ハジⅩⅧ
ドロッセルがリンドヴルム寮の扉をバッコーンッ!! と開け放つ。
「ハジッ! ハジは居ますかッ! あの目つきの悪い男を、穢れた存在である我が前に跪かせるのですッ!」
陽は暮れ、夕食前のひととき、一階の広間でくつろいでいたリンドヴルムのメンバーは面食らったように目を見開き、ドロッセルに注目する。
すると、隅でロッキングチェアに揺られていたエレンが、何も言わずドロッセルのすぐ後ろを指差す。彼女がゆーっくりと振り返ると息がかかりそうな距離にハジはいた。
ハジは校門をくぐった辺りから前にドロッセルが歩いているのに気付いていたが、最近落ち込んでいたドロッセルにどう声をかけるべきか悩んでいた。が、あんまりな言いように、そんなものはどこかへ行ってしまった。
ハジは手に持っていた教本をすぐ後ろのニトラに押し付けると、ドロッセルの両頬を摘み引っ張る。蒸しパンのようなやらかい感触が楽しい。
「よう、誰を跪かせるって?」
「ふあっふぁ、ふぁじ、ふぁたひがふぁるかっふぁれしゅ」
「んん〜? 聞こえんなぁ」
ハジは思い切り頬を引き延ばしてから手を離す。するとポヨーンと音を立て元に戻る。
ドロッセルは真っ赤な頬を押さえながら、
「我は天使と悪魔の間に生まれし穢れた存在。手始めに戦闘手としてこの世で名を馳せることにしましたッ、ゆくゆくはこの世で私の名を知らない者はいなくなるでしょう」
そう言ってビシッと両手を広げ、片脚で立ちカッコ良いポーズを決める。伊達と酔狂の塊の様な彼女だが、それでも冗談で言っているようではない。
ハジは先ほどまでの緩んだ目尻から、冷めた目付きに変わる。
旧市街でのショックから立ち直ったようだ。
それは良い事だ、いつまでも落ち込んでいるよりずっと。だがそれが即ち、戦闘手として使えるというわけでは無い。
だから、ドロッセルの為にも、心を鬼にしなければならなかった。
「……うん、言ってる意味は自分でわかってるな?」
ハジは声を荒立てることは無かった。だが、ドロッセルは気圧され後ろに下がってしまいそうなのを堪えていた。
「はいッ」
「わかった、表に出よう」
「えッ?」
ハジは彼女の手首と胸倉を掴むと、身体を反転させる。その勢いを活かし前のめりになると、ドロッセルの身体はポーンと寮の外に投げ飛ばされた。
背中から地面に叩きつけられた彼女はゲホゲホと咳き込む。
ハジはゆっくりとした足取りで寮の外に出る。
寮内のいた一同も心配そうに外に出る。
それでも誰も止めようとしないのは、ここがドロッセルの人生の分岐点なのを理解しているからだろう。すなわち、普通の魔術師で終わるか、戦闘手として身を立てて行けるか。
「状況は一対一、ギブアップした方の負けだ」
ハジは腰に下げた高虎を引き抜き、正眼に構える。起動すると刀身は淡く光り、少しでも触れれば簡単に人を殺せる事を示していた。
状況を理解出来ていないドロッセルは、
「何の冗談ですか突然」
「冗談で真剣抜くほどアホじゃないんだな、これが」
滑るような足運びでドロッセルに近づくと高虎を真横に振る。
彼女の顔の真ん中を一文字に刀身が走る。
ドロッセルが咄嗟に顔に手を当てると、掌に血がベットリと付いているのが、ハジからもハッキリと見て取れた。
彼女の膝がガクガクと震えだす。
それを見たハジに、断腸の想いとか身が切れる想いとかは無い。ただ、非道い事をしているなあ、と際限無く罪悪感が湧いてくる。
「戦闘手は生きるか死ぬかの境界線上にいるんだよ? このくらいでビビってどうする」
「ううぅぅ」
