足の甲=隷属
――女王などやめてしまえ。
何度その言葉が口をついて出そうになったことか。
「では、そのように」
女王の命に頷きながらも、宰相は彼の顔色を窺い言葉を紡ぐ。その様子はこの場における絶対者が誰であるのかを如実に表していた。
この国の王は彼だ。
古い法に阻まれ玉座にこそ就けないが、国の実権は彼の手のなかにある。
「次は、国境の警備について報告を」
「は!」
騎士団長の報告を聞く彼女は知っている。彼がすでにこの報告を聞いて指示を出していることを。彼女の耳に入るのは彼が選別したものだけだということを。
女王と形ばかりは傅かれていても、実際に彼女が采配を揮うことはない。それは彼女にはどうしようもないことで、もはや変えられぬ事実でしかない。
それでも、彼女は昼夜女王としての知識を身に着けようと努力を続けている。
日に日に疲労の色が濃くなる愛おしい人。
彼女は女王だった。
彼女がそれを望むかぎり。
彼がそれを許すかぎり。
「皆、ご苦労様でした」
その言葉をもってこの会議という名の茶番は終わった。
集まっていた重鎮たちは女王へと挨拶をして退出していく。
「公爵、あなたも下がりなさい」
命に従わぬ彼に向けられるのは警戒を孕んだ視線。
彼女からすれば彼は邪魔者でしかないのでこの態度も仕方ないが、たまには笑顔を見せてくれても良いのにと思ってしまう。
そんな関係ではないけれど。
「どうしてそう、自ら苦労なさろうとするのですか?」
「…………」
「私には理解できかねますね」
嘘だ。
彼女の考えなど手に取るようにわかる。
彼女が彼を頼らないのは彼のことを一片たりとも信用していないからだ。そして、それはある意味正しい選択だった。……彼女が女王としてありたいのならば。
「あなたはただ私に命じるだけで良いのですよ」
「知らないのですか。悪魔に何かを願うには対価が必要なのです。破滅へと導かれると知っていてその手を取ることはありえません」
邪魔者どころか悪魔扱いとは、あまりの壁に笑うしかない。
女王が彼女でさえなければ。
彼はとっくに王政を廃止、この国を建て直していただろう。
彼女の理想は理解できる。
ただ、それは優しく美しい世界でしか実現できない絵空事だ。この国に理想を追う余力はなく、現状は非常に悪かった。たとえ一部を切り捨てることになっても、より多くのものが救われる道をとるべきだ。
「王にはときに非情さも必要ですよ」
「傷つくのが自分であるならば、いくらでも耐えてみせます。国のためならば非情にもなりましょう。でも……他者を思いやれぬ王にはなりたくありません」
苦しそうな、悔しそうな顔する彼女は自分の甘さを嫌というほど自覚している。
難儀な人だ。
いっそ女として愛される幸せを享受してしまえば楽だろうに、頑ななまでに王として彼の前にあろうとする。
聡明な人だ。
自分がどう足掻いても彼の手のひらの上から抜け出せないことを悟っている。
そして、愚かな人だ。
彼女は諦め方だけを知らない。
「まだ足掻きますか?」
「諦めて失ってしまうものの重さを知っていますから」
彼は彼女の伴侶にも守護者にもなれる。ただ……女王の臣下には、なれない。
「ならば、私をお使いください」
形だけならばいくらでも膝を折ろう。
彼女が真に愚かであれば幸せな未来もあるというのに、賢い彼女は彼の嘘を見破ってしまう。
だから、彼にできるのはこの恋に隷属を誓うことだけだ。
立ち尽くす彼女の足元へと跪いた。
「いつも、私の心はあなたに傅いています」
「……やめて」
「動かないでください」
足を引こうとする彼女を強い口調で押し留め、その甲へと唇を寄せる。
自分がこんなところに口づけたいと思う日が来るとは夢にも思わなかった。
人生とはわからないものだ。
彼女に恋をする前の自分であったなら、きっと恥を知らぬと吐き捨てるだろう。
「……っ!」
初めて触れ合った場所は熱かった。
タイトル「愛しいあなたに隷属の誓いを」
作者:吉遊