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誰が為の魔導技術  作者: 白牟田 茅乃(旧tarkay)
リンドヴルム内、模擬戦
30/63

リーリスⅠ

 その晩、リーリスは灯りの落ちたリンドヴルム寮の階段を降りていた。

 リーリスの斬られた両脚は、まだ階段の昇り降りが軽快に出来るほどの回復は出来ていない。

 急激な魔術は被術者に悪影響を与えかねず、特に体力が落ちた怪我人に強い施術は出来ない、そのため毎日病院に通い少しずつ再生魔術を受ける。

 彼女は手すりに身を預け、よろけながら一段一段降りてきた。


 女子部屋のある三階から二階まで降りたところで、手すりに腰を掛け一休みしていると、

「誰だ?」

 一階に下りる階段の途中で立っている人影が、リーリスに向かってそう言った。


「うひゃぅッ!」


 突然のその声を聞いて、リーリスの心臓がバクバクと高鳴る。

 彼は一歩一歩階段を昇り、リーリスに近づく。階段の踊り場の小窓から差し込む月明かりが、彼の顔を照らし出す。


「ハジくん」


 リーリスの姿を見たハジは目を伏せ、

「ああ、ゴメン」

「何ですか?」

「服」

「服? ふわあぁッ!」


 リーリスは自分の格好を確認する。

 着ているのは白い薄手のネグリジェ一枚だけ。

 丈は短く、胸元は大きくて露出して。豊満な胸がこぼれ落ちそうだ。

 これといった装飾は無く、野暮ったい物だが、逆にリーリスのグラマラスな体型が浮き彫りになっている。

 リーリスは、姿見でその格好を見るたびに、やたらとヤラシイ事に自覚はあったが、他人に見せるものでは無いのだから、着心地の良さから愛用しているものだ。

 深夜だったので誰もいないだろう、と思っていたらとんだ大失策である。せめて何か上に羽織るべきだった。

 普段人前に出るときは出来るだけ露出を控えた服を着るリーリスは、不用意に肌を見られたことで恥ずかしくて堪らなくなる。顔が熱く、耳まで真っ赤になっているのがはっきりわかった。

 腕を使って身体を隠そうとするが、彼女の細腕ではそんな事ができるはずもなく、あたふたしている間に体勢を崩して、階段の下に倒れそうになる。


「危ないッ」


 両腕を広げたハジが受け止める。強い衝撃がリーリスの全身を巡る。

 自分の柔肌をハジの胸板に押し付けているのがわかって余計に恥ずかしい。

 ハジはその場に座りこませる。

 バタバタしたせいか、ただでさえ露出の激しいネグリジェがはだけ、自分でもどこが見られているのかよくわからない。リーリスは逃げ出すこともできず、せめてその場で身を縮め、丸まる。緊張で声が出せない。


 それに見かねたハジは、

「少し待ってて」


 そう言って、ハジは一度に自室の引っ込むと、手に絢豪外套アラクネ・マントを持って戻って来る。それをリーリスの肩にかけた。すると恥ずかしさもだいぶ和み、安心した。


「あ、ありがとうございます…… 見ましたか?」

「生憎、今晩は夜目が効かないみたいで」


 嘘か本当か、そう言ったハジは首を横に振る。

 リーリスはホッとする。


「何してたんですか?」

「いや? ちょっと勉強してた」

「お勉強ですか?」


 ハジが午後の講義を一つも受講していないのを知っていたリーリスは、勝手に彼のことを勉強嫌いなのだと思っていたので、かなり意外だった。


「ほら、なんか隊長になったから、ザッと教本を読んでた」

「大変ですねぇ、ご苦労様です」

 リーリスは尻餅をついたまま頭をペコリと下げる。


 ハジは責めるふうでもなく優しい口調で、

「俺の事は良いよ。何してんだ? こんな時間に危ないだろう?」


 ハジは懐から銀時計を取り出して時刻を確認する。

 深夜三時、寮の中は静寂に包まれている時間だ。


「いえあの、そのぅ…… お……」

「お?」

 リーリスの顔はまた真っ赤になる。指をモジモジと突き合わせ、言い淀んだ。


「お手洗いに……」

「何だ、そんなことか」


 生き物である以上それは自然の摂理だし、もしも自分が逆の立場でも「そんな事」と思うかもしれない。それでも年頃の女子が、男の子相手に口にするのははばかられる内容だ。

 もう少し、気遣いがあっても良いのでは、と思いリーリスは内心で頬を膨らませる。


「手伝おう」

「ふぇ?」


 ハジはそう言うとリーリスの肩を抱き、膝の裏に腕を通す。するとお尻に感じていた重さがどこかに行って、身体はハジに抱きかかえられた。

 お姫様抱っこである。

 リーリスは今までろくに男の子と接点がなかった。だから、身体を触られたり、息がかかりそうなほど近くにいる男の子に免疫が無い。緊張して、身を強張らせ、微動だに出来ない。

