脱走
時は遡る事、一千年前――。白蛇神が降り立ってこの方、彼の下に集う人々は爆発的に増加していった。最初は五十人程の村だった物は、いつのまにか“白の国”として、赤の国と並ぶ二大勢力として栄える様になっていた。
国が大きくなればなる程、自然と人々の間には差が生まれる。最初は明日を生きるために、互いに協力しあっていた人々は。いつしかはっきりとした上下関係の下に暮らす様になった。
彼らの優劣を決める物、それは――“力”の差だった。今では信じられないことだが、当時の白の国の人々は、使える量に限度はあれど苦神と同じ力を使うことが出来たのだ。
この様な世界において、自然をも凌駕する力を行使するリリアは当然最も高貴な“神”としての地位を与えられていた。しかし、リリアが崇め奉れていたのはそれだけが理由ではない。
他の者には無く、リリアだけが使える力――。それは、他人に自分の力を分け与えることだった。人には生まれつき、体内に貯めることが出来る力の量が定められていた。当然力を使い切ってしまえば、自然に力が回復するまでは再びその力を使うことは出来ない。一方リリアは、元々無限大の用量を持っているため使い切る心配など無く、あまつさえその力を惜しげなく他人に分け与えることが出来たのだ。
「リリア様、朝のお仕事のお時間です」
「――ええ」
リリアが力の受け渡しを行うには、相手に直接手を触れなければならない。しかしいくら何でも、全国民と握手をして回るわけにもいかなかった。そこで――。
リリアは聖なる真珠で出来た数珠を眼前にかざし、力を込めた。
「――人々に安らぎを。 白蛇の光!」
キーンという高い音と共に白い光を放ちだした数珠は、意図が切れたかの様にパッと散ると霧の様に消えてしまった。一粒一粒にリリアの力が込められた真珠は、リリアの代わりに国中を飛び回り、人々に力を与えるのだった。
「ありがとうございます、リリア様」
「良いのよ、サギ」
一仕事を終えたリリアは、この国の宰相であるサギにニッコリと微笑みかけた。
「国の皆様の幸せのためなら、私はいくらだって力を分け与えるわ」
「誠にありがたいお言葉ですな」
サギは白い顎鬚を撫でつつ、しかし――と呟く様に言った。
「最近の我が国には、リリア様の力を使わない不届き者がいるのです」
「――まあ! それは本当なの?」
リリアは彼の呟きを聞き逃さず、大袈裟とも言えるぐらいに反応した。彼女に取って、人々に自らの力を分け与えるということは白蛇神から定められた大事な使命だ。力を使わないということは、自分の存在を蔑ろにされていることに他ならない。
顔色を変えたリリアに、サギはどこか切なそうで深刻な表情をすると、重々しく告げた。
「残念ながら、真実なのです」
「何てことなの! ……私の力を使わないというなら、この国にいる必要なんてないじゃない!」
憤慨するリリアに、サギは深く頷きつつ言った。
「リリア様のお気持ち、良く分かりますとも。 ではこのサギが、すぐさま対策を施しましょう」
「お願いするわ、サギ」
あなたに任せたら問題無いわねと言うリリアに深く礼をし、サギはその場から立ち去った。――口元に浮かんだ笑みを隠したままに。
リリアが住んでいるのは、白の国の中心にある宰相――サギの家だ。本来ならば覚醒した白蛇は伝統的に、白蛇神が降り立った聖なる山で暮らすという決まりがあった。しかし現白蛇であるリリアが覚醒したのは、生れ落ちたまさにその瞬間だった。その上彼女の母親は、彼女を生んですぐに儚くなってしまった。
いくら白蛇とはいえ、赤子のリリアは一人では生きていくことは出来ない。そこで当時の宰相であるサギが、成人するまではと育ての親を買って出たのである。
当然ながらサギは、リリアを神の様に扱った。彼はリリアを広い屋敷の一角に住まわせていたのだが、その周りには常に多数の侍女がついていた。侍女達はリリアが起きている時は勿論、寝ている時も、入浴をしている時でさえ、側に控えていた。彼女は何の不自由も無い生活を、約束されていたのである。
だが――。
自室で侍女に囲まれ、全身を揉みほぐされていたリリアは、ぴくっと頭を起こした。
「――どうされましたか、リリア様?」
「……今日はもう良いわ。 下がって貰える?」
「ですが、まだ半分も――」
何かを言おうとした侍女を手で制し、リリアは身体を起こした。揉み解し専用の侍女が部屋を出て行ったのを見計らい、彼女はそっと右手の指を擦りあわせた。するとどこからともなく、真珠の数珠が現れ彼女の手に握られていた。
「……昼寝専用の侍女に連絡が行くまで、まだ時間はあるわね」
しゃらりと数珠を鳴らし、彼女は小さく唱えた。
「――転移!」
その瞬間、彼女の姿は部屋から忽然と消えた……。




