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わたしの親友




 十二歳のとき、飴色のバラ咲く秘密の花園で、親友だと思っていた彼女の裏切りを見た。


『ビビには内緒よ』

『ふたりだけの秘密ね』


 そう言ってくすくす笑いながら生け垣の隅にしゃがみこんでいる彼女たちを、バルバラは血の気の引く思いで見つめていた。


 ──あなたはわたしの親友でしょう!?


 このあとバルバラは彼女を屋敷に引き留め、何日も何日も側から離さなかった。帰りたがる彼女を「わたしたち、親友でしょう?」という言葉で縛りつけて、ずっと一緒にいた。

 けれどもバルバラがちょっと目を離したすきに、彼女は執事の手によって自分の家へと帰っていってしまう。残された置き手紙には「また遊びに来るわ」と書いてあったが、バルバラはそれを破り捨て、必死で執事を罵った。


「どうして勝手に帰してしまったの! あの子はわたしの親友なのに!」


 執事が途中で口を挟むことはなかったけれど、最後の最後になって一言こう言った。


「あの方はあなただけのものではありません」


 衝撃的だった。

 好きなものをずっと側に置きたいと願うことが、まるで罪だとでも言うように執事はバルバラを冷めた目で見下ろしていた。

 このときバルバラは、あの子ではだめなのだ、と思った。すでに人のものである彼女は、今さらバルバラを選んではくれない。ならばあんな情の薄い女など、親友と呼ぶ必要はないだろう。どこぞの田舎娘と秘密でも何でも勝手に作ればいい。


 バルバラは両親から友人を引き留め続けたわがままの罰として、数ヶ月修道院で心を清めるよう言い渡された。朝日と共に目覚め、日が暮れるまで神の教えを学び、掃除や洗濯をする日々は、意外と苦ではない。けれどもこの期間、両親からの手紙が一通もこなかったことが、何よりつらかった。同時に腹立たしくもあった。

 もしも神が直接バルバラに語りかけてくれることがあったのなら、バルバラは望んで修道女になっただろう。しかしそれもなく、行き場のない苛立ちをもて余したまま修道院を出る日がやってきた。


 帰りの馬車の中でバルバラは考える。元親友を屋敷に留め置いたとき、何を間違えたのだろう。何がまずくて、執事に軽蔑され、両親に見放されることになったのか。

 執事はバルバラに言った。あの方はあなただけのものではありません、と。ならば最初から誰のものでもないものを選べばよかったというのだろうか。だがそれは無理というものだ。

 何しろ人は母の腹から生まれる。家族がいるなら、その人は家族のものだし、嫁に行けば夫のものとなるのだろう。昔は路上にたむろす浮浪者がいたらしいが、最近はそういう人々を男女関係なく徴兵対象にするからめっきり家無しの人を見かけなくなった。奴隷制度も今や大昔の話であるし、一生側にに置いておけるとすれば……──知能の低い小動物か、人間でない獣人くらいだ。


「そうか。いいじゃない、獣人」


 今世紀最大の大発明を目撃したみたいに、バルバラは高揚した。戦に破れて捕まった獣人は、薬によって牙を抜かれる。言葉も話せなくなるし、思考能力も下がるというから、単純な労働力として買い取りたがる事業主も多かった。


 これしかない、とバルバラは思った。獣人ならずっとそばに置いておけるはずだ。きっとそうだ。ならば、どんな売れ残りでも手に入れたい。

 屋敷へ向かう馬車を市場へ向かわせて、気が急くままに広場へ飛び出す。追いかけてくる従者なんて無視をして、うざったいドレスは思い切り蹴っ飛ばして走った。


「おじさま、獣人がどこにいるかご存じ?」


 陶器売りのテントの下で、白い髭の老翁が首を捻った。


「はてなぁ。ここ数ヶ月は見とらんですが」

「なぜ? ひとりもいないの?」

「市場の端の方へ行けば、あるいは……。しかし最近は獣人も容赦がない、さきの戦では三つの砦を一夜のうちに奪ったそうで。敗残兵がいなけりゃ獣人が市場に並ぶ機会も減るってもんですよ」


 市場で売り出される獣人の多くは戦に破れて逃げているところを捕まえた個体で、たいていどこかしらを怪我しているものだ。それを治すも治さないも買い主次第で、血の気の多い獣人をあえて失血気味にさせておくことで闘争心を萎えさせる者がいるという。もちろんある程度放置しても、元の身体能力が高い獣人たちは勝手に自己回復するので、わざと傷をつけ直す鬼畜な買い主もいるらしい。さすがにそれは非人道的だとバルバラは思ったが、相手を支配するというただ一点においては有効な手段でもある気がした。



