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修羅の少女と羅刹の少女(02)

「きゃあああっ」


 菜々瀬は悲鳴をあげた。堕天使は頭部と心臓が無事であれば死なない。だが、白兎から受けたダメージは、致命傷ではなくても戦闘不能を強制する大裂傷であった。

 菜々瀬は切断面を左手で押さえてひざをついた。


「菜々瀬ちゃんっ!」


 千亜樹の眼前までせまった黒兎が、


「桜木さん、他人の心配をしているひまはないよっ」

 と巨大剣を真一文字に振りおろした。

 ほとばしる雷刃、

 横にかわそうとする千亜樹。


 堕天使・桜木千亜樹の左肩に大剣の刃がもぐりこみ、眼帯少女の左腕は付け根から斬り飛ばされた。


 しかし、戦慄したのは能勢黒兎であった。

 千亜樹は斬撃を受ける瞬間、ナイフ二刀をすてて素手となり、みずから上空に跳んでいた。


 左腕を斬られたのではない。斬らせたのだ。


 隻眼隻腕の堕天使は何をするつもりなのか。

 空中の千亜樹が右手を黒兎の頭部にむけた。とどかない。

 だが、眼帯少女は言った。


「あたしの勝ちよ、くらえ、〈光速洗脳ソウル・ハッキング〉!」


 突然、千亜樹の右腕が異界生物の触手と化して黒兎へ伸びた。――いや、ちがう。眼帯少女の右手は、飛ばされた左腕の切断面をにぎっていた。


 千亜樹は、切断された左腕を右手でにぎって〈光速洗脳ソウル・ハッキング〉の間合いを増長させたのだ。


 眼帯少女の右手から攻性電気信号インパルスが発火する。にぎられた左腕は微弱電流を受信し、黒兎の頭部にむけて五指をひらいた。人体の筋肉は、伝えられた電気刺激によって動作するのだ。

 千亜樹の"左手"が黒兎のひたいをつかもうと伸びる。

 黒衣の天使は逃げようと後退する。

 速いのはどちらか――。


 黒兎は剣を盾代わりにバックステップして、千亜樹から7メートル離れた。

 千亜樹は左腕をにぎったまま着地する。


「黒兎、黒兎、だいじょうぶっ!?」

「白兎、だいじょうぶだよ。ボクは桜木さんにさわられなかった。……桜木さん、切られた腕をにぎって間合いを伸ばすというのは、とてもすばらしい起死回生の技だったよ。ボクはキミの機転を尊敬しよう。でも、いまからすぐにお別れだ。キミのナイフは2本とも床に落ちている。ひろう時間はあたえない。ボクをさわって電流を送ろうとしてもムダだよ。一度見せた奇襲はもう通用しない。さぁ、殺してあげようっ」


 黒兎が疾走し、上段から高速斬撃をくりだした。

 赤い大剣の刃は、左肩から心臓を断ち切り、右腰からぬけて肉体を真っ二つにした。上半身が切断面をすべる。


「……黒兎、どうして……?」


 と、大剣に切断された白兎は最期につぶやいた。


 能勢白兎、享楽の〈力天使ヴァーチャー〉は、姉に体を切り裂かれ絶望の底で命をうしなった。


 白兎の死体は前後に倒れた。

 巨大斧が落ちて轟音を鳴らした。

 黒衣の天使は数秒絶句してから、


「……なぜ、どうして白兎が倒れているんだ? ボクはたしかに桜木さんに斬りかかった。ボクが斬ったのは桜木さんだった。……ボクは桜木さんにさわられていないっ。幻覚を見るはずがないっ。あああ、殺してしまった、ボクが白兎を殺してしまったっ。白兎、白兎……っ。か、体が動かない。なぜだ、どういうことなんだっ」


 黒兎は涙をながしながら絶叫した。世界を呪う声だった。巨大剣を下段にかまえて不動を続ける。

 千亜樹は、ひざ立ちの菜々瀬に駆けよると、ゆっくりと寝かせた。千亜樹自身の左腕を床に置く。代わりに、切り飛ばされた菜々瀬の右腕をひろいあげて菜々瀬の切断面と合わせた。

