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殺人鬼を殺す者(02)

 千亜樹は洋館のまえに立った。石段をあがり、背の高い正面扉をゆっくりとあけた。鍵はかかっていなかった。

 広壮な玄関ホールが眼帯少女をむかえた。屋敷全体の精妙な造形を感じさせる、荘厳な空間であった。

 一歩をふみいれた瞬間、千亜樹は顔をしかめた。

 不吉な異臭がただよっていた。1時間前、鬼火の本部でも感じたモノである。

 大量の、血のにおいだ。死臭だ。

 千亜樹は、血臭を追って赤い絨毯じゅうたんの廊下を歩いた。通路は薄暗く、明かりは壁面の燭台でゆれる小さな炎だけだった。

 眼帯少女は、吹きぬけの広大なダンスホールにでた瞬間、


(ひどい、ひどすぎる……っ)


 と怒りを瞳にやどらせた。

 ホールは死体でみちていた。数えきれない。少なくとも50人をこえている。

 ただの死体ではなかった。死者たちはすべて、首・胴体・右手・左手・右足・左足にわかれてバラバラになっている。切断死体ではない。胴体には首の腱や二の腕の肉、ふとももの靱帯が残っている。ちぎられたのだ。頭部や手足を、巨大な暴力で体から生きたままで引きぬかれたのだ。

 死者たちの生首は、どれも苦悶の表情にゆがんでいた。青年も、少年も、少女も、老人も、幼女も殺されていた。

 赤いはずの絨毯は、血のかわいた色で黒くそまっていた。


 見つめるだけで敵を八つ裂きにする天使能力、〈裂殺魔眼サーチ・アンド・デストロイ〉の犠牲者たちにちがいなかった。

 中世フランスでは、罪人の手足を4頭の馬にむすび、馬を4方向に走らせ、両手・両足・胴の5つに裂くという残虐な刑が存在していた。国王に対する殺人や反逆罪などを犯した重罪人に執行される、冷酷な死罰である。


 〈裂殺魔眼サーチ・アンド・デストロイ〉の能力者・主堂しゅどうツミは、罪なき人を嬉々として大量殺害する、許されざる死刑執行人であった。


(こんなにたくさんの人たちを殺すなんて……、ゆるさないっ)


 ふと、千亜樹は、ホールの奥から荒々しい呼吸音を聞いた。

 屍山血河のなかに、ただひとり生きている者がいた。

 高さ3メートルの位置で壁から突きだした鉄柱から、少女が鎖でつられていた。15歳前後だろう。全裸である。まえにたれた長い髪が乳房にかかっている。手首を拘束具でしばられ、上方の鉄柱と拘束具を鉄鎖がむすんでいた。

 全裸少女の足先が地面につくかつかないかの、凶悪きわまりない拘束であった。

 体力を消耗し、足指を伸ばせなくなった少女が床から浮いた。鎖にぶらさがった体が回転する。背中が見えた。


(体のまえにもうしろにも翼がはえていない……。あの女の子は天使じゃない、人間だっ)


 千亜樹は救援に走った。


「待ってて、いま助けるよっ」


 と声をかけて、UTナイフで鎖を断ち切って少女を解放した。

 全裸少女は床に倒れる。

 千亜樹は、両手のナイフを腰のホルダーにしまい、少女の上半身を抱きあげて言った。


「だいじょうぶ!?」


 少女は、力ない声で、


「あ……りがとう……。たすかった……わ……」


 と、切れ長な瞳で千亜樹を見つめて、

 ――ぺろりと舌をだした。


 赤い舌から、白い2枚の翼がはえていた。


(しまった、この女、天使だっ)


 千亜樹は天使の首を居合抜きに切断しようと、右手でUTナイフをぬいて刃を疾走させた。

 ナイフの右手は、しかし、天使の首にとどくまえに見えない腕につかまれて停止した。


(なにがおきたの!?)


