魂の支配者(01)
KillerKiller。
それは、殺人鬼だけを殺す殺人鬼。
■3章 魂の支配者
高さ196メートルの横浜ランドマークタワーは、地上の惨劇を天空から見つめていた。
22時。
神奈川県横浜市・桜木町駅の駅前広場で十数体の死体が倒れていた。
約2千平方メートルの広場に、いまも男女の悲鳴があがっている。
「た、助けてくれ……。殺さないでくれっ」
と哀願した瞬間、サラリーマンは頭頂から股間まで、鯨包丁の刃で両断された。
巨大な刃物である。刃わたりが80センチ以上あった。
凶悪な武器を右手だけでふりおろしたのは、眼鏡の少女だった。たのしそうに笑いながら、
「あらん、腰まで切断するつもりだったのに、つい真っ二つにしてしまったじゃない。加減をまちがえちゃったわん。75点、というところかしらん」
耳が見えるベリーショート。切れ長のつり目を青い眼鏡がいろどっている。ブラウスから、水色のネクタイがゆれている。スカートから伸びる足は、連続殺人の場でなければ男女がふりかえる美脚であった。一番の特徴は、むきだしの両肩から広がる白い翼である。
大蔵来須、16歳。高校1年生。
天使であった。
眼鏡少女は次の獲物に近づいた。
バス停のそばに、20代後半のパンツスーツOLが地に腰をつけている。
OLは蒼白の表情で、
「助けて……。お願い、5歳の娘がいるの。こ、殺さないで……」
「あらん、お子さんがいるのね。アタシ、子どもは好きよ。いいわ、30秒だけ見のがしてあげる。そのあいだに逃げなさい」
来須は笑顔を見せた。
OLは走り始めた。ハイヒールが音をたてる。
10秒後。
OLはふりむいた。
来須は動いていない。
20秒後。
OLは照明灯の横をぬけた。ふりむいた。
来須は動いていない。
30秒後。
OLは駅の入口にたどりついた。ふりむいた。
来須がいない。
おどろいたOLが、
「えっ」
と息をのんだとき、OLの体に影がかかった。桜木町駅の入口に、立ちふさがるように翼の少女がいた。
天使の脚力で追走すれば、30秒を走った人間との差など一瞬でなくなるのだ。
「うふふ、約束は守ったわよん」
来須は、高い悲鳴を聞きながら鯨包丁をふりおろした。刃が頭蓋骨を割る感触、脳をとおる感触、背骨をひとつひとつ砕いていく感触を、右手でたっぷりと味わっていた。
包丁はOLの頭・胸・腹を切り裂き、腰の位置でとまった。
OLの上半身が左右にかたむき、死体は駅前広場の床タイルに倒れた。
来須は、たっぷりと返り血をあびて、
「あははっ、できたわん、Yの字人間ができたっ。この死体、100点満点。よくできました。あははははははははははははははっ」
高らかに笑った。人面獣心の少女であった。
笑い続ける来須に、声を投げる男がいた。
「そこまでだ、武器をすてろっ」
緊急配備された5人の警察官だった。
全員が38口径の拳銃を来須にむけている。返り血の眼鏡少女まで、約5メートル。必中必殺の距離である。
来須は、体ごと警官たちへむきなおり、
「天使に、そんな小さな銃で勝てると思っているのねん。うふふ、おろかな人間たち」
と銃口へまっすぐに歩きだした。
「いいわよん、撃ちなさい。アタシを殺せればオマエたちの勝ち。銃弾がなくなったらアタシの勝ち。アタシが勝ったら、オマエたち全員を殺すわよん」
にじりよる眼鏡少女から立ちのぼる鬼気に、警官たちは耐えられなかった。
「う、撃て!」
5人全員が発砲した。全弾、ふとももに命中した。
マグナム弾は、少女の足を貫通して歩行能力をうばいさり、殺人犯を地に這わせるはずだった。
飛弾は貫通しなかった。
来須のふとももに、黒い5つの点穴がうがたれていた。血は流れなかった。傷口が盛りあがり、なにかを地に落とした。5発の弾丸だった。
来須は、ほほえみながら手を左右に伸ばした。十字架のポーズで歩き続ける。
「撃て、撃て、撃て!」
乱射した。
来須の頭に、胸に、腹に、黒い傷口ができて少女は歩みをとめる。それだけだった。命中した銃弾は体からこぼれおち、傷はなめらかな肌に変わった。
拳銃の引き鉄がカチカチと鳴る。撃ちつくしたのだ。
「う、うわああああああっ、バ、バケモノだっ」
警官たちは、来須に背を見せて走りだした。
「逃げるのはルール違反よん。こっちだって痛いのをガマンしたんだから。全員殺すと言ったでしょう? 高貴なる天使の力、見せてあげるわん」
大蔵来須が、警官のひとりに左手をむけた。手のひらが蛍火のように光る。
天使に凝視された警官は、走りながら胸に違和感をおぼえた。一番若い男だった。巡査である。
別の警官が、
「お、おい。おまえの胸っ」
と声をかけた。
巡査は胸部を見てさけんだ。
「なんだ、これはっ」
左胸が空洞になっていた。服もない。体もない。穴をとおして地面が見えた。
第六感にうながされ、巡査はふりかえった。
殺人狂の少女が、光る左手に脈打つ心臓をにぎっていた。
巡査は本能で、少女に絶叫した。
「や、やめろ、やめてくれ。おれの心臓を返してくれっ」
来須は舌なめずりしてから、赤い臓器をにぎりつぶした。生き血が大輪の花火のように散った。
「がはっ」
と巡査は血を吐いて倒れた。左胸の空洞は消えていた。
別の警官に空洞が生まれ、巡査にかさなるように死転した。
来須がふたつめの心臓をにぎりくずしたのだ。
警官たちは次々と地面に激突し、最後のひとりも白目をむいて即死した。
これこそが、大蔵来須の天使能力、
〈心臓強盗〉。
手のひらをむけるだけで敵の心臓を召喚し、にぎりつぶして絶命させる――。
遠殺自在の恐るべき天使を相手に、堕天使・桜木千亜樹と原田菜々瀬はどうやって戦えばいいのか。
来須は、足元にころがった5つの心臓を満足気に見つめながら、夜空を裂く轟音を聞いた。
ヘリコプターが、時速200キロで近づいてくる。
「うふん、ようやく本命のおでましかしらん?」
死屍累々の広場で、冷血の殺人天使は不敵にほほえんだ。