喉=欲求
高い、高い塔の上――それは、まるで悪い魔法使いに囚われたお姫様のようだった。
内側からは決して開けられない扉。
たった一つの窓には鉄格子。
足枷の鎖は長く、そして強固だ。
私はここから逃げられない。
何より彼が逃がしてくれない。
窓硝子には私の顔が映り込んでいる。
凡庸な容姿だ。縛りつけるほどの魅力が自分にあるとは到底思えない。美貌の男の隣に立つには不釣り合いな女だと自分でも思う。彼の目にはそうは映っていないようだが。
毎日、毎日、毎日、私は窓に自分の顔を映す。
自分の顔が絶望に染まっていないことを確認するために。
自分の瞳が彼と同じ色を宿していないことを確かめるために。
――大丈夫。私はまだ大丈夫。
もう何度目になるのかもわからない呟きを心に落として、隣で眠る男に目をやった。
「おはようございます。もう起きていたのですか?」
彼は緩く微笑みながら身体を起こす。そして、私に触れようと手を伸ばして――何かに気づいたようにハッとして苦しげな表情で手を引っ込めた。
それは、今目覚めたというには不自然な動きだ。寝起きの悪い男となればなおのこと。けれど、私の視線に気づいて起きたのか、もともと狸寝入りだったのかは判然としない。
わからないのは、それだけじゃない。
ここに私を閉じ込め続ける彼の考えも読めない。ずっとこんな状態を続けられるはずもないのに、求めているのに奪い続けてとっくに絶望してしまっているくせに――救いのない現在を守ろうとする彼がわからない。
もう、私には彼のことがわからなかった。
――でも、あなたが諦めても私は諦めてない。
私が決意を新たに見つめると、彼はそれをどう捉えたのかわずかに口角を上げた。まるで優しげに微笑んでいるようにも見えるが、目は笑っていない。
「起こしてくださって良かったのに。こんなに朝早くから……何を、考えていたんです?」
抵抗する気を根こそぎ奪っていくような声。
彼は私が抵抗する気なんてないことを知らない。知ろうともしない。
その証拠に、彼は私から声を奪った。
「首を振っていてはわかりませんよ。ああ、困りましたね。こういうとき、あなたから声を奪ってしまったことを後悔します」
くすくすと笑う彼の言葉に後悔など微塵も感じられない。
そして、それはおそらく正しい。
「愛していますよ」
――私も。
そう答えるだけで、その一言で、この絶望的な関係が救われるとわかっているのに。
「う、あ…………っ」
私の喉からは言葉にならない獣のような呻きが漏れるだけ。
「駄目ですよ、無理に声を出そうとしては。また血を吐いてしまいます」
血を吐いたっていい。
言葉がほしい。
彼を救うたった一つの言葉が。
私を閉じ込めて手に入れたような気になって。十分に幸福だと嘯きながら満たされない心を抱いて。本当は愛を求めているくせに拒絶に脅えて。
そんな彼を救うための言葉を、私は何より欲している。この身の自由より、もう随分と会っていない家族や友人たちより、この世の何より彼を。
「……あ……ぐ」
文字を知らない私には想いを伝える術が一つしかない。
だから、魔法で封じられているとわかっていても声を――言葉を紡ぐことを諦められない。
「愛していますよ。だから、答えはいりません」
嘘だ。
嘘だ、嘘だ、嘘だ。
本当だと言うなら、なぜそんな顔をしている。苦しそうに、悲しそうに、諦めたように。答えを求めているから絶望しているのではないのか。
期待することを止められないくせに、心を偽るから濁っていくのだと本人だけが気づかない。
「な……っ!?」
堪らなくなって、どうにかしたくて、彼の喉に唇を寄せた。
彼が私に魔法をかけたときのように。私から初めて声を奪ったときのように。
噛みつくような勢いで、ありったけの想いを乗せて喉に口づけた。
私に声を返して。
あなたを救わせて。
私も愛してるから。
――どうか、伝わって。
「あなたは……私を嫌っているはずだ」
必死に首を横に振る。
少しでも気持ちを伝えたくて、声にできない分まで届けと言わんばかりに。
「嫌っていなくとも、決して好きではないはず。愛なんて望みようもない」
声にできない愛は伝わらない。
想いが伝わらないことが、ただ悲しかった。
「ああ……泣かないでください。私はあなたの涙には弱いのです」
ひどく優しい仕草で目尻を拭われる。指先を濡らす雫に彼は困ったような顔をして、強く目を瞑った。
自分勝手で、どうしようもなく臆病な彼。
「声は戻しません。……絶対に」
こうして、喉から漏れ出た愛の言葉は声にならずに虚空に飲まれた。
でも、それでも。私は諦めない。
――彼が諦めてしまったものを、いつか救い出すために。
タイトル「この愛を絶望では終わらせない」
作者:雨柚




