脛=服従
少女は焦っていた。
王宮奴隷の仕事は多く、その中でもとくに要領の悪い少女に自由になる時間なんてほとんどない。それなのに今、少女は仕事を放り出して裏庭で靴を探している。少女がいつも履いているボロボロの靴を。
まだ任された仕事は終わっていない。早く見つけて持ち場に戻らなければ、奴隷に厳しいと評判の監督官に食事を抜かれてしまう。
「どこにあるんだろう……」
そう呟きながら茂みの中を探る。
ついさっきまで必死で靴を探す少女を見ながらニヤニヤと笑っていた他の奴隷たちも、すでに飽きてしまったようでこの場にいない。靴を隠したのが彼らだと少女にもわかっていたが、それを問い詰めることはできなかった。もっとも、問い詰めたとしても彼らが靴の隠し場所を素直に話すとは思えないが。
いじめられるのはいつものこと。
それが辛いなんて言う権利は少女にない。少女は自分が他の奴隷からいじめられる理由を知っている。
少女は恵まれているのだ。“あの人”から特別扱いを受けている。そんな少女がいじめられるのは当然のことで、同じ奴隷のくせにと謗られても、持ち物を隠されても、それを理由に少女が彼らを恨むことはない。きっとこれからもないだろう。
「何をしている」
靴を探してガサガサと茂みを揺らしていた少女の背に声がかかる。
低く威厳に満ちた声だ。こんな声の持ち主を少女は一人しか知らない。
「っ、陛下!」
この国の王様で、少女にとっては雲の上の存在。
何も持たない奴隷の少女とは反対に、彼は全てを持っている。
声をかけることは許されず、声をかけられることなんて有り得ない――はずだった。
「ラピヌよ、いつからお前は野生になった?」
王は少女の足元を見て片眉を上げた。
一瞬、言葉の意味を図りかねたが、おそらく靴を履いていないことを揶揄したのだろう。彼の物言いはわかりにくいことがある。少女に教養がないからかもしれない。
彼の興をそぐような真似はできないと、少女は精一杯頭を働かせて言葉を返す。
「野生とは異なことを。私は生まれてから死ぬまで陛下の兎です」
王は少女を兎と呼ぶ。
初めて会ったときからそう呼ばれているからもうすっかり慣れてしまった。自分の名のように感じることすらある。奴隷である少女の名前はただの記号で、数字でしかないから、戯れにでも王にラピヌと呼ばれるのは嬉しい。
「そうか」
少女の言葉に、王は破顔した。
「では、余の兎よ――おいで、足を洗ってやろう」
「……っ!?」
予想だにしなかった台詞に少女の思考が止まる。
驚き混乱した頭のまま、思わず後ずさった。
「逃げるな」
命令することに慣れた王の言葉は、逃げるという選択肢を容易く奪う。もとより、彼に背を向けて逃げることなどできようはずもないのだけれど。
その場に固まってしまった少女にひとつ苦笑を漏らして、王は一歩また一歩と近づく。
距離が、近い。
少し動けば触れてしまいそうな距離は奴隷と国王という関係に相応しからぬものだ。
それをもっとと望むのは罪に違いない。
「へ、陛下」
声が裏返る。恥ずかしさに少女の頬が赤く染まった。
「なんだ」
「陛下の兎は、陛下の御手を煩わせることを望みません」
「そうか」
「足くらい自分で洗えます!」
伸ばされた手に焦って素で訴えた少女に王はくつくつと笑う。
その笑みがあまりに自然で、楽しそうで、少女は言葉を失った。彼は確かに王なのに、王には見えない表情で笑う。それは滅多にないことで、だからこそ見惚れてしまうほどに美しかった。
「いくらラピヌでも余の手を拒むことは許さんぞ」
そう言われてしまえば少女にできることは何もない。
少女は自分に触れてくる手を素直に受け入れた。
王はそれに満足したように頷いて少女を抱き上げる。そして、硬直する少女をそのままに城の方へと歩き出した。
おそらく鍛えているのだろう。少女一人わけないというくらいしっかりとした足取りだ。
「へ、陛下っ、降ろしてください! 誰かに見られたら……っ!」
