背中=確認
家に帰るなり恋人を押し倒した。
「おい、ちょっと待て」
「嫌」
焦った顔で彼女の凶行を止めようとする彼の言葉を一刀両断し、彼女は彼が身に纏っている服を剥ぎ取ろうと手を伸ばす。
たまたま思いついた意趣返し。
自分をいいようにする彼が腹立たしくて、仕返ししてやろうと思った。自分と同じ気持ちを味わって、日頃の行いをちょっとは反省したらいいと思う。
昼間からになるのはアレだが……まあ、思いついたのがついさっきなのだから仕方ない。
「…………」
服を脱がせるなんてたいしたことないだろう。
いつもされていることだから、経験のない彼女にだってできると高を括っていた。
するのとされるのは大違いだと気づくのに、そう時間はかからない。
「…………」
「…………」
――無言の攻防の結果。
騎士団の制服はこんなときにもその高い防御力を発揮するらしいとわかった。
「くっ……くくっ」
釦を外したまではいいものの、彼の重い身体に張り付いた服は全然脱がせられなくて。彼女の行動を黙って見つめていた彼は、とうとう忍び笑いを漏らした。
声を大にして笑わないのは彼女への配慮か。しかし、もしもそうなら見当違いだと言わざるを得ない。本当に配慮するならまず笑わないでいるべきだ。
「~~~っ、何、笑ってるのよ!」
彼女は子供扱いと馬鹿にされるのが大嫌いだった。
「……すまん」
笑い含みに謝られても苛立ちは募るばかり。
彼女は最終手段とばかりに大腿のベルトから愛用の短剣を抜き去った。
抜群に切れ味のいい短剣は彼の無駄に分厚い服をいとも容易く切り裂いていく。先程まで彼の団服を脱がすのに苦労していたのが嘘のようだ。初めからこうしていれば良かったと思わずにはいられない。
「っ、おい……っ!」
やっと焦った顔が見られた。
今度は彼女がにんまりと笑う。気まぐれで怒りっぽい猫のような彼女が浮かべた笑みに、彼は身体から力を抜いた。猫がすることなど意に介さないということか。
彼のその余裕の態度が彼女には気に食わない。
「お前、昼間からは嫌だって言ってなかったか?」
「私がする分にはいいの!」
「――お前は、本当に…………はあぁ」
その口調には隠しきれない呆れが滲んでいる。腹が立つほど盛大な溜め息をひとつ漏らして、彼は大きな手のひらで自分の顔を覆った。
顔を隠したって無駄だ。
彼がどんな表情をしているのかくらい彼女にはわかる。
――きっと、心底呆れた顔をしているのだろう。
嫌われてしまっただろうか。
いや、別に彼女は彼に嫌われたって構わないのだけれど。
「嫌いに、なった?」
問いかけずにはいられなかった。
無様に声が震えていて、意味もなく“そうじゃない”と叫び出したくなる。彼の瞳に映っている自分を見たくなくて、咄嗟に目を瞑った。
「馬鹿だな」
ぽんと頭に手を置かれる。
子供扱いされるのは嫌いなのに、馬鹿にされるのは大嫌いなのに、不思議と怒りは湧いてこなかった。
「俺がお前を嫌うはずがない。嫌いになんて、なれないよ」
その言葉に湧き上がってきた感情は彼女にとって嬉しくないものだったから、表情を隠すために目の前にあった彼の胸に顔を埋める。
残骸と化した服はもうその役目を果たしていなくて、彼は上半身裸の状態だ。傍目から見れば、彼女が彼を襲っているようにしか見えない。いや、この場合はその認識で正しいのか。
彼の素肌に触れて、彼の匂いがする――と思ったところで、照れ隠しに彼女は彼の胸に頭突きを喰らわせた。
そして、突然の痛みに呻く彼を無視してぽつりと呟く。
「背中、見せて」
余裕ぶる彼には苛立つけれど、彼女の我儘に“仕方ないな”と苦笑して応えてくれる彼は嫌いじゃない。
◇◇◇
「これでいいのか?」
もはや何をどうしようもない団服をその辺に放り捨てて、彼は彼女に背を向ける。
