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誰が為の魔導技術  作者: 白牟田 茅乃(旧tarkay)
汽車に揺られて……
3/63

ミレーユⅠ

 ミレーユは魔導学校の学長室を訪れた。そのドアを三回ノックした。足で。

 足でノックをしたのは敬意が無いからではなく、単に両手で荷物を持っていたからだ。


「誰かな?」

 老年のオペラ歌手の様な、低くて深みのある声が問いただす。


「ミレーユ・ザイスマンです」

「入りたまえ」

「失礼します」


 ミレーユは抱えた紙袋を落とさぬ様にドアを開けた。

 広々とした理事長室には大きな窓を背にしたデスクがあり、そこで自分のネームプレートを念入に磨く一人の小物がいる。


「ただいま戻りました。シュトットマン学長」

「うむ」


 シュトットマンは高そうな革張りのデスクチェアにもたれる。

 魔導学校は魔導協会の傘下の教育機関だ。

 言うまでもなく学長は魔導学校のトップであり、協会理事の一人でもある。ただそれほど強い権限を持っているわけではなく、出世コースの通過点か、問題を起こした者への左遷先であり、大抵は二、三年くらいで退任する。

 が、このシュトットマンが学長に就任してからもう今年で八年目になる。権威のある役職であることには違いなく、シュトットマンの様な小物には喉から金を出してでも座りたいのだろう。

 見た目は壮年の映画俳優のように見えるが、シュトットマンは今年で還暦を迎える。そんな男が老体に鞭打ってまでやるような仕事ではないだろうと、ミレーユは思う。


 ネームプレートをデスクに置いたシュトットマンは、

「それで? レポートは直ぐに出せるかね?」

「それは学長次第です」

「うん?」

「それは置いといて…… 実は喉がカラカラでして」


 ミレーユは学長室に備え付けられているスツールを引きずって動かし、デスクの前まで持ってくる。それに座ると抱えた紙袋から、ラベルをさりげなくシュトットマンに見せる様にして、一本のボトルを取り出す。

 それを見たシュトットマンは身体を預けていた椅子から身を乗り出し、目を丸くする。

 ミレーユにはシュトットマンが唾を飲む音がハッキリ聞こえた。


「そ、それはぁ、ベルンスゴーニュの四百十年物…… なな、なぜ君がそんな物をッ」

「きっと日頃の行いが良いからでしょう」


 紙袋からワインオープナーを出してコルクに突き刺し、ネジ込んで行く。


「あ、ああッ」

 十分にワインオープナーをネジ入れると取っ手を持って引っ張る。するとキュポンと音を立てて栓が抜ける。


「あああぁあ」

 シュトットマンは口を大きく開けてダラダラとヨダレを垂らす。さっきまで熱心に磨いていたネームプレートにかかっているが、気がつく様子はない。身体は落ち着きなく左右に揺れ、品性の欠片もない。


「学長、グラスをお借りできますか?」

「ああ、ああッ」


 シュトットマンはデスクの一番下の引き出しからワイングラスを二つ取り出す。

 大方、ワインボトルもそこに何本かあるのだろうが、ミレーユが持参したワインはそんな物とは比較にならない一品だ。

 ベルンスゴーニュ地方はワインの名産地で、やや甘口でキャラメルの様な風味が特徴だ。

 特に帝国歴四百十年は史上最高の当たり年と言われ。半世紀近く経った今では金を出せば買えるとかいう物ではなく、現物をお目にかける機会すら奇跡的なくらいだ。

 それを喉が渇いたからなどという理由で飲む、と知ったワイン中毒者ジャンキーであるシュトットマンがどんな事を言うかは自明だった。


「私にも一口ッ!!」

 ミレーユはシュトットマンを無視して、片方のグラスにだけワインを注ぐ。ルビーを溶かした様な澄んだ紅色は、窓から差し込む陽光を浴びて上品に輝く。さしづめ宝液(ほうえき)と言ったところ。


「学長、まだ仕事の最中でしょう。飲酒はいけない」


 自分の事を棚に上げ、ミレーユはグラスに口をつけた。最初は想像していたよりも味が薄い気がしたが、少し口を開き息をすると、官能的な甘い味が口腔内に張り付いていることに気がついた。鼻から抜ける香りはいつまでも消えることなくミレーユを愉しませる。

 ミレーユはあまり酒を嗜まないが、これは納得の品だった。


「ざいすまんきょうじゅぅ」

 シュトットマンは目に涙を浮かべ、オモチャをねだる様にミレーユを見つめる。

 大の大人がこうまでなるのかと呆れるが、ミレーユにとってはこの方が都合が良い。


「学長、ひとつお願いがあるのですが……」

 シュトットマンは少し冷静になった様で、涙を拭う。


「何かな?」

「いえいえ入学させたい子がいるのです」


 ミレーユは紙袋から書類の束をデスクに置く。

 一番上は推薦状だ。

 魔導学校に入学するためには協会員の推薦が必要で、事実上の入学願書になる。厳格な締め切りはないが慣例では十月末までに提出することになっている。

 シュトットマンは辛うじて残っている公人としての部分を総動員してすべての書類に目を通す。


「ザイスマンきょうじゅ、これは…… 本気かね?」

「ええ、もっとも酔ってはいますがね」


 ミレーユは再びグラスに口をつけて、グラスを空にする。

 先ほど変わらぬ感動が口から全身を駆け巡る。世のアルコール中毒者の気持ちがわかるというものだ。


「だいたい、この件は私に一任するとおっしゃったのは学長ではありませんか」


 ミレーユはワインオープナーを手に持ってネジる手振りをしながら、

「それをネジ込んで頂ければ、学長が、職務中に飲酒することを見なかったことにしても良いのですが……」


 ミレーユはまたボトルからグラスにワインを注ぐ。ついさっきよりも多く注いでしまった。

 シュトットマンは一度深呼吸をしていつものような学長としての皮を被る。だが彼の目はグラスの液体から離れることはなかった。


「入学式、というより入寮手続きはもう始まっているのだよ…… いくらなんでも」

「そうですか」

 ミレーユは立ち上がりグラスとボトルを持ってドアに向かって振り返る。


「まっでええぇぇ、なんとがずるがらぁぁッ!!」

 少し揺さぶるだけで簡単に皮が剥がれる。もはや犬だ。尻尾があればブンブンと降っているだろう。


 ミレーユはもう片方のグラスに少しだけワインを注ぐ、

「今はこれだけ。入学許可証、用意してくれたら、残りをあげます。いいですか?」


「ああ、ああ」

 シュトットマンは、グラスに口をつけた。

 それは砂漠を彷徨(さまよ)った者が、水を(あお)るようだった。


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