裏切り
レナさん、オル君、リリアさん、そしてカムイ……。皆が皆、相手の命を刈り取るために戦っている……。僕はそんな非現実的な現実を、未だに受け止めきれていない自分に気付かされていた。
――人が人を殺すなんて、そんなこと……。
リリアさんに向かって巨大な炎の矢を飛ばすレナさん。戦いは徐々に、レナさんの方に傾いている様だった。一方オル君とカムイは、激しい攻防戦を繰り広げていた。
視界が急速に、色を失っていく感覚がした。目の前のことから、僕だけが遠ざかって行く、そんな感覚が。
――普段は出さない力を、極限まで振り絞っている皆さんは、とても活き活きとして見えます。 ……ですが、目的は――死。
冷たい汗が、いくつも額から流れ落ちて地面へと散って行った。
――ここで行われているのは、本当に現実でしょうか。 それとも――。
「――っ……!」
僕を現実に引き戻したのは、ブリリアントの声にならない悲鳴だった。
「ブリリアント!?」
ハッとそちらを見た、僕。彼女が膝から崩れ落ちるのと、結界が破れるのとどちらが先だったか。
「大丈夫ですか!」
がくっ、と力が抜けるブリリアントの肩を支える様にしゃがみこんだ僕。彼女は声を発するのもままならない程、乱れた息をしていた。だがその目は、しっかりとレナさんの方を向いていた。
――そうだ、レナさんは……!
慌てて視線をそちらに向けた、僕の目の前で。レナさんの繰り出した剣は、リリアさんの数珠を捕えていた。
「あ……」
パンッという小さな音と共に、四方八方に弾け飛んでいく真珠。それはまるで、儚く消える魂の様だった。
「……!」
「……!」
オル君とカムイも、ハッと動きを止めてレナさんの方に顔を向けていた。
「そんな……」
顔面蒼白のリリアさんは、驚きに目を見張りながら後方へ尻餅を着いた。その額すれすれに、ぴたりと剣を合わせるレナさん。
「これまでの様だな、白蛇」
「……」
リリアさんは何も、答えなかった。その表情はすでに、諦めることを受け入れている様だった。
「安心しろ。 すぐに終わらせてやる」
レナさんはそう言って、剣を頭上高くに振り上げた。
――っ!
人の命が消えて行く瞬間を前にして、僕の頭も身体も、全く動かなくなっていた。どういうわけかゆっくり動いている様に見えるレナさんを目にしながら、僕の頭には走馬灯の様に旅の記憶が蘇ってきていた。
――人を殺める覚悟が出来ている。
――再び、この手で殺す。
――不死鳥様もきっと、お泣きになっていたのだと思うんです。
「消えろ、リリア」
「レナ……」
リリアさんの唇が、ゆっくりと笑みを微笑んだ瞬間。
「――!」
「――っ」
「……!」
「――!?」
「……」
思い切り振り下ろされたレナさんの剣は、リリアさんに届くぎりぎりで止められた。
「……何で……?」
武器を手放した時でさえ、青褪めながらも動揺の片鱗さえ見せなかったリリアさん。それが今、僕が知る限り初めて声を震わせていた。
レナさんの剣を止めたのはリリアさんでも無ければ、勿論レナさんでも他の誰かでも無かった。
「……どういうつもりだ、水龍!」
レナさんの剣を止めた、張本人。それは僕自身だった――。
――消えろ、リリア。
その声を聞いて金縛りが解けた僕は、無我夢中でレナさんとリリアさんの間に滑り込んだ。僕の力では普通、全力のレナさんの剣を受け止めることは無理だ。だが僕は自分の全力をイクパスイの一点に集中させ、密度をあげることに成功。予想外の動きにレナさんが一瞬力を弱めたのもあって、奇跡的にその動きは止まった。
――勿論、一回限りしか使えない手ではありますが……。
一旦距離を取ったレナさんの両眼に真っ直ぐに見つめられながら、僕は今更の様に滝の様な汗をかいていた。
「――イザム兄様!?」
「……今すぐやめろ、イザム!」
オル君とブリリアントが、口々に叫んでいる。カムイは……いつの間にか姿を消してしまっていた。レナさんは――。
「そこをどけ、水龍」
レナさんの声は、今まで聞いた中で一番低かった。
「……それは、出来ません」
「――兄様!」
「……イザム!」
僕が小さく、しかしはっきりとレナさんの命令を拒否すると二人からは当然非難の声が上がった。けれど僕は、どうしても自分の考えを曲げるわけには行かなかった。
「もう一度、話し合うことは出来ないでしょうか。 やはり僕には……認めることは出来ません」
「そうか」
レナさんは、短くそう言った。その顔は……見間違いか、少し笑った様な気がした。それもつかの間、再び剣を持ち上げたレナさん。その切っ先は今や、僕に向けられていた。
「私は言ったはずだ。 ……ついてこれない者は、途中で棄てていくとな」
厳しい顔でそう告げるレナさん。そして――。
「――!」
僕は最初から、見誤っていた。レナさんは、リリアさんとの戦いで最初から本気など出していなかったのだ。
不死鳥の剣の先にボッと灯った炎。それは瞬く間に剣全体に広がり、真っ赤に燃え上がった。
「――っ」
じりっと後ずさりした僕は、倒れ込んでいるリリアさんに足を取られて尻餅を着いた。リリアさんが小さな悲鳴をあげたが、それどころではない。数メートル離れたところにいる僕でさえ熱さを感じられる程の炎を携えたレナさんが、こちらに近づいて来ているのだ。
「あくまで現実から目を逸らしたいというのなら、ここで死ね、水龍」
冷たい目で僕を見下ろし、宣告を下したレナさん。僕はそんな彼女を燃える剣ごしに見ながら、すぐ近くにいる人にだけ聞こえる声で囁いた。
「――逃げて下さい」
「……え?」
「――逃げて下さい。 あなたなら、煙の様にこの場から消えることが出来るのでしょう?」
「それじゃあ、あなたは……」
「――レナさんに、お友達を殺めさせることは出来ませんから!」
僕はそう言うと、さっと跳ね起きて自分からレナさんの方に向かって行った。後ろでリリアさんが僕の名前を呼んだが、振り返る暇余裕など無かった。視界の端でオル君が僕を止めようとこちらに走り出している。だが、もう……。
「血迷ったな、水龍」
剣を一振り。迷うことなくレナさんが生み出した火球は、まともに僕に向かって来た。僕はそれを受け止めるかの様に、両腕を広げてその到着を待った。だが――。
「――馬鹿ね」
この場にそぐわない冷めた声。それを聞くと共に、僕は背中に軽い衝撃を感じた。
「白蛇、お前――!」
レナさんの顔が、驚愕に歪んだのを見ながら。僕は視界が白く染まって行くのを感じた。
――これは……!
視覚が失われていくと共に、聴覚が、触覚が、全ての感覚が靄に包まれていく。僕は薄れつつある意識の中で、胸にレナさんの火球が当たったのを認識した。
――レナ……さん……。
「――転移」
リリアさんの声を最後に、僕の意識は完全に消えた。