 菜々瀬のダメージは大きいが、命に別状はない。時が経過すれば、堕天使の再生力が菜々瀬の胴体と右肩を接合してくれるだろう。


 千亜樹は自分の左腕をひろい、肩の断面にあてた。ゆっくりと歩いて黒兎のまえに立つ。


「桜木さん、キミだな、キミが、ボクに幻覚を見せたんだなっ!? よくも、よくもボクに白兎を殺させたな。一体なにをしたんだ? キミの能力は敵に直接さわって初めて発動するはずだ。どうやってボクをさわらずに洗脳した? 答えろっ」

「あたしは、おまえに左腕を切り飛ばされたすぐあとに、切られた腕を使っておまえにさわったわ」

「なんだって!? ボクは、さわられていない。さわられたおぼえはないっ」

「おぼえがないのは当然よ。――あたしはおまえにさわった瞬間、おまえから『さわられた』という記憶を消した。だから、おまえはおぼえていない。そして、なにも知らないおまえは勝利を確信して、あたしをふたつに切り裂いて殺した。幻のあたしをね。おまえが現実に斬ったのは、血をわけた双子の妹だったわね」

「やってくれたね、桜木さん……。でも、ボクはいまでも信じられない……。ボクが斬った幻の桜木さんは、斧を持っていなかった。幻の桜木さんのそばに原田さんは見えなかった。幻覚で白兎を桜木さんだと錯覚したとしても、大きな斧や原田さんは見えるはずだっ」

「菜々瀬ちゃんや斧が見えなかったのも、わたしがおまえの脳に送りこんだ幻覚よ。幻覚は2種類あるの。存在しないものが見えてしまう幻覚と、存在するものが見えなくなってしまう幻覚のふたつがね」


 実在しないモノが見えてしまう幻を【 陽の幻覚 《ポジティブ・ハルシネーション》】、

 眼前にあるモノが見えなくなる幻を【 陰の幻覚 《ネガティブ・ハルシネーション》】と呼ぶ。


 堕天使・桜木千亜樹は、陰陽のまぼろしをあやつる最強の幻術師であった。


「ゆるさない、ボクはキミをゆるさないぞ、桜木さん……っ」


 と怨嗟の声をあげる黒兎。

 千亜樹は、眼光炯々と黒衣の天使をにらんで、


「……ゆるさないのは、あたしのほうよ。おまえたち双子に鬼火のみんなを殺されて、あたしと菜々瀬ちゃんは必勝を誓った。おまえたちをらくに死なせる気はなかった。だから、白い天使はおまえに殺させた。おまえの妹は、姉に切り裂かれて絶望しながら死んだ。今度はおまえが絶望する番よ。……おまえは、菜々瀬ちゃんが戦闘にむいていないと言ったわね。大はずれよ。菜々瀬ちゃんは天才軍師。おまえたち双子は、菜々瀬ちゃんの策にはまったんだから」

「なんだって!?」

「あたしは、鬼火の本部へ走るあいだに、『腕をわざと切らせて、その腕をつかんで間合いをのばす』という作戦を思いついた。でも、どうやって確実に腕を切り飛ばさせたら良いか、思いつかなかった。そして、菜々瀬ちゃんが戦略をたててくれたの。おまえたち双子が重力使いだと見ぬいていることをわざと伝える、という戦略を。伝えた結果、おまえたちは気のゆるみを消した。最速の垂直攻撃であたしたちを殺そうと決めたわね。――このとき、おまえたちの負けはほとんど決まっていたの。重力をあやつって巨大武器からくりだす垂直攻撃は、たしかに速いわ。でも、完全にかわす気がなければ、わざと腕を切らせる覚悟があれば充分に対応できた。あたしがおまえにさわることができたのは偶然じゃない。菜々瀬ちゃんがおまえたち双子を罠にかけてくれたの」