 天使――主堂ツミは、衰弱者の演技をやめて千亜樹から風のように離れた。

 ツミは、手の拘束具を無造作にひきちぎり、高らかに笑いながら、


「桜木千亜樹、キサマはもう、アタクシの能力、〈裂殺魔眼サーチ・アンド・デストロイ〉にかかったっ。キサマの命はあと15秒でおしまいよっ。アハハハハハッ」


 と断言した。少年のような胸をかくさずに屹立する。

 桜木千亜樹と主堂ツミの距離は、約30メートル。

 千亜樹は、ナイフの斬撃動作を凍結させたモノの正体を見た。右手首をぶあつい光の腕輪にまかれていた。腕輪は空間に固定されたように動かない。手首をぬくこともできない。


 主堂ツミの能力、〈裂殺魔眼サーチ・アンド・デストロイ〉は、至近距離から相手を3秒みつめることで発動する。

 凝視してから3秒ごとに、

 右手首、

 右足首、

 左足首、

 左手首、

 首、を光の輪が固定するのだ。

 5つの輪がそろって、さらに3秒が経過すると、光輪はそれぞれ5方向にすさまじい速さで猛進して人体をひきちぎる。

 中世フランスの八つ裂き刑は手足を馬に引かせた。

 しかし、ツミの〈裂殺魔眼サーチ・アンド・デストロイ〉は、不可視の大巨獣が光の輪をひいて走る、強大な瞳術だった。堕天使の体でも絶命が約束されていた。

 ツミの魔眼に見つめられることは、18秒後に死が訪れることを意味しているのだ。


「アハハッ、桜木千亜樹、アタクシの勝ちよっ。キサマのナイフはとどかない。キサマの手はアタクシにさわれない、キサマの能力は発動できないっ」


 眼帯少女の右足首が、かがやく足輪に固定された。

 せまりくる死を目前に、だが、千亜樹は落ちついた声で言った。


「たしかに、おまえにさわることはできないわね。――おまえにさわることは」


 千亜樹は、自由に動かせる左手を自分のひたいにあてた。

 攻性電気信号インパルスを発火させ、左手から全身に送りこんで言った。


「〈光速改造ソウル・プロシージャ〉――風光絶火ふうこうぜっか!」


 これこそ、千亜樹の秘奥義。〈光速洗脳ソウル・ハッキング〉を自分自身に使用して、一瞬のうちに自己改造を実現する。隻眼の堕天使だけに可能な魔技であった。


 体内を駆けめぐる電気信号が全身の筋肉を刺激し、桜木千亜樹に超高速の移動術を約束する。

 千亜樹は神速で左のナイフをぬき、自身の右手首と右足首を切断した。一直線に主堂ツミへ跳んだ。風より速い、光のごとき強襲であった。眼帯少女の神速移動が生みだした剛風が、遺体を浮かし、ホールの壁面で灯っていたろうそくの火炎をすべて吹き消した。

 一歩の跳躍で30メートルの距離をゼロにした千亜樹は、着地と同時に赤い斬撃で魔眼天使の首を斬り飛ばしていた。

 驚愕の表情の生首が足元に落ちても、千亜樹の左足首に光の輪は生まれなかった。


 主堂ツミ、悪逆の〈主天使ドミニオン〉は、秘技を発動させた堕天使に斬首されて絶息した。


 ――双子の天使が鬼火の本部を襲ったとき、鬼火の全滅前に千亜樹と菜々瀬が本部に到着できたのは、高速移動術・風光絶火の成果であった。加速能力者と化した千亜樹が、菜々瀬を胸に抱いて世田谷区から渋谷までを駆けぬけたのである。


(よし、4人の天使のうち、ひとりを斃した。残る天使は、火織をいれて3人だっ)


 眼帯少女は、左手の人差し指から体内に電気信号を送りこんで、自己改造術・風光絶火を解除した。

 〈光速改造ソウル・プロシージャ〉は、効果は絶大だが、体への負担も大きい。1日に何度も使用できる技ではない。


(火織との決戦にそなえて、〈光速改造ソウル・プロシージャ〉の使用時間はできるだけ短くしなきゃ……)


 千亜樹は、右手首と右足首を切断した痛みに必死で耐えながら、風光絶火を発動させた地点へ左足だけで進み始めた。手首と足首をひろいあげ、接合再生するつもりなのだ。

 だが、千亜樹が一歩を進んだ瞬間、頭上で雷鳴がとどろいた。

 吹きぬけの天井が破壊される音だった。

 眼帯少女の真上が壊されていた。影が高速でおりてくる――。アルテマチタン合金製の赤い長剣を振りあげた殺人天使・宝座たからざ有鎖ありさが、雷獣の速さで飛来してくる!


 有鎖は血走った眼で、


「桜木千亜樹、おまえの首は、宝座有鎖がもらったっ。左足一本、左手のナイフ一本で受けきれるものなら受けてみせろっ」


 と空中でせせら笑った。

 引力を味方に急加速する雷獣斬撃を、千亜樹は受けとめられるのか。

 右手首がない。

 右足首がない。

 重心をとれない眼帯少女は、かつてない劣勢にあった。

 千亜樹の脳裏が暗い予感でかげった。


(左手のナイフでは天使の加速斬撃を受けきれない。よける時間もない……!)


