クローネⅢ
帝国には貴族制度がある。
国家に多大な功績を残した家門に対し、爵位によってこれを讃える。
五段階の爵位があり、上から公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵。爵位が高いほど、帝国に貢献してきた家門だと言える。
クローネは侯爵家の娘だ。
帝国に二千ほどの貴族の家門があるが、公爵と侯爵を合わせても五十ほどしかない。魔導学校でもなければ平民と話をする機会など無いくらいの名門の生まれだ。
そんなクローネは、これまで生きてきて最大のピンチを迎えていた。
クローネは額に脂汗を垂らし、
「お金が…… 足りませんわ……」
手当金を受け取ったのち、意気揚々とクローネは街に繰り出した。一人で。
とある宝石店に入り、物色していると、少し小ぶりの、でも味のあるエメラルドの指輪があったので、購入しようと店員を呼び、給料封筒からお金を出し値札と比べると、桁が一つ足りなかった。
クローネは財布を持ったことがない、大抵買い物は店にツケておき、年末にまとめて清算するのが、上流階級の買い物の仕方だからだ。そのため、今まで物の値段というものを一々確認したことがなかった。受け取った手当金はこの位の指輪くらい買えるに違いないと思い込んでいた。
女の店員は不思議そうにクローネの顔を覗き込み、
「お客様?」
「……あッ! そうでした。わたくしはこのような店で時間を潰している暇はありませんでした。失礼」
クローネはそう言い残し、エメラルドの指輪を店員に返すとそそくさと店を出ていく。
早足でその店から離れる。すると徐々に額の脂汗が引いていく。クローネは名残惜しそうに振り返る。
味のある良いエメラルドであった。
「ふう。恥をかくところでした」
「まったくです」
クローネのつぶやきに聞き慣れぬ声が応えた。驚いて振り返ると、そこには見覚えのある男が立っていた。正式制服をビシッと着込み、律儀に制帽まで被っている。
「お初にお目にかかります。リヴァイアサン・レギオン、マスター。キース・バーミットでございます」
キースはかぶっていた制帽を脱ぎ、片膝を地面に付け、右手を差し出す。シュッとした美男子がそうするとかなり絵になる。それに免じてクローネは右手の甲を差し出してやった。。クローネの手を受け取ったキースは頭を下げてそれにキスをした。
手を離したキースは、起立し、
「本日は侯爵令嬢にお話があり参上しました。もしよろしければお時間をいただけないでしょうか?」
「身の程を知りなさい、貴方のような者のために……」
「こんな場所では何ですから、シエル・ド・ショコラに一席設けております。如何でしょう?」
帝都でも指折りの洋菓子店だ、クローネ自身その店を贔屓にしている。その店名を聞いただけで滑らかなチョコレートクリームが口の中でとろけるのを思い出してしまった。
そうなるともう、店に足を運ばねば気が済まない。
「……いいでしょう、今日だけはその誠心に免じて聞くだけ聞いてあげましょう」
「有り難き幸せ」
キースは頭を下げた。
すると、見計らったように一台の車が道路脇に止まる。
それはクローネの見たことのないタイプの車だ。
蒸気自動車のように煙突やボイラーは見受けられず、かと言って電気を供給されてもいない。車の中で何かが暴れているように小刻みに振動している黒塗りの車だ。
珍しい物を見て好奇心に駆られたクローネは、綻んだ口元を扇子で隠しながら、
「見ない型ですわね」
「はい、これは私の実家で開発している車の試作機です。原動機を積んでいまして…… まあ、それはどうでもよいこと、さあどうぞ」
キースは車の扉を開け、クローネを中に入るように促す。
革張りの後部座席に座ると、見た目とは裏腹にふかふかで、クローネのお尻を優しく包み込む。最高級のソファーのようだ。