 朝早くに修道院を出てきたので、市場は騒々しいほどの午前の賑わいをみせている。ゆっくりと空の天辺に昇っていく太陽が、その道すがら恋い焦がれる乙女のように強い眼差しを地上に投げかけていた。

 路地を彩る白いテントが人々の頭上に手を広げて、はた迷惑な熱光線から守ってくれている。けれども市場に用のない人まで日除けがわりにテントの張られた露店通りを使うから、あっちもこっちも人いきれで暑苦しい。パニエを着込んだドレスは幅を取るし、すれ違い様に裾を踏まれてもひとりで転ぶことができなかった。前を歩く人の背中に倒れ込んで、雪崩のように人の波が乱れてしまうのだ。


 けれどついにバルバラは見つけた。市場の端の端、一番関所に近い場所に忘れ去られた物見小屋があった。


「おねえさま。そちらの獣人、譲ってくださらない?」


 二メートル越えのみどりの巨身が、檻の中で手足を投げ出して座っている。鋭い爪を生やした五本の指は何か汚いものでもさわったのか茶色だ。先端にいくほど細くなる雄々しいしっぽが、力なく地を這い、ハエを追い払っていた。

 からっぽの獣人小屋を掃除していた二十代くらいの娘が、ずり落ちた頭巾を直しながらバルバラを振り返る。


「ああ……華族のお姫さん。すごいタイミングですね、噂でも聞いてきたんですか?」

「そういうわけではないわ。今日は何かあるの?」

「ええまあ、そこの獣人ですがね、市場にようやく出せる日だったんですよ。ほら、こいつってばご覧の通りのリザードマンでしょ。珍しいのは珍しいですけどね。本当にこれをお買い上げなさるんですか」


 彼女がそばかすの浮いた鼻にシワを寄せるものだから、バルバラは首をかしげた。


「だって他にいないわ」

「もう少ししたら北西のほうの戦が終わりますから、それを待つのも手ですよ。ほら、若い女の方はふわふわの獣人がお好きでしょ? 男の方だって、こんな青のろの生えたみたいな爬虫類は好かないんですってよ」


 確かに、隆起した肌のさわり心地は悪そうだし、尾にはトゲさえ生えている。面長の頭にも短い角があって、犬のように大きく開くはずの口から牙こそ見えないが人の頭を丸飲みすることはできそうだ。


「しかもこいつは捕まえるときにたいそう暴れたもんで、狩人たちの苦労といったら骨を折るだけじゃ済みませんでしたよって。今はまあだいぶ長いこと薬漬けにしましたんで牙もないし、おとなしいもんですけどね、何しろ売り出すまでに時間も費用も掛けすぎなんですよ」

「つまり何がおっしゃりたいの?」


 娘は汚水の垂れるモップを指先でもてあそびながら、ちろりと上目遣いにバルバラを見やった。


「加工費ってんですか? 原料がそのまま売れないときにゃ、そういうのがやたら掛かる。要するにね、お姫さん。こいつは捕まえるのに苦労したわりに高くて高くて売れねえって話ですよ。こっちも、どうせ売れないなら安くしちまえって思うんですけどねえ、狩人だって調教師だってそれじゃ納得するわけがない。何しろ売り上げが立たなきゃ、あの人らにまで回る金がなくなるってんですから」


 アタシみたいなのはただ物を流すだけだから商会の給金で生きていけますけどね、と鼻で笑ってから、彼女はみどりの獣人がいくらするのかを告げた。


「まあ、大工屋なんかはこいつの売り出しに気付いて、しばらくすりゃ買いにくるでしょう。あそこは力さえありゃ見た目は気にしないですからね。お姫さん、どうします? べつに情けをかけていただかなくともこいつはそのうち買い手がつきますよ」

「いいえ、わたしが買うわ。いつ、どんな獣人が入ってくるのかわからずに待つより、わたしはなんでもいいからさっさと連れて帰りたいの」

「そうですか? ならこちらの誓約書にサインを。ここに書いちまったら、例えご両親が返してこいっておっしゃったって契約は破棄できませんよ? ホントにいいんですか?」


 どうやら彼女は、華族とごたごたするのが嫌みたいだ。そのあいだに他の買い手を失うかもしれないからだろう。高額で見目の武骨なこの獣人を買おうという種類の人間は限られている。