「死ねっ、桜木千亜樹っ」


 轟、と有鎖が振りおろした告死の長剣を、

 千亜樹はUTナイフのブレードで受けとめた。――足に装着したままの、ブーツナイフのブレード部分で。

 高い金属音がホールに響きとおる。

 長剣の刃は弾きかえされて宙を泳いだ。

 必殺の一撃をふせがれた有鎖は、


「なんですってっ!?」


 と驚倒の声をあげた。

 千亜樹は、有鎖の空中からの加速斬撃を重爆の左ハイキックで迎え撃ち、ブーツナイフで的確に受けとめたのだ。

 鬼火最強のナイフ使い・朝霧地鶴が伝授した足技であった。

 だが、体重を乗せた上段蹴りを撃つには、軸足がしっかり地面をつかまなければならない。右足首をうしなっている千亜樹は、どうやって左ハイキックをはなったのか。

 ――千亜樹は右足一本で立っていた。切断したばかりの、足首のない右足一本で全身の体重を支えていた。右足首の断面は赤い肉がむきだしである。神経線維も床に直接さわっている。

 できるはずがなかった。どんな強靭な意志力の堕天使でも、斬りおとしたばかりの足首で立てるわけがない。傷が地にふれた瞬間に大激痛に襲われ、蹴りをはなつ精神力など、かけらも残らないはずだ。


 千亜樹に空前のハイキックを可能にさせたのは、全身の痛覚を遮断する〈光速改造ソウル・プロシージャ〉――地獄堕遊じごくだゆうであった。

 桜木千亜樹は痛みを感じていなかった。脳幹の大縫線核を活性化させたのだ。もしも、この瞬間に地獄に堕ちて酷烈非情な責め苦を受けても、笑顔で耐えてみせただろう。


 有鎖は、必殺を確信していた斬撃を想定外の足技でふせがれて、体勢を大きくみだして着地した。

 刹那、眼帯少女の赤い一閃が有鎖のひじから先を両腕とも斬り飛ばしていた。長剣も舞った。菜々瀬が使うUTソードと同型の剣であった。

 千亜樹は、返す動作で有鎖のひたいにふれて、両足を不動にする攻性電気信号インパルスを送った。


「きゃああっ、有鎖の腕が、腕がっ。いや、いやよ、死にたくない、死にたくないっ」


 千亜樹は冷徹に、


「その赤い剣は、誇り高き小さな少女の武器。おまえのような殺人天使が持つことはゆるされないわ」


 と、有鎖の首を切り落とせる間合いまで歩いた。

 中学生天使は泣きさけんだ。


「いやよ、有鎖は死にたくないのっ。せっかく天使になれたのにっ。殺さないで、殺さないでっ」


 腰からはえた翼が、おびえた感情をあらわすように縮小する。


「おまえが殺してきた人たちも、命ごいをしたはずよ。――人殺しを許すのは、人殺しを育てるのとおなじこと。あたしはおまえをゆるさない。地獄に行っても、泣きさけび続けなさいっ」


 赤いナイフが狂乱の中学生天使の白い首を斬り飛ばした。


 宝座有鎖、謀略の〈座天使ソロネ〉は、隻眼少女の断罪の刃で惨死した。


(残る天使は、火織をふくめて、あとふたり……っ)


 千亜樹は自己改造術・地獄堕遊を停止すると、少しずつ進んで、自身の右手首と右足首へたどりついた。すわった。まずは、靴をはくように右足首を切断面にあてた。続けて右手首をひろいあげ、右腕に接合する。

 千亜樹は、左手から攻性電気信号インパルスを発火させ、右手首から体内に送りこんだ。

 数十秒後、千亜樹は両足で地を蹴って頭上へ高く跳んだ。3回転しながら着地したときには両手にUTナイフをにぎっていた。


(よし、右手も右足も、完全に回復した……っ)


 異常ともいえる治癒速度は、〈光速改造ソウル・プロシージャ〉――千年冬眠の成果であった。

 人体は、睡眠時にもっとも高い効率で回復する。自己洗脳術により、高密度の圧縮睡眠状態となった桜木千亜樹の肉体は、堕天使の再生力をさらに高速化させたのだ。

 いま、千亜樹の全身は、千年の永き眠りからめざめた獣王のように気力体力がみなぎっていた。


 だが、千亜樹は、心身の充実と同時に、ある不安を感じていた。


(きょうは、〈光速改造ソウル・プロシージャ〉を使いすぎた……。たぶん、あと1回か2回しか使えない……っ)


 残る天使は――。

 赤目蒼眼のメイド少女、智原佐綾。

 八面玲瓏たる大量殺人鬼、連城火織。

 この天使ふたりが、ほかの天使をはるかに凌駕する戦闘能力を持つことを、桜木千亜樹は知らなかった。



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