殺人鬼を殺す者(01)
KillerKiller。
それは、殺人鬼だけを殺す殺人鬼。
月が雲にかくれ、またすぐに顔をだした。
風の夜である。
大気がわたっていく音が、地上にも轟々と聞こえている。
中空を駆けていた堕天使・桜木千亜樹は、街路のアスファルトにおりたった。
渋谷区北東部の高級邸宅街、天空座である。
(ここに、火織がいる……っ)
セーラー服の千亜樹は前方の大邸宅をにらんだ。
高層マンションを何棟も建てられそうな広大な敷地を、ぐるりと高い鉄柵がかこんでいる。広い庭園に植えられている数百本の木々は、すべて桜――ソメイヨシノである。淡紅色の花びらが咲きほこる春の絶景は、東京の桜百景に毎年選出されていた。
いまは6月。花を咲かせていない桜の木々は、しかし、千亜樹の記憶をゆりおこした。
1年前の春。
中学3年生の桜木千亜樹は、火織と、この邸宅の2階ベランダから庭園の桜を見ていた。
「絶景だねー、火織ちゃんっ。あたし、こんなすてきなお花見は初めてだよっ」
「千亜樹、よろこんでもらえてうれしいわ。お菓子のおかわり、いるかしら?」
「いただきまーす。はぁ、いま桜木千亜樹は、しあわせ絶頂ですよ。うふふふふ」
「……ねぇ、千亜樹。わたし、千亜樹にお願いがあるの」
「どうしたの、火織ちゃん。なんでも言ってよ」
「……言ったら、千亜樹、きっと怒るわ」
千亜樹は笑顔で、
「怒らないよ。あたし、火織ちゃんのためならどんなことでもがんばれるよっ」
「ほんとう!? あのね……」
「うん、なぁに、火織ちゃん」
「……わたしね、中学を卒業したあとも、もう3年間、千亜樹といっしょにいたいの……」
「んん、それってどういう意味? ま、まさか……」
「わたし、千亜樹とおなじ高校にかよいたいの。千亜樹にも風城高校に入学してほしいの」
「む、無理ムリ無理ムリっ。あたしの成績で風城高校に受かるなんて無理だよっ」
「いやよ、千亜樹。わたしのためならどんなこともがんばるって言ったわ」
と、火織は幼女のようなわがままな表情で言った。
「火織ちゃん、あたしの成績を知ってるでしょ? 5段階評価で5なのは体育だけだよ?」
「勉強なら、わたしが千亜樹の家庭教師になるわ」
「そんなこと言ったって、火織ちゃん、ヴァイオリンやピアノでいそがしいじゃない」
「……習い事は、ぜんぶ、きのうでやめちゃったわ。親も説得ずみよ」
「ぜんぶ? 習い事を、全部やめちゃったの!?」
「はい、やめちゃいました。両親を説得するのは大変だったわ」
「別々の高校に行っても、あたしと火織ちゃんは、ずっと友達だよ?」
「いや! 千亜樹とおなじ学校がいいの。千亜樹といっしょに高校生活を送りたいのっ」
「しかたない。火織ちゃんがそこまで言うなら、がんばって受験勉強してみるか」
「ほんとうに? ほんとうに、わたしといっしょの高校に行ってくれるの!?」
「うん、火織ちゃん。あたし、一生懸命、勉強するよっ」
――そして、千亜樹は奇跡的に風城高校に合格した。
双剣を逆手ににぎりながら、千亜樹はこぼれる涙をおさえられなかった。
(もう3年間、あたしとおなじ学校にいたい。そう言ったのにっ。あたしといっしょに高校生活を送りたい。そう言ったのに……っ)
千亜樹は、殺人鬼になるまえの幼なじみを想った。
幼稚園の火織。
小学生の火織。
中学生の火織。
おなじ高校に入学した笑顔の火織。
(幼なじみだった。10年そばにいてくれた。大好きだった。それなのに、あたしたちは、これから殺し合いを始めなきゃいけないんだ――)
強風が千亜樹の髪をさらった。
風が去ったとき、千亜樹のほほから涙は消えていた。
(殺そう。連城火織を殺そう。あたしの大好きだった幼なじみ――「火織ちゃん」はもういない。この先にいるのは、最悪の殺人鬼。風城高校700人殺し・連城火織。あたしが、堕天使・桜木千亜樹が、邪悪の天使を皆殺しにしてみせるっ)
眼帯少女は大邸宅の門扉にむかって歩き始めた。装備は、ブーツナイフが左右のショートブーツに1本ずつ。両手にナイフ。あわせて4本の、アルテマチタン合金製の赤いナイフである。能力は、敵をさわれば肉体と精神を一瞬で支配する〈光速洗脳〉。
千亜樹は鉄製の門扉を蹴り飛ばした。重量200キロ超の鉄のかたまりは、風に舞う紙のように吹き飛んだ。
千亜樹は広大な屋敷をにらんだ。
数々の列柱。
重厚な窓枠。
意匠をこらされた3階建ての白亜の洋館は、堕天使の隻眼には、黒い瘴気をたちのぼらせる魔城に見えた。




