アナスタシアⅢ
「ふふ〜ん、ない」
アナスタシアは心地よい温もりと、規則正しい振動がたまらなく気持ちよかった。
四月八日日、土曜日。時刻は五時十四分。
ハジ、アナスタシア、ニトラ、ドロッセルの四人は旧市街に向けリンドヴルム寮を出発した。
アナスタシアは五時前にハジに叩き起こされ、なんとか着替えを済ませるまではできたが、睡魔には勝てず、結局ハジの背中で二度寝を楽しむ。
ハジはもう説教する気もないのか、諦めて背負い、ひんやりとした朝靄に包まれた帝都の街を歩いた。
格好は全員同じで、略式制服の上に絢爛l豪装甲を身につけ、絢豪外套を羽織っている。
マントの長さは個性が出る。ハジとドロッセルは膝上くらいまでだが、アナスタシアはお尻が上半分しか隠れていない。ニトラは足首までスッポリと隠れている。
ドロッセルはいつもに比べればアクセサリーの数は少ないが三角帽子と手製の杖は手放さない。
「ハジ、大丈夫ですか?」
「いや、もう置いていきたい。それにこいつ乗せられないのか?」
ハジはチラリと後ろを見る。
四人の後ろにはやたらと大きな銀色の仕業の塊が、なめくじのように這っている。その内部には夜営時に使うための道具も一式飲み込んでいる。
おかげで軽装で済む。四人が持っているのは各自の魔導礼装と水筒、非常食、地図とコンパスくらいだ。
「ゴメン、結構非力なんだあれ、もう大分積み込んでるし…… ほら、もう停留所だから」
人口の多い帝都では、馬車や蒸気自動車で大渋滞が起こる。それを少しでも解消させるために出来たのが路面電車だ。
停留所に着くとすぐに一両編成の電車がやってくる。
車体は木製でグリーンのペンキで塗装されている。朝靄のせいで視界が悪いのかライトがピカーッと光っている。
「ひぃ」
四人が乗り込んで、その後から銀色の仕業が車両に乗り込むと、さすがに車掌が驚き悲鳴をあげる。ニトラが銀時計を見せ、魔導協会の者であると説明すると納得した。
車内は左右に長い座席、前後には運転席があり、それぞれ運転手と車掌がいる。運良く車内に他の客はいない。
アナスタシアは雑に座席に寝かされ、三人は横並びに座席に座る。ホッと一同は一息ついた。雑に寝かせられたアナスタシアは枕を求めてモゾモゾと這う。
「うわぁッ」
「うぃ〜」
アナスタシアはドロッセルの膝に頭を乗せる。
豊満とは程遠いドロッセルの太腿は細く、枕にするには面白みがない。
ハジは少し怒気のこもった声で、
「ドロッセル、そのまま頭を冷やしてやれ」
「……じゃあちょっとだけ」
そう言うと徐々にドロッセルの太腿は冷たくなっていき、まるで氷枕のようだ。
「うわぁッ!」
アナスタシアは冷たさに驚き、声を出して跳ね上がる。暑いよりかは涼しい方が得意だが、さすがにカチンコチンに凍らされては敵わない。
「どれくらいで着く?」
「三十分くらいかな?」
ニトラは路線図を見てそう答えた。
唐突にぐううぅぅ、っとアナスタシアの腹の鳴る音がした。
「お腹減った」
感じたままの事を口にするアナスタシアに、ハジは呆れた口調で、
「お前が早起きすれば、ゆっくり飯が食えたんだが?」
「まあまあ」
ニトラは銀色の仕業の背中の布を剥ぐ。流体金属の中から、固体の銀色の箱が浮かび上がる。箱の上部がニュルリと移動すると、中身が見える。
その中の紙袋を取り出すと、中身を配っていく。
包みを剥ぐとアナスタシアは嬉しそうに、
「フィッシュバーガーか、フッフッフッ朝からパンチの利いたもんよこしやがって」
いつかのホットドックくらいの大物だ。バンズの間には昨晩の残りである白身魚のフライと、レタス、タルタルソースもかかっている。朝一番で主計班が作ってくれたものだ。
この手の電車内で食事をするのは、相当お行儀が悪いのだが、客がいないのをいい事に、アナスタシアは大きく口を開きバクリと食いつく。
他の三人も彼女を咎めることなく、モシャモシャ食べ始める。
ニトラは口の中身を飲み込んで、
「そういえば、ハジのハンドルって、何?」
「ハンドル? 車を運転した事ないぞ」
ニトラは乾いた笑いを浮かべ、
「ハンドルネーム、交信板の」
合点がいったハジは「ああ」と声を出してから、
「八十二号だよ」
「ふぅん」
ニトラは交信板を起動した。彼の目の前に真っ黒い表示枠が現れる。
コンソールをポチポチ叩き、
「……ハジ、もしかして交信板、停止ってる? 最後に起動したのいつ?」
ハジは指折り数え、
「入寮式典の日だから…… 五日前だな」
「充填回路が空になってるね、絶対。起動してみて」
言われるがままハジは魔導力を込め交信板を起動する。
ニトラはハジに寄りかかって交信板を覗きこみ、
「ほら右上に数字があるでしょ。これが充填回路の残り、ゼロになると強制停止しちゃうから」
ニトラが指差し、説明する間にも数字は徐々にカウントアップしていく。
「停止状態だと送信側からの書信も通信も受信できないから。取扱説明書に書いてあったでしょう?」
ハジはバツの悪そうに、
「いや、読んでない。色々あったし」
「読もうよ、結構大事な事書いてあるんだよ?」
「そうだよ、私ですら充填回路は切らさない様にしてるんだから」
アナスタシアは胸を反らし、偉そうにそう言った。
ハジはそれがショックの様で肩を落とし、
「アーニャに、負けた?」
「アーニャちゃんのハンドルは、銀狐だっけ?」
「そう、ニトラは金物屋、ドロッセルは堕天使」
夢中でフィッシュバーガーを頬張っていたドロッセルは思い出した様に、
「そう我れこそは、天使と悪魔の間に生まれた穢れし存在。混沌に愛されし、堕天使ドロッセルとは私の事ですッ!」
三人は無視する、空想モードのドロッセルの付き合っても多分いい事はないだろうから、生暖かく見守る。
「リンドヴルムの人だと…… 二刀流、守銭奴、リーゼント、能面、麗人、腹太鼓、ゴシップハンター、バクオン、枯尾花…… とか」
なんとなく顔が浮かびそうな、かと言って確信の持てない微妙なセンスだ。
「へえ…… 全然知らなかった。もしかして、今まで俺、除け者にされてた?」
ハジは余命を宣告されたような悲しそうな顔で俯向く。
フリではなく本当に落ち込んでいるようである。
「いやッ、そうじゃなくて用があれば直接言った方が良いしッ、そもそも最近ずっと一緒にいたじゃない」
「大体こういうのは匿名制が大事なんですよッ? リアルとチャットは別物なんです。誰がどれとか、一々確認しない方が、むしろ面白いっていうか。だからこそ、今この場で確かめたわけで」
ニトラとドロッセルが早口でフォローする。が、ハジは萎れた花のように覇気がなくなっていく。
ハジのテンションは底なしに落ち、最早手のつけようがない。
ハジはフィッシュバーガーをアナスタシアに差し出し、
「アナスタシアさん、食べかけですが、いかがですか?」
「敬語ッ?!」
「頂きますッ」
「食べるんですかッ?」