 黒兎は言葉もない。強い崩壊感が心をみたしていた。

 眼帯少女は、右手をゆっくり肩からはずした。左腕は落ちなかった。右手の五指をひらいて黒兎の頭にむけながら、


「ようやく、おまえに切り飛ばされた左腕が肩につながったみたいね。左手を動かすのはまだ無理だけど、右手はもう使うことができる。さぁ、ほんとうに絶望するのはこれからよ。――連城火織の居場所、教えてもらうわっ」


 千亜樹の右手が黒兎のひたいをつかんだ。能力〈光速洗脳ソウル・ハッキング〉を発動させ、黒兎の脳に攻性電気信号インパルスを送りこむ。

 黒兎の目は、千年の拷問を受けたように生気をうしなった。


「さぁ、最初の質問よ。連城火織はどこにいるの?」


 黒兎は虚脱状態で自白をはじめる。


「……火織様のお住まいは、東京都渋谷区の天空座てんくうざ1丁目、連城家の別宅。3階建てのお屋敷……」

「天空座っ。やっと、やっと火織の居場所がわかったわ。あの別宅なら、あたしも行ったことがあるっ。――次の質問よ。火織の仲間の天使は、あと何人いるの?」

「……火織様にお仕えする天使は、ボクのほかに、あと3人……」

「3人全員の名前と、天使能力を言いなさい」


 堕天使の命じるままに、黒衣の少女は天使たちの秘密を明かし始めた。


主堂しゅどうツミ。能力は〈裂殺魔眼サーチ・アンド・デストロイ〉。

 見つめるだけで敵を八つ裂きにする魔眼使い。


・宝座有鎖。能力は〈千里邪眼パース・マーダー〉。

 天使を監視・読心できる千里眼の使い手。


・智原佐綾。能力はわからない。

 視たことがない。


 千亜樹は隻眼を光らせて、


「3人の天使のなかに千里眼使いがいるのね!? そいつは、いまもおまえを遠隔透視して、火織に状況を伝えているのね!?」

「……そうだ。……有鎖は能力を使って、ボクたち双子を見ている……。火織様に、伝えている……」

「いいことを聞いたわ。次は、連城火織の能力を教えなさいっ」

「……火織様の天使能力は…… わからない、知らない……。ただ、ボクたち天使のだれよりも強大な能力だ、と、ほかの天使が言っていた……」

「そう、知らないの。残念だよ。もう聞きたい情報はないわ。――でも、火織に伝えたいことはある。千里眼使いの天使、いまも見ているわね? あたしの声が聞こえるわね?」


 千亜樹は、全身から殺気をゆらめかせながら、


「連城火織に伝えなさい。――1時間以内に、桜木千亜樹がひとりで天空座に行くよ。そして、天使3人をひとり5分で殺す。連城火織も5分で殺す。火織の命は、あと80分で終わりよ」


 必殺の宣言を、千亜樹は荘厳と言いはなった。

 洗脳状態の黒兎は、だが、慄然と眼帯少女の宣誓を聞いた。火織たち天使をひとり5分で斃すとは、なんと大胆な、と総毛だった。


 千亜樹はナイフをひろった。ナイフをにぎった右手の人差し指を黒兎のひたいにあてて、


「さぁ、黒い天使、おまえを殺すよ。でも、簡単には死なせない。鬼火のみんなを殺したこと、いままでに人を殺したことを後悔させてあげる。天使にならなければよかった、と血の涙を流すといいわ」


 千亜樹が攻性電気信号インパルスを黒兎の脳へ送りこんだ。

 黒兎が、全身の力をふりしぼってさけぶ。


「……ああっ、やめろ、やめてくれ、桜木さん。ボクが悪かった。それでボクを殺すのだけはやめてくれっ。……いやだ、それだけは、いやだっ」


 黒兎は幻像を見ていた。眼前に隻眼の堕天使はいない。代わりに、白いロリィタ服の美少女が、いたずら好きな小悪魔のような笑顔で立っていた。黒兎の双子の妹、能勢白兎である。