ドロッセルは顔を押さえ、涙目になりながらそれでも後ろに逃げ出す様子は無い。
どうしてそこまで出来るのか、ハジにはよく分からない。戦いたく無いならそれでいいじゃ無いかと思う。
ハジはゆっくりと高虎を振り上げると、面白いくらいドロッセルの怯えた視線がそちらを追う。
ハジは左手の指先を伸ばし、揃えて手刀を作り、ドロッセルの鳩尾に突き立てる。
ゲエエェッと嫁入り前の娘が出してはいけない声が漏れだした。
ドロッセルの身体がくの字に曲がる、ハジが左手を彼女の肩に振り下ろすと、彼女は顔面から地面に落ちる。
「どうした? もう終わりか? 反撃一つ出来ないで、お前の戦闘手人生終わりか」
「終わ、りませんッ!!」
今日一番の大声で叫んだドロッセルは、モゾモゾと身体を動かし立ち上がる。
「何、言ってんですか? 私の英雄譚は、ここから始まるんですよ?」
「うん、そうか」
努めて淡々とそう言ったハジは、再び手刀を振り下ろす。だが突然真っ赤な壁が現れ阻む。ドロッセルの遊盾だ。
渾身の手刀は、それを砕くことなど出来るはずもなく、逆に左手に鈍い痛みが走る。
不自然に歪んだハジの手刀を遊盾越しに見たのか、ドロッセルはまるで自分のことのように青い顔になる。
ハジは、そんな事は気にせず左足を踏み出す、すると丁度ドロッセルの右足の親指の位置に踵が乗っかる。宙に浮いた遊盾は足元までカバー出来ていなかった。
思い切り体重を乗せ、踵で踏み抜く。
不意の痛みでイメージが崩れたのか、遊盾が強制停止する。
ハジは左手を開いて、手の付け根をドロッセルの顔面に叩きつける。すると彼女は糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
ドロッセルは立ち上がれないようで、ハジの事を見上げる。呼吸は荒く、頬が切れ、鼻血も出ている。
異能があるにせよ、女の子をここまで痛めつけられる自分が怖くなる。
「……べつに無理する必要はないと思うぞ?」
最後通告である。
“お前みたいな奴は、安全な所で安心して生きていろ”と
ドロッセルは身体を震わせ、目に涙を浮かべ、上ずった声で、でも確かな意思を瞳に秘め、
「私は、今まで、自分の為に英雄になりたいと思ってました…… 馬鹿にしてた奴らを見返してやりたいって。でもそれじゃダメなんです。誰かの為の英雄になります」
「どうして?」
「私が…… 困っている時に、誰も助けてくれませんでした。それがすごく悲しくて嫌でした。だから。困っている人が居たら真っ先に駆けつけたいんです。だから」
「うん、志は結構だ。で、お前は人を殺せるのか? 何なら試しに俺を殺してくれてもいいんだぜ?」
「ううぅ、それは…… 出来ませんッ! もう絶対に人を殺さない。そういう戦闘手でありたいと思いますッ!!」
何を言ってるんだこいつ。
という思いがハジの頭の中でグルグルと巡る。
「俺が敵と戦っているとして、敵を殺さないと俺が死ぬとして、その時はどうする?」
「両方死なないように頑張りますッ!」
「……言ってる事が無茶苦茶だっていうのはわかってるな?」
「はいッ!!」
「お前が思っている以上に馬鹿な事言ってるぞ?」
「はいッ!!!」
ドロッセルの身体の震えは止まらない。それでもジッとハジの事を見る視線には、断固たる決意が満ち満ちていた。
理屈じゃない想いの強さがあった。
その瞳に納得したハジは、高虎をゆっくりと鞘に納めながら、
「うん、わかった」
「へ?」
「俺の負けだ、この馬鹿、腹括っちまった」
高虎が納まるとリィンと鯉口がなる。
あの瞳の為に死んだら仕方ないと、納得できた。




