魂の支配者(07)
ミサの眼球に刃が突き刺さった。
千亜樹は横なぎに剣をふりぬく。剣先では、えぐりぬかれた眼球が視神経を尾のようにゆらしていた。
「ギャアアアアアアアアアアアアッ」
ミサは、生きたまま目玉をくりぬかれた痛みに絶叫して、両手で頭を抱いた。
ゲーム機が屋根に落ちる。
千亜樹は無傷だった。
千亜樹は、風より速い突きを天使の『右眼』に撃ったのだ。
眼球をぬきとられる地獄の激痛を、眼帯少女はだれよりも知っている。
菜々瀬がナイフを投げたとき――、
真の標的はミサのふとももではなく、腰より長い髪だった。刃は毛先を切ったが、菜々瀬の髪は切られなかった。権守ミサの髪よりも短かったからである。
菜々瀬は、殺人天使の毛先を切っても自分の髪が切られないことから、ミサの〈斬響魔眼〉に無効範囲を確認したのだ。
ミサを刃で両断しようとすれば、剣士が先にふたつになって死ぬだろう。
だが、右腕だけを持つ隻腕剣士がミサの左腕を切り裂いた場合、剣士は無傷なはずであった。ミサに左腕があっても、剣士にはないからだ。
以上の分析を、千亜樹と菜々瀬は稲妻より速く実行したのだ。
そして、千亜樹はミサの右眼をつらぬいた。
千亜樹は、過去、堕天使になる瞬間に右眼球をひきぬいている。右眼はない。だからこそ、無傷でミサの右眼球をえぐりだすことができたのだ。
右眼があった穴から血涙をながして苦悶するミサ。
眼帯少女は、天使の左まぶたにさわって〈光速洗脳〉の微弱電流を送りこんだ。
ミサの意志に反して左まぶたが閉じられる。ミサは視界をうしなった。魔眼は封じられたのだ。
隻眼の堕天使が発した攻性電気信号の成果であった。
「おまえの両目はもう見えない。さぁ、連城火織の居場所を教えてもらうわっ」
と千亜樹が催告すると、
ミサは信じられない行動をとった。
「火織様は、我ら天使をみちびく美しき天使長。光よりもまぶしい高貴なる存在。貴様の能力で、火織様を裏切るくらいならばっ」
ミサはカミソリで、自身の首を傷つけた。
ミサは左目をとじている。すなわち、自分のまぶたの裏側を見ているのだ。
天使の首の切り傷は、深く広がってめりめりと裂け、ミサの生首は血の泡をふきながら駅舎の屋根に落ちた。
首なし死体は大の字に倒れた。
権守ミサ、慢心の〈権天使〉は、隻眼の堕天使に追いつめられて自害した。
屋根上の千亜樹に広場から歓声があがった。菜々瀬と隊員たちが手をふっている。右腕をうしなった隊員は応急処置を受けており、命に別状はなさそうだった。
だが、眼帯少女は歓呼の声に応えず、悲しげに広場を見おろした。
23人の遺体が『桜木』町の駅前広場に倒れていた。天使は、桜木千亜樹をおびきだすために、この地を殺戮の舞台に選んだのだ。
(あたしのせいで……、ごめんなさい。まにあわなかった。あなたたちを助けたかった。死なせたくなかった。ごめんなさい……)
小さな堕天使――原田菜々瀬は、隻眼から涙をながす眼帯少女をだまって見あげていた。
「火織さま、ご報告があります。お時間をいただいてよろしいでしょうか」
ろうそくを明かりとする幽暗な部屋で、ショートソフトボブの中学生天使が言った。部屋のすみに立って火織を見つめている。
世にも美しき〈熾天使〉連城火織は、部屋の中央でコーナーソファーに座していた。風城高校の制服と黒ストッキングを着用している。側頭部からはえた白い翼が、ソファーに羽根の先端を休めていた。ひざに黒い子猫を乗せ、背中をなでている。
猫は、ドラゴンズ・トレジャーという希少種である。
黒猫が目をひらいた。ルビーアイが妖しくきらめく。
火織のうしろには、赤目蒼眼のメイド美少女・智原佐綾が黙して立っていた。
連城火織は中学生天使に声を返した。
「いいわ、有鎖。話してちょうだい」
名前を呼ばれた中学生天使・宝座有鎖は、火織に報告を始めた。
「……来須さんとミサさんのふたりが、堕天使・桜木千亜樹とその仲間に殺されました。桜木千亜樹は、直接さわることで敵の肉体と精神をあやつる能力を持っています。相手の体内に電流を送りこみ、洗脳する能力です。洗脳された来須さんは、火織さまのお住まいが渋谷区だ、と桜木千亜樹に告げてしまいました。渋谷区だということ以上の詳細は伝わっていません」
