であることが、不思議だった。


「どうされました? 私は何か失礼を……ああ、すみません、この格好…!」


いつものことだから忘れていましたー!と慌てながら、宝珠の彼は急いで手近な椅子にかけてあった服を羽織り、乱れていた髪を整える。

そんな彼に、祖父は瞳を細めていた。


「慌てずとも良い、アウィス。フィンリックは『このこと』も知っておる。――では、後は頼んだぞ、フィン」


ゆっくりと寝台から立ち上がった初老の祖父は、そのまま扉の外へと歩き去る。

孫の少年…フィンを振り返ることも、宝珠に言葉をかけることも無かった。


ギイ、と鈍い音を立てて、強固な分厚い扉が閉まると、フィンは後ろを振り返る。

寝台に残されたもう一人の、少年と青年の中間くらいの年頃の『宝珠』…祖父の趣味のコレクションが、フィンに向かって手招きしていた。


「…な、何でしょう…か?」


普段『宝珠』たちから話しかけられることなど無いフィンは、あからさまに動揺してしまう。

室内に残る仄かな臭いと、まだ乾かないシーツの染みが、先程まで行われていたことを物語っているせいでもあった。


「ごめんね、私はまだ体力が戻らないから、このまま座ってお話させていただきます。――…フィンリック様は、初等科には行かれずに、家庭教師から教わっていらっしゃるとか?」


「え? あ、はい…」


「――では、遠方の初等科に行かれると良いですよ。寄宿舎がある学校を選ばれたらなお良い。このまま毎晩あの方の言い付けのままに私達の世話などしていたら…貴方様のお心が、どんどん壊れてしまうでしょう」


「へ…?」


空色の髪をした宝珠が語る言葉は、日頃接する宝珠のそれとは思えないもので。

夜毎祖父によって身も心も蹂躙される立場にある彼が、祖父の孫であるフィンにかけた言葉として受け止めるまでに、少し時間がかかってしまった。


「嫌でしょう? 色々と…見るのも、聞くのも」


「あ…うん。でも、僕より、その…アウィス…さん?のほうが…」


「ふふ、アウィスで良いですよ。それに、貴方様は私達をどう扱っても構わないのです。私達宝珠は人間ではなく――ルシェード様の所有品に過ぎないのですから。…ま、私に限ってはですね、心痛も気にしないで大丈夫です。ちょっとね……まあ、後で判りますから。その時は、憎むと良いです」


さらりと言ったアウィスは、フィンの怪訝な眼差しに対して何も答えなかった。

手を後ろに回して、慣れた手つきで長い髪を編んでゆく。


「髪も毎回下ろせ、ですよ? 件の時以外は編んで良いって言ってくれたんですけど、全く…その時こそ編みたいですって。たまに髪の毛食べそうになってしまうんですよ」


ぷくー、と頬を膨らませるアウィスが可笑しくて、フィンはつい笑ってしまう。

淡い金髪が、ふわりと揺れた。


「…髪の毛は…口に入ると面倒くさいよな」


「ええ、ほんとです。たまに咳き込むし」


「御愁傷様で…」


「有り難う。これ、なかなかわかってもらえないんですよー」


あはは、と明るく笑うアウィスに、フィンの罪悪感は、ほんの少しだけ和らぐ。


(不思議なお兄さんだ…)


「――ああ、良かった。君は、まだ笑えるね」


ふと真顔になり、素早く言ったアウィスの瞳は、氷のように澄んで…。


「え? 何のこと?」


「いえ――何でも」


ゆっくりと瞳を閉じたアウィスは、フィンには一切手を触れず、芯のある声音で一言を伝えた。


「早々に逃げなさい」


……その言葉が、何を意味するのか知らなかった。


知った時には、フィンの生家である貴族の邸宅は事実上アウィスの手中にあり、権利書を含む全ての財産が、ルシェード家から失われていた。


祖父は何者かに病死に見せかけ殺められ、まだ『生気のあった』宝珠たちは、邸宅から離れた療養所に匿われ。

祖父に代わって家長となるのはアウィスかと思われたが、アウィスはフィンの父を名目上の家長とし、領地の扱いや実際の権限のみを持つに留まった。


本来ならば、フィンは、アウィスを憎んでいたはずだ。


しかし、フィンにとってフィンの生家はあまり居心地の良いものではなかった。

裏では名の知れた少年愛者の祖父が手を出したのは、祖父お抱えの宝珠だけではなく――

フィンも数度、その役目を請け負ったのだ。


祖父に逆らうことができなかったフィンを、フィンの父も母も、見て見ぬふりをしていた。

『何も起きなかった、夢を見たのだ』と、何度もフィンに言い聞かせた。


だからだろうか。

フィンの生きる小さな世界を塗り替えてくれた空色の宝珠は、ルシェード家の敵ではあっても、フィンの敵にはなり得なかったんだ。


――いつしか似た夢を抱いて、気付けば、同じ学府で教鞭を握っていた。


領民からの搾取の激しかった貴族領各地を自らの学府領へと塗り替え、揺るがぬ総合学府の基盤としたアウィス。

彼は、自らの名にとある言語の『駅』という名を加え、いつでも旅立ちいつでも帰れるホームとして、エスタシオンと名乗った。

やがて学府の名前にそれが付加されたのには面食らっていたが、フィンの仕業と知ると、フィンを学部長から副学長へと引っ張り上げた。


何をしでかすかわからない破天荒な学長と一見冷静な副学長は、学府の機密を握る人物として怖れられ、幾度となく命を狙われたが…


そう。

いつだって、あいつが…

アウィス…シオンが勝手に片付けていた。


暇だったから、と。






(馬鹿だな…)


フィンは微睡みの中で、空色の髪に手を伸ばす。


(私は、あいつを守ったことがあっただろうか…?)


――空色は、ふわりと消えてしまった。

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