彼の身体には大小問わず様々な傷が残っていることを彼女は知っていた。
けれど、背中にはたった一つの傷しかない。そう、“あのとき”――彼の背に庇われたときに、彼女がつけた大きな傷痕だけ。
その意味を、騎士ではない彼女は知らない。
ただ、唯一、彼の背に傷を残したのが自分だということを思って満足した。
「痕、残ってる」
「ん? ……まあ、結構な深手だったからな」
「………………」
彼は、変なやつだ。
騎士団長のくせに彼女に自分の暗殺を依頼してきたばかりか、情が湧いて殺せなくなったと告げた彼女に、自分も好きだから恋人になろうなどと宣った。これからは二人で生きようと。
任務に失敗した暗殺者は組織を追われる。だから、彼女には“これから”などないと、暗殺者と騎士団長が結ばれるなんてあり得ないと答えたら、次の日には彼女が属していた組織が壊滅していた。
彼女を縛っていたものは全てそのときに消え、なぜか彼女は変なやつと恋人になっている。
自業自得とはいえ、自分に大怪我を負わせた相手と恋人になるなんて正気の沙汰じゃない。
そう思うのに、彼の背に刻まれた痕が――彼女がつけた傷痕が愛しいなんて、彼女自身も相当にやられているらしい。
「なんで嬉しそうなのよ」
「いや、これはお前がつけた傷だからな。愛の証みたいなものだろう?」
なぜか誇らしげに言う彼は確実に、彼女以上に頭がいかれている。
「っ、……馬鹿じゃないの?」
行為のときに喜々として彼女の身体に痕をつける彼を冷めた目で見ていたはずなのに、これからはそうも言っていられないだろう。
痕をつける気持ちがわかってしまったから。
「私以外のやつに痕をつけられたら許さないから」
「当たり前だろう」
「背中だけじゃないからね」
「……善処する」
“俺は騎士なんだがな”というぼやく彼の背中には、自分が残した唯一の傷痕。
彼曰く愛の証であるそれに、彼女はそっと唇を寄せた。唇が触れた瞬間、彼女が何をしているかわかったらしい彼の肩がびくりと震える。
慰撫するように優しく口づけて――やっぱり違うと噛みついた。
「っっっ!!!」
「あれ、傷、治ったんじゃなかったっけ? まだ痛い?」
「傷はとっくに治ってるが……お前、思いっきり噛んだな?」
「ふふん、油断大敵よ」
「なんで恋人相手に油断できないんだ……」
とかなんとか、ぶつぶつ言っている彼の背に抱きつく。
ご機嫌取りというわけではないが、まあちょっとくらい優しくしてあげてもいいかなと思ったのだ。
「――お前は、本当に……」
また溜め息でも吐くのだろうかと思っていると、いつの間にか天井が見えた。
不覚にも、あっという間に体勢を入れ替えられたらしい。暗殺者失格だ。いや、もう彼女は暗殺者を廃業しているのだけれど。
「お前は可愛いな」
続く言葉は彼女への呆れを示すものではなかった。
囁きとともに口づけようと彼の唇が降りてくる。それと同時に、不埒な指が彼女の衣服を寛げるのがわかった。
「昼間からは嫌って言ってるでしょ!」
そう言って、無防備な彼の鳩尾に一発決める。
この状況で恋人から攻撃されるとは予想だにしていなかったのか、いつも彼女の攻撃を受け流す彼にしては珍しくまともに喰らってしまったようだ。彼は“お前が先にやったんだろうが”と彼女の行いに文句をつける。先にやったとは……押し倒して服を脱がせたことだろう。
そんな彼を、彼女は鼻で笑ってやった。
確かにはじめは意趣返しのつもりで襲ったが、もう彼女にそんな気はない。
ただ、彼の背中を見たかっただけだ。
自分が残した痕を、この目で見たかっただけだ。
「ただ確認したかっただけよ」
彼が彼女のものであることを。
そして――彼女が彼のものであることを、ただ確認したかっただけ。
タイトル「ただ確認したかっただけ」
作者:雨柚