後部座席の扉を丁寧に閉めるとキースは助手席に乗り込んだ。運転手に一言告げると。車はスムーズに動き出す。
時間にすると五分ほどで洋菓子店の前までやってくる。
キースにエスコートされながら、洋菓子店の奥にある個室に入る。
テーブルと椅子は木製で、細部にまで意匠が彫り込まれている。キースは椅子を引き、クローネを座るのを介錯する。バネなどないはずなのに、不思議と柔らかい座り心地だ。
壁には大きな肖像画。現皇帝である、アインハルト・アレクサンデル・フォン・ゴールデンシュタインの戴冠直後の姿である。
大きなガラス窓の向こうには小さな庭があり、様々は植栽は、目を楽しませる。
オレンジ色した絨毯のキメの細かさは、革靴越しでもわかる。
キースはクローネの対面の席に座る。
すると給餌服を着た店員が、ケーキスタンドとティーポッドの乗った配膳台を押しながら部屋に入ってくる。店員はテーブルの横まで来ると、ケーキスタンドをテーブルの上に置き、更にその一皿をクローネの前に置く。配膳台の引き出しからカップを取り、ティーポッドから琥珀色の液体を注いでいく。
カップをクローネとキースの前に置くと店員は何も言わずに部屋から出て行った。
個室にはクローネとキースの二人だけだ。
クローネはティーカップを手にとって、
「それで? 用件は何ですの?」
クローネはティーカップを唇まで運ぶ。すると、マスカットのような爽やか香りが立ち昇る。良いダージリンの茶葉だ。
キースは両肘をテーブルにつけ指を組み、
「それでは端的に。侯爵令嬢、私は今の貴方の置かれている状況が不憫でなりません」
ティーカップを離して、代わりにフォークを持ったクローネの手が止まる。
「貴方に不憫がられる覚えはないのですが?」
「強がる必要は御座いません。知っていますよ、リンドヴルムで孤立しているのでしょう?」
「うッ」
クローネは言葉を返せなかった。事実、リーリスの一件から自分でも周囲から浮いている自覚はあった。
「貴方ほどの優秀な人材を干すなど、リンドヴルムのマスターも見る目がない。我々のところに来ていただけるなら、誠心誠意尽くさせていただくのですが?」
「……それはつまり、貴方の元にくだれと?」
「はい、謹んでお願い申し上げます」
クローネは余りの可笑しさについつい笑い声をあげる。
「オーッホッホッホ、ありえませんわ。あ、貴方のような平民の掲げる旗を、侯爵令嬢であるこの私が仰ぐとお思いですか? 片腹痛いですわ! 激痛ですわ!」
キースは肘をテーブルについたポーズのまま固まる。
クローネはそんなキースを気にもとめず、フォークでチョコレートケーキを切りとって口に運ぶ。濃厚な甘みが口いっぱいに広がり、思わずウットリとしてしまう。
「まあ、わたくしのように高貴で優秀な人間などそうそういないでしょうが…… それにしても、身の程を知ってから声をかけるべきでしたわね」
「それは…… リヴァイアサンに来ていただけないということですか?」
「当然です、わたくしをこき使いたいなら、せめて公爵位を賜ってからにして頂きたい」
「そうですか…… そこまで言われるのでしたら致し方ありません。残念ですが諦めると致しましょう」
キースは椅子から立ち上がり、
「私はこれにて失礼いたしますが、侯爵令嬢はどうぞごゆっくり」
そう言ってキースは部屋から出て行った。
クローネはケーキスタンドの三皿をペロリと平らげる。
久しぶりの美食に舌鼓を打ち、気分良く店を後にしようとする。すると歳をとった白髪の店員に引き止められる。
「お客様、お支払いがまだですが……」
「は?」
てっきりキースがすでに支払っているかと思っていたので、度肝を抜かれる。
店員は勘定書きをクローネに手渡す。
嫌な予感が脳裏に浮かぶ。
クローネは恐る恐るそれを確認する。
四万八千帝国マルク。紅茶と部屋代も含んでいるとはいえ、そこら辺の洋菓子店より桁が一つ多い。ものだ。
クローネの額に再び脂汗がにじむ。