「……そう、来須とミサが死んだの。悲しいわね。わたしは来須の声が好きだった。ミサの黒髪をさわるのも好きだったわ。わたしたち八天使は、六天使になってしまったわね。でも、有鎖、あなたの能力があれば、新しい天使をみつけることができる。有鎖、期待しているわ」
有鎖は、ほほをそめて答えた。
「はい、火織さまのため、全力をつくします」
宝座有鎖の天使能力は〈千里邪眼〉。遠隔地にいる天使を観察して、おおよそならば心を読むこともできる。また、自殺した少女が天使になった場合、新天使の誕生を感知することができた。人間や堕天使を観察・読心することはできないが、火織たち天使にとって貴重な能力であった。
「火織さま、有鎖はこれから外出したいと思います。きょうはまだ3人しか殺していなかったので、胸がうずいてきました。もう3人ほど殺害したいと思います」
「有鎖、おそくなってはだめよ」
と、火織は、中学生天使の目を見て言った。
宝座有鎖は深々と礼をして退出した。
部屋に火織と佐綾が残った。
「火織お嬢様、今後は桜木千亜樹に対して、いかがなさるおつもりでしょうか」
佐綾がたずねた。赤と青の双眸が火織を映している。
「そうね、黒兎と白兎のふたりを行かせるわ。佐綾、あのふたりを部屋に呼んでちょうだい。わたしからあの子たちに、とっておきの贈り物をわたす予定があるの。それから、黒兎と白兎が来るまえに、部屋の明かりをすべて消してくれるかしら」
「かしこまりました、すぐふたりを呼びますのでお待ちください」
と佐綾は答えた。しかし、動かない。
十数本のろうそくの火が消えた。
微風も吹いていない。どうやって消えたのか。
部屋のドアがゆっくりひらいた。
だれも開けていない。どうやって開いたのか。
また扉が動いた。閉まったのだ。
――だれもさわらないのに開閉するドア。風城高校全校生徒殺人事件とおなじ現象であった。
数十秒後、ふたりの少女が闇の部屋をおとずれた。
少女のひとりが、
「――火織様、佐綾さんのお呼びにより入室させていただきました。黒兎です」
もうひとりも言う。
「――火織様、佐綾さんのお呼びにより入室させていただきました。白兎です」
火織は子猫をなでながら、
「黒兎、白兎。あなたたちに贈り物があるの。とてもすてきなモノよ。この部屋に置いてあるわ。箱が見えるかしら?」
いま、部屋に明かりはない。扉の下と床とのわずかな隙間から、廊下の光が弱々しく部屋へ伸びているだけだ。
だが、黒兎と白兎の天使眼は、すぐに『箱』をみつけた。
黒兎が言う。
「火織様、これでございますね。ああ、大きな箱がふたつ。中身を見るのが楽しみです。いますぐ、あけてもよろしいでしょうか?」
偉容をほこる箱だった。縦長の木箱がふたつ、天井に摩する高さまでそびえている。巨人の棺桶を立てたようだ。
全校生徒700人を殺した美少女は、ほほえみながら言った。
「いいわよ、あけてちょうだい。わたしも、あなたたちがよろこぶ顔を見たいもの」
黒兎と白兎が、それぞれ同時に木箱のふたをはずした。中を見て感嘆の声をあげる。
「あぁ、これはなんてすばらしい……。ボクたちにぴったりのモノですね」
と、黒兎。
「うっとりとしてしまいます。ワタシたちだけが使いこなせるモノですわ」
と、白兎。
火織が問いかけた。
「黒兎、白兎。それを使ってなにをするべきか、わかるわよね?」
「もちろんです、火織様」
と黒兎はほほえんだ。
「コレを使って、かならず桜木千亜樹の首を持ち帰ってきますわ」
と白兎はほほえんだ。
火織は満足そうに、
「行きなさい、双子の天使たち。千亜樹の首をたのしみに待っているわ。それから、もうひとつ命令よ。目ざわりな、対天使特殊戦闘部隊の本部をつぶしなさい。――場所は、もうわかっているわ」
『はい、火織様』
一卵性双生児、能勢黒兎と能勢白兎は同時に答えた。寸分ちがわない顔であった。
だれがつけたのか、部屋のろうそくが次々と炎をゆらめかせた。