 ハジは対照的に涼しい顔で、軽い足取りで階段を降り、一階の広間を歩き、トイレの前まで到着するとリーリスを下ろした。


「ごゆっくり」

「は、はひ」


 ハジは小上がりの向かって行く。卓袱台の上のランプが、教本や資料を照らしていた。

 ハジは小上がりの畳で胡座を組むと、前のめりになって教本を開く。

 リーリスは何故だかハジに背中を見せる気になれず、後ろずさりにトイレに入る。

 トイレは男女兼用、中には横に長い流しと個室が五つ。床はコンクリートで、サンダルが用意されている。

 不自由な脚を一生懸命動かし、リーリスはスリッパからサンダルに履き替える。壁伝いに一番手前の個室に入り、用を足して、個室から出て手を洗う。

 そしてトイレの入り口から顔を出し、外を伺う。鉛筆を握ったハジが、教本を食い入るように読み込んでいる。

 さて、どうしよう。そんな言葉でリーリスの頭の中は一杯だ。

 きっとこのまま出て行けば、またお姫様抱っこされてしまうだろう。リーリスは目を瞑って、さっきのことを思い出す。

 大きくてゴツゴツした手、逞しい腕、石鹸の匂いに混じった男の子の匂い。

 腹の底に火室ボイラーが出来て、血液が沸騰したかと思うくらい、リーリスの身体中に熱感が走り回った。

 あれをもう一度体感するのは、何だかよくわからないけれど危険だ、とリーリスは直感した。


「リーリス、用は済んだか?」

「ふぁいッ」

 リーリスに気付いたハジは教本から顔を上げ、声をかける。


「ハジくん、大丈夫ですから」

「はあ」


 ハジは小上がりから降りてリーリスの方までやって来る。

 どうにかして、自力で部屋に帰還する言い分を考えなければならない。


「その、お勉強の邪魔をしてもあれですから。私の事は無視してどうぞ続けて下さい」

「近くでドタバタされた方が気になるよ」

「リハビリ、これはリハビリです。ですから邪魔しないで下さい」

「それにしても介錯はいるだろ?」

「そのですね。あんまりこういうのは良く無いと思うんです」


 ハジは叱られた犬のように落ち込み、

「俺は…… 避けられているかな?」

「いえその、そういうことでは無いですけど」


 ハジは真剣な眼で、

リーリスが襲われた時あのときリーリスごと斬ったああした事に後悔は無い。でも反省はしているし、責任も感じてるんだ…… だから出来るだけの事はしてやりたいんだ。ダメかな?」


 真摯な態度でそう言われると、リーリスの方が不誠実な事をしている気になる。

 リーリスは腹を括った。さっきは突然のことだったので、びっくりしただけだ。

 そう思って、今度は気合を入れる。


「……それじゃあ、お願いします」


 そう言うとハジは嬉しそうにリーリスを抱きかかえる。

 フワフワとした浮遊感はきっと抱かれているせいだ。心臓が高鳴るのは身体が揺れているからだ。そう思い込んでやり過ごそうとする。

 リーリスはふとハジに目をやると、彼と目が合う、すると彼は口角を上げて微笑む。するとまた、腹の底の火室ボイラーに火が点いた。それはさっきよりも轟々と燃え上がる。


「それじゃあ、おやすみ」

「……ほやすみ、なさい」


 いつの間にか自室の前で降ろされたリーリスは階段を降りて行くハジを見送った。

 姿が見えなくなっても、何だか名残惜しくてその場で立ち尽くし足音を聞いてしまう。彼が一階まで降りるとそれも聞こえなくなった。

 ハジを感じなくなっても、火室ボイラーの火は落ちない。

第四章はここまで。

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