 幻の白兎は、笑顔のままで巨大斧をゆっくりと振りあげる。水平斬撃が走った。

 同時に、現実の千亜樹は赤いナイフで黒兎の首を斬り飛ばしていた。


 能勢黒兎、悦楽の〈能天使パワー〉は、幻の妹に斬首されて慟哭どうこくしながら死没した。


 千亜樹は、落ちる黒兎の生首に見むきもせず、横たわる菜々瀬に駆けよった。両ひざをついて、


「菜々瀬ちゃん、だいじょうぶ!? わたしたち、勝ったよ。双子の天使を斃したよ。……鬼火のみんなのかたきをとったよっ」


 千亜樹の瞳から大粒の涙がこぼれ、菜々瀬のほほに落ちた。


「千亜樹さん、やりましたね……」


 と言った直後、菜々瀬は血のせきを吐いた。白兎に切り裂かれた肺が完治していないのだ。


「菜々瀬ちゃん、しゃべっちゃダメ。じっとしていてっ」


 鬼火隊員たちがやってきた。地下3階の司令室で生き残った隊員である。モニター映像で堕天使たちの勝利を確認したのだ。

 朝霧地鶴が、眼帯少女の手をにぎって言った。


「……千亜樹ちゃん、菜々瀬ちゃん。天使を斃してくれて、ありがとう。ほんとうにありがとう。心からお礼を言うわ」


 千亜樹は涙をためながら、


「朝霧さん、ごめんなさい。あたし、また、まにあわなかった。鬼火のみんなを助けたかったのに、まにあわなかった……っ」


 朝霧は首をふってから眼帯少女を抱きしめて、


「いいえ、千亜樹ちゃん。あなたはまにあったのよ。あなたたちが予定帰還時刻よりはるかに早く帰ってきてくれたから、ここにいる隊員たちは生きて立っているの。副指令――菜々瀬ちゃんのお父さんも無事よ。死んだ隊員たちも千亜樹ちゃんたちの戦いを見ていたはず。動かなくなった天使たちを見て、彼らの魂は、きっとやすらかに眠れるわ」


 千亜樹は、顔を朝霧地鶴の胸にうずめて、


「ありがとう……朝霧さん……」


 と伝えた。


「千亜樹ちゃん、悲しむより、死んだ隊員たちに感謝してあげて。彼らは勇敢に戦ったわ。凶暴邪悪な生物である天使たちに対して、一歩も退かなかった。最期の瞬間まで天使を斃すつもりで戦った。あなたたち堕天使がもどったら、かならず天使に勝てると信じていた。……千亜樹ちゃんは、いま泣いてもいい。でも、どうか泣き続けないで。死んでいった隊員たちの意志をひきついで、涙をふいて立ちあがって……」


 朝霧は強く強く、16歳の隻眼少女を抱きしめた。

 千亜樹は号泣してから、やがて、声をとめた。朝霧地鶴から体をはなして、


「朝霧さんたちに、ご報告することがありました。連城火織の現在地がわかったんです。渋谷区天空座1丁目です。連城家の別宅に、火織と、火織にしたがう3人の天使がいます」


 隻眼は涙をながしていなかった。


「連城火織の居場所がわかったの!? うれしい知らせだけど、……残念だわ。いま、鬼火に戦闘要員はほとんど残っていないの。連城火織を襲撃するには戦力がたりない。逆に、天使にまた本部を襲われないように、私たちのほうが場所を変えなければいけないわ」


 千亜樹は凛とした表情で、


「あたしが、いまからひとりで連城火織と戦います。火織と3人の天使、あわせて4人の天使を斃します」


 と告げた。朝霧地鶴に、生き残った鬼火隊員に、横たわる菜々瀬に、死んだ隊員の魂に伝えるための誓いだった。

 朝霧地鶴は声をあげた。


「なんですって!? 無茶よっ」



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