苦しみを背負う者
サイが無事に屋敷から脱出した、その一時間後――。侍女によって発見されたリリアは、深い眠りについていた。安堵するやら、呆れるやらした面々を尻目に、彼女はそのまま三日三晩眠り続けた。
――彼女は一体、どうしてしまったのだろうか。サイの言葉にショックを受け、現実逃避に走ってしまったのだろうか。……それは、違った。彼女は決して、苦神としての役目を放棄したわけでは無かった。
サイの話を聞いた直後、彼女は思考の海に叩き落された。彼女に取って必要だったのは、誰にも邪魔される事無く、今までの自分を振り返る時間――。しかしそのためには、莫大な時間が必要だった。何しろ、彼女には数千年の記憶があるのだから。
数百年ぶりに記憶を辿るリリアは、見かけ上深い眠りについた。それが一番、体力の消耗が少ないからだ。幾年にも渡る夜を越え、再び目覚めた時――。彼女の目には、新しい光が宿っていた。
「……」
寝台の上で静かに目を開けたリリアに、側で寝ずの番をしていた侍女は歓声を上げた。
「リリア様!」
「リリア様!」
早速あれやこれやと世話を焼こうとした彼女達を制し、リリアはただ一言、サギを呼んで来る様に言った。
「これはこれはリリア様! よくぞご無事で」
すぐに飛んできたサギは、満面の笑みをリリアに向けた。
「早速、宴の準備を――」
「その必要は無いわ」
これまでの彼女からは信じられない程の冷たい声を放ったリリアは、自分の言葉を遮られてむっとしている彼に言った。
「私、やっと目覚めたわ」
「……目覚めたとは?」
リリアはその問いには答えず、ふっと妖艶に笑って言った。
「一月と三日後に、白米村に招かれざる大蛇が訪れるわ」
「――ま、まさか……そんな馬鹿な!」
サギはその言葉に、顔面を蒼白にさせてがたがたと震えはじめた。
――招かれざる大蛇とは。太古の昔より語り継がれる、八つの首を持つ伝説の怪物だ。白蛇が降り立つまでは、毎年現れては村々に破壊の限りをつくしていた。
「私が嘘を言っているとでも言うの?」
「……あ、あなた様が来られて以来、大蛇は鳴りを潜めていたではありませんか! それが、またどうして……?」
サギが震えるのも、無理は無かった。白米の村は、白の国でも有数の豊饒の大地であり、言わば国の食糧庫だ。数か月先に収穫の時期を迎える田んぼでは、大事な大事な米がすくすくと育っている途中である。もし、今大蛇の襲撃を受ければ、それらは全て失われることになる。
白の国が急速に発展したのも、無理な領土拡大に耐えられるのも、全て食料がしっかり確保されているからこそ。飢餓による不満は民衆を動かし、大臣である自分に刃向ってくる……。サギにはそんな未来が、はっきりと見えていた。
「――大蛇とは、争いこそを好むもの。 今の白の国は、眠れしものを呼び起こすには十分だったということね」
サギが傘下に置いた村は、新たな武器を作るための奴隷となった。村民は休む暇もなく山で木々を斬り倒し、一部を武器に、残りは燃料へと変えた。そうして出来た新しい武器は、また別の村を、禿山へと変えていった。サギは図らずも、大蛇を呼び起こしやすい環境を作っていたのだ。
「……白蛇様。 どうか我々に、救いの手を……。 お願いします」
恥も外聞も無く、リリアの前に平伏すサギ。リリアは彼を冷たい目で見降ろしていたが、ややあって口を開いた。
「あなたは、白蛇伝説のことを覚えていて?」
「そ、それは勿論……!」
ハッと顔をあげる、サギ。
「なら話は簡単ね。 私が言っている意味、分かるでしょ?」
「で、ですが――」
「――この国を救いたいの? 救いたくないの? 早く動きなさい!」
「ひいぃ」
リリアが一括すると、サギは転がる様に部屋を出て行った。それを見送りつつ、彼女は深い深い溜息をついた。
「……全く。 こんなことにも、気付かなかったなんて」
彼女はとても、怒っていた。それはこんな状況に自分を追い込んだサギに対する怒りか、それとも知らず知らずのうちに追い込まれた自分への怒りか。彼女が小手先だけの力しか使わなくなってから、白の国を取り巻く環境はあまりにも変わり過ぎていた。
「……苦神とは、人々の苦しみを背負う者。 白蛇神、私はやっと、その役目を果たせるわね」
ふっと自嘲気味に笑う、彼女。寂しげなその横顔を見ているのは、窓の外で薄ら光を放っている三日月だけだった。
その日、白の国では一つの知らせが出回った。それは勿論、しばらく眠りについていた白蛇が無事に目覚めたと言う吉報で、人々は皆大いに喜んだ。大臣であるサギはこれを祝し、国中の語り部を徴集すると白蛇伝説を語る様に命じた。
「やっぱり白蛇様は、素晴らしいお方だなあ」
「……ああ」
屋敷の警備を担当しているサイも、また白蛇伝説を耳にしたうちの一人だった。彼は仲間が呑気に喜んでいるのに合図地を打ちつつ、一人懐疑的だった。
「……なあ。 何でこの時期に、白蛇伝説なんだ?」
「さあな」
「……大臣が、理由なしにこんなことをするはずがないと思うんだが……」
「考え過ぎじゃねえの?」
あんまり悩むと禿げるぞと言って、仲間は去って行った。残されたサイは、ちらりと屋敷の方を見ながら美声を張り上げる語り部に耳を傾け続けた――。