こんなところを誰かに見られたら彼の立場が揺らいでしまう。いや、その程度で傾く王の地位ではないだろうが、それでも彼の品位を下げてしまうかもしれない。
少女は泣きたくなった。自分のせいで王が傷つくことになったらどうすればいいのか、と。
「心配するな、人払いは済ませてある」
「でも……っ」
「それに、お前は靴を履いていないだろう? 裸足で歩けば足が傷つく。大人しく余に運ばれるが良い」
抱き上げられた格好のまま優しく微笑みかけられて、顔に熱が集中するのを感じた。間近にある王の顔を直視できなくて俯く。
王が奴隷の足なんて気にしてはいけないのに、気遣ってもらえたことが嬉しくて仕方なかった。
「ラピヌよ、お前は軽いな。兎にしても軽すぎるのではないか?」
「い、いえ……」
「ちゃんと食事は摂っているのか? ……ふむ。今度、余が手ずから食わせてやろう」
「陛下!」
「ははは、お前の鳴き声は愛らしいな。いつまでも聞いていたいくらいだ」
朗らかに笑う王はいつになく機嫌がいい。
その後、少女は上機嫌の王によって彼の寝室まで運ばれた。
◇◇◇
王が用意させた湯に足を浸ける。
少し熱めの湯は少女の身体の強張りをとくには十分だった。
「気持ち良いのか?」
王は少女の様子を興味深げに見ている。
小さな桶一杯の湯で幸せそうな顔をする少女が不思議なのかもしれない。綺麗な水すら貴重に思える少女とは違い、彼にとっては清潔な水が当たり前で、こんな桶どころか大きな風呂に毎日入浴できる身分なのだ。少女がこんなことで喜ぶ理由がわからないのだろう。
少女がそんなことを考えていると、王は何を思ったのか少女の足元に膝をついた。
それに仰天した少女が咄嗟に足を動かしてしまったせいで桶の湯が跳ねる。
「こら、暴れるな」
「へ、へ、へへへ、陛下、いったい何を……っ」
「うん? 余の兎の足を洗ってやろうと思っただけだが?」
何かおかしいかと尋ねてくる王に、少女は二の句が継げない。
彼は少女が何を言いたいかわかっていて言っている。そうとわかるから、次の言葉が見つからなかった。
「傷だらけ、だな」
そう言って、王は少女の足に指を滑らせた。
足に大きな怪我をした覚えはないので、裏庭の石で細かな傷がついたのだろう。痛みもないから気にしていなかった。
「――許せないな」
ひやりとした声音はまるで研ぎ澄まされた刃のようだ。
それは決して少女を傷つけず、少女を守り、少女を害するものを排除する。まるで立場が逆だ。王は彼の方だというのに、彼はお姫様を守る騎士のようにただの奴隷に傅く。
「お前を傷つけた者には罰を与えるか」
その言葉で、少女は王が靴の件を知っていることを悟った。
「……裏庭の小石を罰していてはきりがないでしょう。陛下の御心だけ、ありがたく頂戴します」
「お前がそう言うのなら、余は小石を見過ごそう」
それを聞いて少女はやっと緊張を解く。
そうしてから、自分がひどく緊張していたことに気づいた。
「ラピヌよ、余の兎よ」
「はい」
「よく覚えておけ。お前は他の誰からも何も受け取ってはならない。お前に全てを与えるのは余だ。服も靴も、食事も水も、名前も居場所も――」
全てを持っている王が、何も持っていない奴隷に跪いている。
まるで、何かを乞うように。
まるで、何かを捧げるように。
「――愛も、痛みすらも。与えるのは余だけだ」
そう言って、王は少女の足に唇を寄せた。
少女の、傷だらけで決して綺麗だとは言えない脛に彼の唇が触れる。
「余の心はお前のものだ。だからお前も余だけのもので在れ」
言葉は傲慢そのもので、少女の全てを縛ろうとするもの。
けれど、王が少女に触れる仕草だけはそうではなかった。宝物にでも触れるように彼は少女に触れる。奴隷でしかない少女に。
それは、まるで。
「お前が、愛しい」
――まるで、服従するように。
タイトル「まるで、服従するように」
作者:雨柚




