胸=所有
ヤルことヤッたら用は済んだとばかりに煙草へと手を伸ばす男を見て、どうしてこんな最低な男を好きになったのだろうと何度目かもわからない疑問が頭を過ぎる。
ろくでもない男だ。
良いのは顔と身体だけ。
かなりの収入があることはその身なりの良さから窺えるが、職業は不明。間違ってもサラリーマンや公務員なんていう真っ当な職に就いている様子はない。年齢不明。住所も不明。趣味や家族構成も以下同文。
この男について彼女が知っているのは本名かどうかもわからない名前と、携帯電話の番号だけだ。
「なんだ?」
「え?」
「ずいぶん熱い視線を向けるじゃないか。物足りなかったか?」
「まさか。じゅーぶん堪能させてもらったわ」
「どうだか」
その言葉とは裏腹に口の端を歪めて笑う男は、不安や劣等感など持ち合わせていないに違いない。腹立たしいかぎりである。たまに、この一度も女に不自由したことがないと言わんばかりの顔を思いっきり引っ叩いてやりたい衝動に駆られるが、未だ実行に移したことはない。
煙草を燻らす男に手持無沙汰でなんとなく近づけば、当たり前のように腰を抱き寄せられる。ひどく手慣れた仕草からは男の女性関係が透けて見えた。
この男の、たった一人になりたいと思ってしまえば苦しむことはわかっている。
会うのはいつもホテルで、うち八割はベッドの上にいる。残りの二割もバスルームやソファーなど場所が違うだけですることは一緒だ。
恋人ではない。
むしろ、セフレですらないと思う。言うならば、肉体関係のある他人だ。そんな関係を二年も続けているのだから自分もたいがいろくでなしなのかもしれない。
ふっと視線を感じ顔を上げると、自分をじっと見つめる男と目が合った。微かな沈黙のあと、男がゆっくりと顔を近づけてくる。
お互いの吐息が感じられる距離。
「……っ!」
湧き上がった想いを払い除けるように、気づけば両手で突っぱねていた。
「どうした?」
男の意外そうな顔に自分の失敗を悟る。
本当に“どうした”だ。いまさら、ただのキスを拒むなんて。
それでも、いま唇を合わせたら、どうしようもない想いが溢れ出してしまいそうで。伝える気のない言葉が口をついて出そうで……怖かった。とっさに自分の中にとどめたそれは、この関係を終わらせるものだとわかっているから。
「……私からさせて」
先程のことを誤魔化すように嫣然と微笑んでみせる。
男は何も言わない。
こちらの真意を探るような目に耐えられず、右手で男の視界を奪う。素直に目を閉じた男にほっとして、その手をゆっくりと滑らせた。
頬へ、首へ、胸へ。
右手から男の鼓動が伝わってくる。
何かトレーニングでもしているのだろう柔らかさなんて欠片もない引き締まった胸。その胸の、ちょうど心臓の真上となる場所へと口づけを落とす。
男の――こころがある場所へ。
一度目は触れるだけ。
二度目は強く痕を残すように。
三度目は、伝えられない想いを込めて。
「そこは唇じゃないんだがな」
左胸にできた内出血を見ながら、男は不満気な声を漏らす。
背中の爪痕は許しても、キスマークをつけられるのは嫌らしい。
「煙草臭いキスなんてゴメンだもの」
「禁煙でもしろって?」
「できないくせに」
きっと、ヘビースモーカーな男が禁煙をするのはすべての女と手を切るよりも難しいだろう。だから彼女は次もキスを拒む。男の胸に所有の印を刻むために。……たとえ、その想いが男の心まで届かなくても。
タイトル「たとえ心まで届かなくても」
作者:吉遊