 だがバルバラはサインした。このことによって両親から見向きもされなくなったとして、それで何が困るのかというと嫁の行き先を見つけてもらえなくなるくらいだ。勘当はきっとされない。両親も執事たちも、ごく稀にみる、とても愛情深く常識的な大人たちだから。そんな人たちの元で、常識外れのバルバラが育ってしまったことは地べたに這いつくばって謝罪すべきことなのかもしれない。バルバラはあの屋敷の異物だ。


 サインを終えて、獣人に飲ませる薬の説明を受けているところでバルバラの従者がようやく追い付いてきた。そしてみどりの獣人を見るや化け物を見たように度肝を抜いて「お嬢様、これだけはどうかご勘弁を!」と叫んだが、そのすっとんきょうな声がおかしかったので許してやった。


「旦那さまと奥さまがお知りになったら、今度は修道院では済みませんよ!」

「そんなことはされないわよ。だって華族はだいたい獣人を買ってるじゃないの。うちくらいよ、ひとりもいないのは」

「それは旦那さま方が獣人との和平を望んでいるからです! ねえお嬢様、花猫にいたしましょう? レディにふさわしい小動物ならわたくしめが見繕ってまいりますから!」

「あらだめよ、小動物はご挨拶しないもの」

「芸を仕込めばよろしいではないですか!」

「そんなのは嫌よ。ちゃんとおしゃべりしなきゃ意味がないわ」

「獣人だってしゃべりませんよ!?」

「薬を減らせばおしゃべりくらいできるようになるわ」

「正気ですか!?」


 売り子の娘が、いわんこっちゃない、と言いたげに眉をひそめてバルバラと従者の押し問答を聞いていた。こほん、と咳払いして、バルバラはサインした羊皮紙を彼女に押し付ける。


「とにかく契約は成立してしまったの。これでもうわたしたちはお金を払うしかないし、あの獣人と一緒に屋敷へ帰るしかなくなったってわけよ」

「ああぁぁ……旦那さまに殺されてしまう……」


 従者は針の山を歩かされているみたいな青い顔をして町の役所へ駆けていった。しばらくして戻ってきた従者の手にはバルバラの望み通り金貨の入った小袋がある。華族の財産はこれっぽっちの出費で揺らぐほどチンケではない。


「はあ、まあ契約通りきっちり精算していただいたんで、アタシはかまいませんが。お姫さん、返品は受け付けますけど、お金は返せませんよ? そういう決まりですから」


 獣人を手に負えなくなって商会に返品することは認められるが、そのとき支払い額の一部たりとも返ってくることはない。それは商会の儲けを確保し、運営していくのに必要なことだという。だから人は獣人を転売するし、不要なら殺してしまうことだってある。でも、市場に出回る獣人はそんなに多くはない。そもそも彼らは高額なのだ。殺さないように大事に扱う事業主のほうが多いのは自然なことだ。

 加えて人の見た目に近いものにほど人間は情がわきやすいらしい。薬を減らし、まるで友のように共存する例もあると聞いた。


「薬を減らすあいだは危ないですからね、それで殺されちまってもうちでは文句も聞けませんし。暴れそうになったらこれを投げるといいですよ」


 娘に泥団子のような小粒の丸薬を渡され、しげしげと眺める。これを鼻面に投げつけると、嗅覚の鋭い獣人たちはおおむね昏倒するという。刺激の強い薬草や果物の汁が混ぜこんであるらしい。


「一回試してみます? ほれ」

「あっ、だめよ!」


 伸ばした手が空を切り、もともとぐったりしていたみどりの獣人の横面に丸薬が投げつけられた。獣人は短く叫ぶと、鼻をこするようなしぐさをしてから完全に地面に伏してしまう。

 従者がすっかり縮み上がって、やっぱり獣人はやめましょうよぉと震え声で言った。獣人の声は人間とはまったく違う、ざらざらとした超低音だった。おそろしいと感じるのも無理はない。


 しかしバルバラは、怯える従者を横目に、言い知れない高揚を感じている。


「これよ……みんなに嫌われてしまうなら、わたしが独り占めしていたって誰も文句は言わないわ」


 バルバラはみどりの獣人を今すぐに屋敷へ運びたいのだと娘に訴え、そのようにさせた。




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